6. Ride “in” the scooter

 ニイムラ先生から原付を借りてこい、などという意味不明な要求を残して先輩は保健室から消え去った。結局、肝心のトリックも真犯人もわからないままだった。

 ただ先輩の指示は聞かないといけないだろう。事件解決に関係するとなればなおさらだ。なので私は、放課後に職員室へ向かいニイムラ先生に会った。

「見つかったんですか?」

「ええ。今日の朝見たら、元の場所に止めてあったのよ。カギが刺さったまま。どうしてからしら……」

 首をかしげる先生へ事の次第を話すと、先生はただでさえ不思議そうにしていた顔をこの上なく困惑で彩りつつもカギを貸してくれた。疑問に疑問をかけあわせたみたいな、奇天烈な顔になっていた。先生の表情筋がなせる業だろう。

「なにかあったら一年生の教室のどこかにいるから探してみて。補修をしてるから」

「はい、ありがとうございます」

 さっさと用事を済ませて帰りたい先生と生徒の出入りの激しい部屋の中で、喧騒に負けないように大声で返事をした。ちょうどそのタイミングで天井から放送を知らせるチャイムが鳴った。私と先生は音につられてスピーカーを見上げる。

「ぴーんぽーんぱーんぽーん。生徒会警察からのお知らせだお前ら」

 あ、チャイムみたいな効果音も自分で言う派の人なんだ。

 生徒会警察を名乗りながらも、その不遜な物言いは明らかに寒月先輩のそれだった。

「いまから名前を言う人物は直ちに体育館一階のトレーニングルームへ来るように。なお出頭しない場合は須藤樹里殺害事件の真犯人と一方的に認定するのでそのつもりで」

 先輩は有無を言わせない口調で(放送なんだから有無を言っても先輩には聞こえないけど)そう言うと、続いて今回の事件の容疑者たちの名前を読み上げた。私の名前が出てくると、その場にいた全員の目が先生も含めて、私に注がれた。私は逃げるように職員室へ出てトレーニングルームへ向かった。

 だけどトレーニングルームに向かうまで、そして到着してからも私は奇異の視線からは逃れられなかった。寒月先輩の不躾な放送のせいで注目が集まってしまったのか、トレーニングルームの前には黒山の人だかりができていたのだ。人だかりはそれでも遠慮しているのか、トレーニングルームに入るところまではいっておらず、押し合いへし合いで大きくない入口の空間から部屋の中をかわるがわる覗き込んでいた。これでは入ることができない。

「あの……」

 私が入口を開けてもらおうと遠慮がちに声を上げると、人の山が一斉に私を見た。彼らは何も言わずに私から距離を取り、入口までの道を作る。私に向けられる目はみんな、好奇心より恐れが勝っているように感じられる。彼らはスマホを片手に、私と画面を見比べる。

 あのアプリ、全校生徒が閲覧できるんだよね……アプリでは私は容疑者の一人として登録されている。人殺しかもしれない女が目の前いるから、彼らは私から距離をとるのだろうか。私は彼らの間に見えない壁を感じつつ、トレーニングルームへと入っていった。

 トレーニングルームにはすでに四人の先輩たちの姿があった。元々部活で体育館を使うつもりでいたのだろう、各々トレーニング用のジャージを着ていた。飯山先輩だけジャージではなく道着姿。ポニーテールの先だけが揺れている。目をつむり腕を組んで立っている姿は凛としていてかっこよかったけど、同時に近寄りがたくもあった。手元に木刀があれば、真犯人の頭をかち割りかねない気迫がにじみ出て、背後が蜃気楼のように揺らめいているような錯覚すら覚える。心なしかほかの先輩たちも飯山先輩からは距離をとっている。それでも四人は自然と、事件に使われたマシンを中心に円になるように位置していた。そこにはすでに遺体はなく、代わりにドラマで見るような白いテープの縁取りがされていた。その様はあまりにも滑稽で、血痕はまだ残っているというのに現場から真剣みが失われ、事件がただの茶番のように感じられた。

「エマちゃん、寒月は犯人わかったの?」

 私を見て、最初に口を開いたのは長瀬先輩だった。私は曖昧に首を縦に振って返事に代えた。飯山先輩が険しい顔で道着の裾を握る。

「なんでもいいけど、早く解決してほしいよね。みんな事件の話しかしなくてうざいんだけど」

 飯山先輩の正面に立つ金沢先輩は、うんざりしたような口調で言った。それに返事をしようとしたのか、相田先輩は何かを言いかけたけど、その動きを遮るように入口が騒がしくなる。

「ほら入れろ! 生徒会警察だぞ! おい!」

「野次馬は帰りなさい! 邪魔だぞ」

 人混みが道を開けてくれなかったので私よりも苦戦して、田淵先輩と伊藤先輩、鮫島先生が部屋に入ってきた。田淵先輩はこの世の不愉快をすべて背負ったかのような憤怒の表情をしていたけど、鬼気迫る飯山先輩の前にはいささか迫力に欠ける印象だった。伊藤先輩は昨日同様、不機嫌そうな顔だけどこっちは常にそうなのか今回だけなのか判断しかねた。そして鮫島先生は見るからに疲れている。

「寒月! 寒月はどこにいる!」

「ここだ!」

 図ったような間合いで轟く寒月先輩の声。だけどなんか遠い。そして入口の人だかりがみんな私たちではなく、正面玄関の方を向いていた。このくだり、心当たりがある。みんな答えは同じだった。私たちは無言でトレーニングルームから出て、玄関までぞろぞろと野次馬を引き連れて移動した。

 案の定、玄関先の一段低いところに寒月先輩がふんぞり返って待っていた。

「……ここだ!」

「いやわかってます先輩」

 私がツッコミを入れると、先輩は嬉しそうに大きな口を歪めた。

「で、なんでそこにいるんですか?」

「スロープがまだ直ってないんだよ。おい有象無象! 推理が聞きたきゃいますぐあたしをそっちへ上げろ!」

 先輩が命令を飛ばすさまは女王陛下のようだった。もちろん暴君の。だけど好奇心に人は勝てないのか、彼らは目配せしつつ先輩に近づいて、五六人がかりで車椅子を玄関から持ち上げてくれた。車椅子が持ち上がると輿を担いでいるような見た目になって、暴君っぽさが二割増しだった。

「ご苦労!」

 労いの言葉まで尊大にならなくても。

 先輩は無事体育館へ入ると、車椅子を発進させて全員を振り切るようにトレーニングルームへと突っ込んでいった。私たちは無為に来た道を戻る羽目になった。金沢先輩が「なにこのくだり?」と呟き、全員が同意するように頷いたり顔をしかめたりした。

 トレーニングルームに戻ると、寒月先輩は我が物顔で遺体の縁取りの前に車椅子を固定していた。腕を組み、玄関で見せたような傲慢さで私たちを待っている。

「全員揃ったな。放送ではあんなことを言ったが、真犯人じゃない奴が欠席したら困るなと正直思ってたところだ」

 じゃあ言わなければよかったのに。と全員の顔に書いてあった。寒月先輩はそんな私たちの反応なんてどこ吹く風で、話を続ける。

「さて、それでは解決編だ諸君。まずは被害者を殺害したトリック、つまり、どうやって九十キロ近いおもりを持ち上げて頭の上へ落とすことができたのかという点を明らかにしていこう。それが判明すれば、自ずと犯人は明らかになる」

 先輩は歩きながら得々と推理を披露する探偵よろしく、低速で車椅子を動かし私たちを眺めた。胡散臭そうに先輩を見つめる田淵先輩も、とりあえず最後まで話を聞こうという姿勢なのか口ごたえはしない。

「どうやって九十キロのおもりを持ち上げるか。鮫島先生みたいな肉体派の大人や、運動部の男子生徒ならいざ知らず、容疑者は揃いも揃って細腕の女子ばかり。まぁ、誰かが本当は持ち上げるだけの筋力がありながら黙って出来ないふりをしているという可能性も少なからずあるが、それは排そう。言い出したらキリがない。では一体誰がこのおもりを持ち上げたのだろうか? 共犯はルール上不可能。アリバイから絞り込もうにも、全員微妙でその線も無理。冴えたアイデア求む! と生徒会警察は泣き叫んでいまに至るわけだ。

 ……だが、実はこの問いの立て方が、すでに誤っている。このトリックに向き合うならば『誰が』ではなく『どうやって』と考えるべきだったんだよ。この勘違いの原因は田淵にある。事件がここまで拗れたのは田淵のせいで、こいつがいなければ案外あっさり解決して私の出番もなかったかもしれん」

「おい! 俺の何が悪いんだよ!」

 大勢の前ではっきり責められて、たまらず田淵先輩は声を荒げた。だけど伊藤先輩の視線は冷たく、寒月先輩の主張に同意しているも同じだった。

 寒月先輩はまぁまぁと田淵先輩を制して、言葉を続ける。

「元はと言えば、こいつが『犯人にアクションを起こさせて墓穴を掘らせよう』なんて海外ドラマばりの洒落た解決方法を目指したのが悪い。そう、みんなの前で鮫島先生におもりを持ち上げさせたのが決定打になった。あのせいでその場にいた全員の、犯行のイメージはあらぬ方向へ走り出してしまったんだ。一方のあたしはその場にいなかったから難を逃れたけどな」

「私がおもりを持ち上げたのに、何か問題があったのか?」

「そうだ。ところで鮫島先生。そのときいったいどうやっておもりを持ち上げたかもう一回やってもらえるか?」

 鮫島先生は首を捻りつつも、マシンのそばにまで近寄る。昨日と同じように、ぶら下がっているバーを握り締めて後ろへと体重をかける。いまはプレートの重さが軽く設定されていて、先生がさほど力を入れなくても軽々と持ち上がった。

「……こうやってだが」

「だろうな。このマシンでおもりを持ち上げようと思ったら、こういう動きしかありえない。持ち上げる場合はだが」

 寒月先輩は「人間が」という部分に力を込めて発音した。

「鮫島先生のフルパワーという衝撃映像を目の当たりにしたお前らはこう思ったはずだ。『プレートを持ち上げる方法はこれしかない』、あるいは『これができる人間がほかにいるだろうか』とか。そうして本来真っ先に考えるべきひとつの可能性をばっさり排除してしまった」

 可能性。寒月先輩は言葉を切って間をおいた。彼女の得意げな表情が、次の発言こそ決め台詞であると雄弁に語る。野次馬を含め誰も喋らなかった。ただ黙って先輩の言葉を待つ。

 寒月先輩は長い沈黙へ満足したように笑うと、大きく息を吸った。

使

「あぁ……」

 私の嘆息に長瀬先輩と飯山先輩の注目が集まる。ほかの人たちは意味が分からないというように顔を見合わせていたけど、先輩と一緒に推理をして、「ある仕事」を言いつけられていた私には彼女の真意がはっきりとわかる。

 私は手元の、原付のカギへ視線を落とした。

「エマ! 仕事だ! 例のブツを持ってこい!」

「あっ、はい!」

 短く飛んだ号令に私は飛び上がり、トレーニングルームから走って出て行った。本日二往復目のシャトルラン。入口の集団も先輩の勢いに圧されたのかすぐに道を開けてくれる。目指すはニイムラ先生の原付。正面玄関から外へ出るとすぐに見つかった。赤く丸っこいパーツで彩られた、真新しい二輪車が職員用の駐車場の片隅に止まっている。原付はこれしか見当たらないから、これが先生のもので間違いないだろう。

 私が原付を押して体育館へ戻ると、長瀬先輩と飯山先輩が待っていた。

「先輩、どうして?」

「寒月が手伝えと命令してきてな」

「スロープが壊れてるから、原付をこっちへ押し上げるのが大変だろうって」

 二人の先輩が重たい後方を持ち、私が前方を持ち上げて何とか体育館へ原付を入れることができた。地面を走るタイヤをそのまま屋内へ入れてしまっていいのだろうかと思ったけど、寒月先輩は外を走った車椅子でがんがん部屋の中も走っていたし今更かと思い直す。私は原付を押してトレーニングルームへと戻った。

「ご苦労、エマ。早速こっちへ持ってきてくれ」

 私は先輩の指さすところへ原付を停めた。ちょうどマシンの目の前へ後輪を向ける状態。こうなると寒月先輩の思惑もわかりやすくなってきて、鮫島先生や相田先輩が得心の言ったように目を見開いた。

「もうわかったかな? 犯人は原付を使っておもりを持ち上げたんだ。おおかた荷台と器械のバーを結び付け、その状態でエンジンをかけて引っ張ったんだろう」

 みんなが感心するように声をあげるなか、ただ一人田淵先輩だけが納得のいかない表情で頑張っている。

「原付でだと? 本当に持ち上がるのか?」

「余裕余裕。法律じゃ六十キロくらいが積み荷の重さの制限らしいが、東南アジアだと曲芸みたいに積んでるだろ。もちろんある程度無茶ではあるし原付を痛めるだろうが、不可能じゃない。ところでエマ、そいつのシートのとこを開けてみろ」

 私はカギを差し込んで、適当にがちゃがちゃやった。すると後ろから金具が外れるような音がしてシートが少しだけ浮いた。開けてみると、原付とお揃いの赤いヘルメットと一緒にロープが丸められて収まっていた。白く小指くらいの太さがあるもので、一方の先端が荒く切断されたように乱れている。

「先輩、これは……」

「やっぱりな。荷台とバーを繋いだものだ。犯人は下手にロープを捨てると見つかってまずいと考えたんだろう。ここに突っ込んどけば原付が見つからない限りロープも見つからない。持ち主も変な悪戯でまさか事件に関係しているとは思わないから、適当に処分するだろう。なかなかよく考えたもんだよ。犯人が捨てればその姿を見られるかもしれないが、事件と関係ない人間に捨てさせれば少なくとも自分とは繋がらない。ロープがいまもそこにあるのは、原付が今朝戻ってきたばかりで所有者も荷物入れの中まで確認してないからだろうな。解決が一日遅れてたら証拠のロープは捨てられてたかもしれん」

「そうか、原付の持ち主が家に帰ってから捨ててたらもう見つかりようがないわね」

 長瀬先輩に向かって、寒月先輩がうなずいた。

「さて、肝心のトリックだ。犯人は予め被害者の頭をぶん殴って気絶させ、頭を積み重なったプレートに立てかけておく。そして原付を使ってプレートを持ち上げた。こうすればおもりを持ち上げたと同時に、プレートの間にできた隙間へ頭が倒れるように入り込む。あとはカッターか何かでロープを切断しおもりを落とし、被害者の頭へ叩きつけることで殺害した。この方法なら誰でも一人で事件の状況を完成させることができるってわけだ。あとは原付をどこかに隠しておき、翌朝こっそり返せばいい。たぶん階段下のガラクタ置き場だろうな。あそこはシートが何枚も被さってて、ちょっとやそっとでは見つからない」

 昨晩、須藤先輩の遺体へ被せたシートを長瀬先輩が見つけた場所か。そう思うと、綿密な計画のわりに綱渡りな部分もかなりあったんだと思わせられる。長瀬先輩がシートを持ってくるときに隠してある原付に気づいてしまったら事件はあっという間に解決しただろうか。

「だが、それだと犯人はいったい誰になるんだ?」

 すっかりすべてわかってしまったかのようなその場の雰囲気を、鮫島先生が破った。先生の疑問にみんな黙る。確かに寒月先輩の説明なら不可能に思われた殺人が可能になるけど、これだけだと誰が犯人なのかはわからない。でも先輩は手段がわかれば犯人もわかるって言っていた。

「それは簡単。このトリックを行うためには原付を用意しなければならない。しかもただ用意するんじゃなくて、エンジンをかけるためのカギも一緒にな。それをできた人間は一人しかない。そいつが犯人だ」

「誰だっ! 誰が樹里を殺した!」

 飯山先輩が吐き出すように言う。部屋中に緊張が走った。私も、自分が犯人ではないのはわかっているはずなのに死刑宣告を待つような気分になってきた。

 寒月先輩は肌を刺すような緊張感の中、一人ニタニタと笑っていた。斧を振り下ろす処刑人の中でも最悪の部類、悪人を追い詰めることに快楽を感じる人間の表情だった。彼女は右腕を振り上げて人差し指だけをまっすぐ伸ばす。田淵先輩のときとは違って、指先にその場の全員の視線が集まった。

 先輩は焦らすように一拍待ってから、振り下ろす。

「犯人はお前だ。金沢蘭々」

 死人のような白い指は、金沢先輩を迷いなく指していた。

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