2. A “short” time ago

「……どうしたの?」

 私は隣から声をかけられて我に返った。あたりを見回すと教室のほかの生徒たちは席から立ち上がり、教室から出ていこうとしている。

 私は目を擦って意識を覚醒させ、隣を見る。美亜みあが小動物みたいに大きな瞳で私を覗き込んできている。その顔はちょっと心配そうに眉をひそめていた。頭と一緒にツインテールの髪が揺れている。

「えっと、ちょっとぼうっとしてたみたい……なんだっけ?」

「もう、エマったら新学期早々。次は全校集会だから、早くいかないと置いていかれちゃうよ?」

「あぁ、そうだった……」

 私は頭を振って、さっきまで先生が言っていたことを思い出す。確か体育館で新入生と先輩との顔合わせをするんだっけ? なんだか記憶にもやがかかったようで、うまく頭が働かない。

 私は席から立ちあがって、教室の後ろにあるロッカーから体育館シューズを取り出した。スチールの扉を閉めて廊下へ向かおうとすると、美亜が私のことを席に座ったまま見つめているのに気付いた。

「あれ? 美亜は行かないの?」

「うん。ちょっと先生に残るように言われてて。あとで行くわ」

 美亜は足をぶらぶらと振る。制服の、真新しいチェックのスカートが窓から吹き込んだ春風に揺れた。一緒に桜の花びらも入り込んできて、美亜を飾った。美亜はちっちゃくて可愛らしい子で、そうやって春の中に座っているだけで絵になった。

「じゃあ、後で」

「そうだね。……ねぇ、エマ」

「なに?」

 美亜は呟くように言った。風にかき消されそうな声を、私の耳が辛うじて拾う。

「一緒の高校に進学出来てよかった」

「なに? 急に……」

「ううん。なんか言っておきたいなって思っただけ」

「なによ……私も、一緒に進学出来てよかった。小学校からの仲だもん。親友がいると心強い」

 そう言うと美亜は笑った。その笑顔は整いすぎていて、私は心の中をわけもわからず掻きむしられるような気分になった。私は自分の右手首を、そこへ巻き付くミサンガを確かめるように握りしめていた。中学に入ったころ、美亜とお揃いで買ったものだ。たくさんある思い出の一つ。

 このまま美亜と別れてはいけない気がした。頭ががんがん鳴って警告を放つ。だけど同じクラスの人たちの喧騒はどんどん遠ざかっていて、本当に置いて行かれそうになっていた。私は後ろ髪を引かれるような思いで教室を後にするしかなかった。

 体育館には余すところなく人が詰まっていて、同じ服を着て蠢いている様に私は目が回りそうになった。私がフロアに入ると、そんな群衆が一斉に私の方を見た……気がした。視線がまず私の金髪を撫で、次いで碧い目に注がれる。私はつい、手で髪を撫でつける。真っ黒な人たちの中に、金色を一滴。もう慣れた視線だと思っていたけど、顔が熱くなって変な汗が吹き出してしまう。新しい環境で、親友もいないから心細くなっているだけだろうか。私は名簿番号順に、前から三番目に並んで全校集会が始まるを待った。

 集会は酷くつまらないものだった。校長先生が壇に上がって、政府が英語教育の充実のために外国から先生を迎え入れることにしましたとか、春休みの間に剣道部が大会で優勝しましたとか、そういう反応に困る話を長々とするだけだった。だけど退屈に紛れて私を見てくる視線が一向に収まらないような気がして、私はやっぱり落ち着かなかった。後ろから見ると金色の髪は目立つのだろう。校長先生の話を無視してひそひそと話す先輩たちの言葉が、全て私に向けられているように思えてくる。

「皆さんこんにちは。文部科学省から来ました鳥頭とりとうです」

 不意に、私に注がれていた視線がぶつりと切れた。みんなの視線が壇上に注がれる。体育館の集会に、文部科学省という聞きなれない言葉が飛び出して注意を引いたのだ。

 壇上には、隙間なくという表現がしっくりくるくらいにぴったりとスーツを着た男性が立っていた。寸分の狂いもない七三分けで、瞳はメガネのレンズに隠れてよく見えない。ただここにいる誰よりも固い人間であることを全身から発散して、高校生たちを圧倒していた。お喋り混じりのフロアが静寂に包まれる。

「皆さんは昨年度から始まった新しい教育プログラムをご存知でしょうか」

 誰も、首をわずかにも動かさなかった。鳥頭と名乗った男の言葉は、質問しているというイントネーションではなく、ただ一方的に突きつけているように聞こえた。

「その名前をマーダー・チャレンジ・プロジェクトといいます。略称はMCPです。皆さんの通う赤崎市立赤崎高校はこのプロジェクトの実験校に選ばれました」

 おめでとうございます、と鳥頭が言ったが、めでたそうな響きは一切なかった。マーダーという言葉に、何人かの生徒が反応してざわつき始める。マーダーってなんだっけ? 殺人じゃなかった? みたいに。

 群衆の中に、不安が膨れ上がっていくのがはっきりと感じ取れた。ただその不安は、まだ膨らまそうとしてうまくいっていない風船みたいに小さいままだ。

「このプロジェクトの趣旨を簡単に言うとこうです」

 鳥頭がかちこちの口調で言うと、小さく息を吸った。そして音量が少しだけ大きくなる。

「数々の教育改革、ゆとり教育のために自主性を失った青少年の、自ら考え行動する力を涵養するため、完全犯罪の計画と実行に挑戦してもらうこと。具体的には、皆さんには殺人事件の計画と実行を行ってもらいます」

 膨らみ始めた風船は、あっという間に大きくなった。そして爆発。フロアは大きな狂乱に包まれた。悲鳴に近い声。野太い叫び。私はその中で混乱を分かち合う相手もなく、ただ突っ立っていることしかできなかった。

 突然、フロアの照明が落ちた。一瞬だけ声が上がって、しぼんでいく。いつの間にか舞台上へ降ろされていたスクリーンに映像が映し出された。みんなが自然と無言になって、スクリーンを見つめる。

「言葉で言ってもわかりにくいと思うので、実例を見せましょう」

 スクリーンに映るのは廊下だった。入学したばかりの私にもわかる。この高校の廊下だ。映像を映すカメラが上を向いて、教室の入口にあるクラスのプレートが見えた。一年六組……私たちの教室?

 後ろからどよめきがあがる。多分同じクラスの人たちだ。自分たちの教室が映し出されていることにわけがわからなくなっている。私も同じ。

「完全犯罪を実行してもらうには、その犯罪を暴く立場の人間も必要です。その、いわば探偵役も皆さんに担ってもらいます」

 画面外から黒い手袋をした手が伸びて、教室の扉を開いた。誰もいない教室。その真ん中の席に、一人の女子生徒が後ろを向いて座っていた。その髪型はツインテール。すぐに脳が発火して、その少女が誰かを知らせる。

「いや……うそっ、いやだっ!」

 私は頭が真っ白になって、意味もないのに壇上へ駆けだそうとしていた。列の一番前へ出たところで誰かが私に掴みかかって止めるけど、私の目は映像に釘付けになっていてそれが誰なのかはさっぱりわからなかった。

「美亜! 美亜! いやだ!」

「今回は犯人側にとっても初めての事件ということで、公平を期すために運営がいくつかのお膳立てをしました。しかし皆さんが計画する際にはこのようなサポートは受けられませんのでご承知おきください。詳しくはのちに配布するルールブックをご覧ください」

 私の声が聞こえないかのように、鳥頭が言葉を紡ぐ。カメラは美亜の背後から正面にまわって、彼女の全身を映し出した。瞬間、フロア一帯から悲鳴があがる。さっきまでは机で隠れて見えなかったけど、美亜は椅子にテープで縛りつけられていたのだ。口もテープを貼られて声が出せなくなっていた。彼女はそれでも呻き、目で何かを訴えようとしてくる。

「美亜!」

 映像の下から、銀色が滑り込んできた。包丁だった。窓から差し込む春日を受けて輝いている。それを見て美亜の動きが大きくなる。目に涙を溜めて、必死に逃れようと暴れていた。私はもうわけがわからなくなって滅茶苦茶に暴れるけど、私を抱きとめて押さえつける人の力はすさまじくてびくともしなかった。

 鳥頭はここで、初めて声を少しだけ明るくし、気楽な雰囲気にしようと思ったのか直立不動の立ち姿をわずかに崩した。

「さて、皆さんに問題です。是非活発なコミュニケーションをし、協力し合って答えにたどり着いてください。……安西亜美さんを殺したのは、誰でしょう」

 包丁が、美亜の細く白い首へ突き立てられた。

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