応援コメント

リュクサンブール公園の真昼時」への応援コメント

  • 智彦と菜穂子の半年ぶりの再会の待ち合わせ場所がフランス、パリのリュクサンブール公園のメディシスの泉という設定がとてもお洒落ですね。叙情感溢れる流麗な文章が芸術の都パリの街へと馳せる思いを見事に映し出していて、まるで映画のワンシーンを見ているような錯覚に包まれました。語彙を文章の中に巧みに生かせる技量も素晴らしく、文学的趣向を高めていると思いました。

    フランス語は実際、発音が難しいですが、ルイーズとの会話の中でパリの印象について智彦が詩的な表現で返せるのは、作者の工藤行人さまがフランス詩への造詣が深いからかな?と思わせてくれる内容でした。

    作者からの返信

    中澤樣

    先日、漸くご挨拶叶い安堵したのでしょうか、油断しておりました……早速にコメント下さり有り難うございます。お返事が遅くなりまして恐縮です。

    当拙文、眼前の風物に「充て書き」したような部分が多かったものですから、「映画のワンシーンを見ているような錯覚に包まれました」との御評頂戴し、不遜にも「為て遣ったり」と些か得意になっております。また文章と語彙にもお目を留めて下さったうえ「文学的趣向を高めている」とのお褒めの言葉を賜りまして大変嬉しいです。

    仰るように発音、また個人的には、発音しない文字が綴りに混在する表記も難儀なところで、私などはフランス語、てんで駄目でして、フランス詩に関しても浅学なのですが(専ら上田敏博士の訳詩でばかり読んでおります)、末尾にも記しましたように当拙文は、リュクサンブールで古い友人が待ち合わせるシーンから始まるクンデラの『無意味の祝祭』を読み始めた直後にふとイメージとして偶成したものでしたから、「芸術の都パリの街へと馳せる思い」を中澤さんが拙文より感じ取って下さったのだとしたら、それは定めし文豪の筆力に肖った結果ということになりましょう。
    フランスという国は、私を含めて多くの日本人にとって今以て特別な存在であり続けているように思われ、殊に藝術や学術の分野では本当に圧倒されてしまいます。そして何よりお洒落。あれは何なのでしょうか。日本が未だに貿易赤字を計上する国はフランスとイタリアくらいのものでしょうけれど、彼の国の文化文物はやはり日本人を今後も惹き付けて已まないのでしょうね。

    ……などと、私は何時も何時もお返事がこうして横道に逸れて雑談のように取り留めなくなってしまうのです。もう一年半も前から拙文をご高覧下さっていたとのこと大変驚きましたが、読者の方々から折々に頂戴するコメントへの、時にご迷惑かも知れないとも思える冗長な返信も、あるいは先刻ご承知の事柄になりますでしょうか。ともあれこのような形ではございますが、宜しければ今後ともよしなにご交誼下さいますと幸甚です。
    そして今一度改めまして、この度は初コメント、本当に有り難うございました。 

    追伸:
    メディシスの泉は、ぐるりに並置されている椅子以外(笑)、本当にお洒落で美しいスポット、当拙文中の季節は盛夏ですが、私はやはり秋から冬にかけての泉が一等趣深く感じられます。彩り豊かな落葉がモザイクを成して水面に浮かぶ様は正しく絵画のようで、写真をtwitterのヘッダーにもしております。宜しければぜひご覧下さいませ。

    編集済
  • 工藤行人様、コメントを失礼致します。
    「La grande ville de l'art―芸術の都にて」……圧倒的な構成力と様式美を感じたしだいです。
    「ミルフィーユやオペラのようなケーキの類に似た、古めかしくも可愛らしさを喪わない建物」
    「そのデルタにはアコヤ貝の裏側のように光沢のある綺麗な額」
    と云った比喩表現。「木洩れる幾条もの光の杖」と云うのも素敵です。「木洩れ陽」を動詞にすると、どうして、これほどに柔らかく綺麗なのでしょう。
    智彦とルイーズの仏語会話は、仏語が読めない者にも、美しい文字の羅列として印象的に入ってきます。カルチェ・ラタンが見えるようです。
    文字の連なりが風景画を生み、その絵の中に配置された人物が、比類なき仏蘭西文化を伝えてくれるような美しい物語です。読ませて頂き有難うございました。

    作者からの返信

    宵澤ひいな樣

    此方にもコメントを頂戴し恐縮です。「コメントを失礼致します」だなんて、こんな有り難いコメントでしたら大歓迎、いっそもっと「失礼」されたいくらいです……。

    挙げて下さっている比喩表現は個人的にもかなりお気に入りでしたので、関心をお寄せ下さり大変嬉しいです。

    先だってコメントを頂戴しておりました「豊穣なる語彙世界」のように、語彙から発して頭の中でイメージを膨らませるアプローチではなく、実際の眼前に広がる風景やモデルの容貌に「充て書き」するような形で書いた比喩表現でしたから、もしかするとイメージ(という名の妄想を)することに意識を削がれなかった分、描写に集中できたのではないか、などと、ご指摘を受けて恥ずかしながら自己分析しております、また、改めて読み返しますと、匂いや音の情報が少ないので、これらの要素も盛り込めれば描写がより立体的になったかもしれません……今後の課題です。

    そして「木洩れる」……そうなんです! 共感して下さる方がいらっしゃった!と欣喜雀躍しております。「こんな変化の形もありえたのではないか」という「可能性」としての造語を生み出していこうという企みから細々と散文を書いておりましたので、「木洩れ陽」→「木洩れる」という動詞への拡張を「どうして、これほどに柔らかく綺麗なのでしょう」と評して下さったこと、今後の励みになります。有り難うございます。

    他作にもこのような造語をいくつか潜めておりますので、如何ともし難い無聊に苛まれるような折が万一にもございましたらば、ぜひまたご笑覧賜りますと幸いです。

    追伸
    ちなみに蛇足ですが、「木洩(漏)れ陽(日)」という語の語誌を調べてみますと実は案外これが新しく、どうやら明治時代の終わり頃が初見のようなのですが、当時は言文一致と明治美文という大まかな対立構図の中で揉まれながら日本語表現の可能性が模索されたことで、語彙がかなり柔軟に使われていた印象があり、その風潮に私は大変憧れておりますところです。

    長文なにとぞご容赦下さいませ。

  • すごい、これぞ耽美かつ幻想的な美しい文章……行ったこともないパリの人の営みや情景がありありと浮かんできました。すごいの一言……ご馳走様です。

    作者からの返信

    柊木紫織 様

    初めまして、工藤行人です。
    まさか本作に応援コメントをお寄せいただけるとは……意外でした。
    ご興味をお持ちいただけて大変嬉しいです。
    豊穣なる語彙世界もフォローして下さったようで、ありがとうございます。
    今後も細細と更新していきますので、お好みのようでしたらまたご覧下さい。

    ところで、当方のツイッターのヘッダー画像は作中に登場するメディシスの泉の秋の姿です。色取り取りの落ち葉が折り重なって水面に浮かぶ様は、散り積もった言の葉のようにも、あるいは一転、ゼリー菓子のように見えなくもありません。もし宜しければ、そちらもぜひ「ご賞翫」下さいませ。