第26話 立冬②
砂漠の砂の上で、二人の人間と二体の着ぐるみが決闘を行っていた。だが、決闘は横道に逸れ見当違いの方向へ暴走して行く。
「波照間隼人! 彼方を離せ!」
僕はタスマニアデビルに駆け寄ろうとした。だが彼方を拘束したタスマニアデビルがナイフを彼方の喉元に突き付けたのを見て足が止まった。
「一対一の決闘を邪魔したのは彼女だ。そのペナルティはちゃんと受けてもらうよ」
······言いがかりだ! 彼方は僕を励ましてくれただけなのに!
「さあ、ゲームを始めよう。稲田君。今から十分以内に出雲彼方さんを救出するんだ。時間切れの時はそのナイフが彼女の咽を切り裂く」
······こいつは、本気で言っているのか? ふざけているのか? どちらにせよ彼方の命が懸かっている以上考えている余裕は無かった。
僕が走り出した時、右腕に鋭い熱が走った。その熱は一瞬で傷みに変わり、僕は苦痛の余り倒れ込んだ。
「稲田祐!?」
彼方の叫び声が砂まみれの耳に入って来た。なんだ? この腕を引き裂かれたような痛みは?
痛む右腕を見ても、表面上傷一つ無かった。波照間隼人を見ると、奴の頭上の精霊が左手に持った百合の花を剪定ばさみで切っていた。
「稲田君。呪いの藁人形って知ってるかい? それと同じような物さ。僕の精霊が持つこの花を切ると君の身体に苦痛だけが起こる」
の、呪いの藁人形と同じ? 僕は苦痛に満ちた右腕を左手で押さえなんとか立ち上がった。時間が無い。急がないと彼方が!
「ぐわあっ!?」
僕の右肩と背中に、再び切り裂かれたような痛みが走った。
「この花。切るまで分からないんだ。人体のどこを傷つけるかね」
波照間隼人が陽気な口調で話す。コイツは歪みきっている。コイツだけは、コイツだけには世界の未来は託せない。
「稲田祐! 三終収斂を唱えて!それしか手がないわ!」
彼方が必死に僕に叫ぶ。そう。もう僕には
残された手は一つだけだった。僕は覚悟を決めた。
「紅華! 爽雲! 月炎!」
僕は三人の精霊の名をよんだ。その瞬間、僕の頭上に紅い着物の美女。派手な着物を着崩した美青年。黒い鎧武者が現れた。
「ははは! こいつは傑作だ。血迷ったかい? 稲田君。暦詠唱を唱えずに精霊を呼ぶなんてね。しかも同時に三体? 君、死ぬよ?」
僕の身体は鉛のように重くなった。そして身体中の生気が抜けていくようなこの感覚。長くは保たない。僕はそう感じていた。
「何をやっているの稲田祐! 今すぐ精霊を帰らせて! 三体も精霊を呼び出したら精神の消耗で死んでしまうわ!」
彼方が絶叫する。いいんだ彼方。僕はどっちにしてもあと一時間ちょっとで死ぬんだから。
「暦詠唱は主人と精霊を繫ぐ無形の鎖だ。その鎖がない以上、精霊達は君の命令を聞かないよ?稲田君」
波照間隼人が一族と精霊の間に結ばれた契約事項を頼みもしないのに教えてくる。
「······僕はこの三人を信頼している。鎖なんて、僕らには必要ない!」
僕の返答に、波照間隼人は肩を揺らし哄笑した。
「さあ! 愚かな主人に呼び出された三体の精霊達! 君達の主人は明らかに資質を欠いている。君達精霊から契約破棄が可能だ!」
波照間隼人は僕から精霊達を奪う為に更に語気を強める。
「君達精霊はその主人から自由になれる! さあ、権利を行使するんだ! 今すぐ!!」
全身が消耗して行く僕は三人の精霊を見上げる余裕は無かった。それでも、僕は言葉を発した。
「······僕は彼方を助ける! 紅華! 爽雲! 月炎
! 僕に力を貸してくれ!!」
「喜んでお力添えさせて頂きますわ。御主人様」
「ま、旦那の頼みなら仕方ないねぇ」
「我が身命を賭して」
三人の精霊が僕に微笑んでくれた。顔を見なくても、声だけでそうだと分かった。
「そんな馬鹿な!? 暦詠唱の鎖が無くても精霊が命令を聞くだと? しかも同時に三体を操るなんて聞いた事がないぞ!!」
波照間隼人が絶叫する。コイツがこんな動揺するなんて初めてだ。
「爽雲殿。月炎殿。貴方達は本来の力を出せません。ここは私が切り込みます。二人は援護をお願い致します」
紅華が左右の爽雲と月炎に指示する。爽雲と月炎は即答する。
「美人の頼みなら断れないね」
「承知」
漆黒の長い髪と紅い着物をなびかせ、紅華は黒装束の精霊に向かっていく。その両脇を爽雲と月炎が固める。
「きゃあ!」
突然紅華が苦しみだした。黒装束の精霊を見ると、また剪定ばさみで百合の花を切っていた。
標的を僕から紅華に移したのか!?
「······その剪定ばさみ、邪魔だね」
爽雲が黒装束の精霊に近づき、両手を素早く動かした。すると、黒装束の精霊の右手から剪定ばさみが消えた。
「うわ!?」
突然、爽雲が苦しみ次面に落ちた。黒装束の精霊は素手で花をちぎっていた。
「黒炎刀演舞! 炎一文字斬り!」
炎に包まれた月炎の刀が、黒装束の精霊の右腕を切り落とした。花瓶は右腕と共に砂の上に落ちる。
それと同時に、黒装束の精霊の左腕が突然伸び出した。伸びた左腕は、月炎の胴体をロープのように何重にも巻き付き、月炎を地上に叩きつけた。
「紅華! 爽雲! 月炎!」
三人は地に付してしまった。身体に力が入らず動けない。
「流石に三体いると厄介だな。稲田君。そこで休んでていいのかい? あと三分だよ?」
波照間隼人の無慈悲な最後通告が僕を心寒くした。時間が、時間が無い!
「稲田祐! 私の事は放っておいて! 私はどうせ後少しで死ぬわ! あんたはこの決闘に勝つ事だけ考えて!」
彼方が震える声で叫ぶ。違うんだ彼方。死ぬのは君じゃない。僕の方なんだ。君はこれからも生き続ける。来年も。再来年も。
······将来。彼方はどんな大人の女性になるだろうか。どんな人と恋をし、どんな人と結婚するだろうか?
彼方の産む子供ってどんな顔をしているかな? どんな人生を送って、どんなお婆ちゃんになるだろうか?
一つだけ解っている事がある。幾つになっても、彼方は彼方だ。どんな時も、姿勢正しく自分の足で自分の人生を歩んで行くだろう。
その未来に僕はいない。それでも。だからこそ。僕には彼方の未来を守る義務がある!
言葉には信じられない力がある。僕はそれを信じて声を振り絞る。
「諦めるなよ!」
僕は叫んだ。未来の僕の娘は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「諦めるなよ彼方! お母さんから貰った命だろう! 最後の一秒まで精一杯生きるんだ!」
「······稲田祐」
この言葉は彼方に向けた言葉だったのか。自分自身への言葉だったのか。僕には分からなかった。
「君は死なないよ。出雲彼方さん。何故なら稲田君が理の外の存在と交渉したからね。自分の残りの寿命を君に渡したんだ」
「······何ですって?」
波照間隼人と彼方の会話は、小さすぎて僕の耳に届かなかった。僕は心の中で、三人の精霊に呼びかける。
「······波照間島。どうして、アンタがそんな事を知っているの?」
「僕の一族は知りたくも無い事を知ってしまう力があるんだ。周囲はそれを千里眼と呼ぶけどね。厄介で面倒な力さ」
その時、彼方を拘束するタスマニアデビルの手からナイフが消えた。そのナイフはいつの間にか爽雲の手中に収まり、爽雲はそのナイフを黒装束の精霊に投じた。
黒装束の精霊は左腕でナイフを防ぐ。その一瞬の隙を突き、月炎がその左腕を一刀両断した。
両腕を失った黒装束の精霊はよろめいた。
その眼前に、全身に紅い蒸気を纏った紅華が迫る。
「下がりなさい! 啓蟄一族の精霊!」
紅華の両眼が紅く光った。その刹那、黒装束の精霊は全身に雷を受けたように火花が舞った。
その火花は、波照間隼人と彼方の側にも落ちた。黒装束の精霊は力尽き倒れた。
「彼方!!」
僕は全身の虚脱感も忘れ、彼方の側に駆け寄った。波照間隼人のアルパカの着ぐるみが倒れていたが、それに構っている暇は無かった。
彼方を拘束していたタスマニアデビルは両目の赤い光が消え、頭を左右に忙しなく動かしオロオロしている。
波照間隼人の支配から脱したのだろうか?
彼方は立ち上がっていて、どうやら無事みたいだ。
彼方は僕に近づき、勢いよく僕の頬を叩いた。
「······彼方?」
「······知っているの?」
「······え?」
「遺された者の気持ちが、どんなに苦しいか知っているの!?」
彼方は泣いていた。僕は、彼方が真実を知った事を悟った。
「あんたは寿命を渡して満足かもしれない! でも、それを譲られた私がどんな気持ちで生きて行くか考えた事があるの!?」
彼方の悲痛な気持ちが、僕の耳を通じて心臓の辺りを切り裂く。でも、それでも僕は言葉を返す。
「彼方の気持ちは関係ないよ。子供は親より長生きする義務がある。彼方。君は生きなくちゃいけないんだ」
「まだ親にもなっていないアンタに、そんな事をする権利はないわ! 今すぐそんな交渉取り消して!」
「聞けよ!」
泣きじゃくる彼方に僕は大声を上げた。紅華、爽雲、月炎の三人が黙って僕と彼方を見つめている。
「彼方! 君は突然僕の前に現れて訳が分からないまま決闘しろと強要した。お次は詐欺同然の特訓だ!」
······あの桜が散る春の日。君が僕の目の前に現れて僕の日常は一変したんだ。
「自分の事は秘密で、僕の事をいいように虐げた。とんでもない女子と思ったら、お米を食べて大号泣だ!」
お米を初めて食べ時の彼方の表情は、今でも鮮明に覚えている。
「言いように僕を振り回して! こんなに君を好きにさせといて! 止めは僕の未来の娘ときた!」
僕は、彼方の笑顔に恋したと言っても良かった。それぐらい彼方の笑顔は可愛かったんだ。
「僕はずっと彼方の言う通りにして来た! だから、だから最後くらい僕の言うことを聞けよ!」
······駄目だ。これ以上喋れない。力が入らない。
「······なんで、あんたが泣くのよ」
自分の大泣きを棚に上げて、彼方は僕を見て呟く。僕はまた、気づかない内に泣いていたらしい。
彼方は僕を支えるように抱きしめた。
「······大嫌いよ。稲田祐。あんたなんか大っ嫌い」
「······最期くらい、嘘でもいいから好きって言って欲しかったなあ」
僕は力無く笑った。砂漠に置かれた時計台の針は、間もなく正午を指そうとしていた。
「······さようなら。彼方。君と出会えて良かった」
「······!」
彼方は震える両腕で僕を強く抱きしめた。僕は彼方の頭に手を添える。その時、時計台の鐘が鳴り響いた。
響いた鐘の音は、僕らに別れの時を知らせた。
······あれ? まだ僕、意識あるよな? あの時計ひょっとして遅れてる? いや。今更あと五分あるとか言われても困るんだけど。
薄目を開けて彼方を見ると、彼方は声を出し泣いている。駄目だ。これ駄目なやつだ。これ絶対にまだ生きてますとか言えない雰囲気だ。
僕は早く時間が過ぎてくれと願ったが、僕は一向に死ななかった。
「もう駄目! 無理!」
死ぬ真似の演技が限界を超え、僕はギブアップしてしまった。僕の声を聞き、彼方の表情は正に顔面蒼白だった。
「······祐? 稲田祐? 生きてる? まだあんた生きてるの?」
彼方は震えた両手を僕の顔に当てる。本当に彼方は意外とよく泣くなあ。
「稲田君は死なないわ。彼方。勿論あなたもね」
誰かの声が聞こえた。女性の声でとても奇麗な声だ。僕と彼方は声の主を見た。その声の持ち主は、カピバラだった。
カピバラが着ぐるみの頭を外していた。その中にあったのは人間の。女性の顔だった。その顔は、彼方にとても似ていた。
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