第27話 立冬③

 初めてこのカピバラを見た時、着ぐるみだから当然中に誰かが入っていると思っていた。


 でも、そんな考えはいつの間にか消えていた。カピバラもタスマニアデビルも理の外の存在だ。常識の考えでは当てはまらない連中だからだ。


 そのカピバラの中身が、まさか女性だったとは。年齢は三十歳くらいだろうか? 声も機械音じゃない。生身の声だ。


「······お母さん?」


 魂が抜けたように立ち尽くす彼方が、小さく呟いた。彼方のお母さん? あのカピバラが? 確かにあの女性は彼方によく似ていた。


 女性は着ていたカピバラの着ぐるみを脱いで行く。女性は白いブラウスに白のカーディガン。黒のタイトスカートを着ていた。


 あれ? これって昨日彼方が着ていた洋服だ。女性はしばらく彼方を見つめていたが、ゆっくりとこちらに歩いて来た。


 その歩みは駆け足に変わり、女性は彼方を抱きしめた。


「······大きくなったわね。彼方。本当に大きく」


「······お母さん? やっぱりお母さんなの?」


 女性は彼方を引き離し、彼方の顔を見つめる。


「そうよ彼方。あなたの母親よ」


 女性の両目から涙が溢れた。それを見た彼方の涙腺は、十七年分の想いと共に決壊した。


「お母さん。お母さん! お母さん!!」


 子供のように泣きじゃくる彼方。それを優しく抱きしめる女性。僕は身体の消耗を一時的に忘れ、二人の母娘の対面を眺め続けた。


 ······どれ位の時間が経過しただろうか。女性は彼方の背中を擦り、僕に笑顔を向けた。


「······稲田君。彼方を見守ってくれてありがとう。貴方には感謝しても仕切れないわ」


 突然の女性の謝辞に僕は戸惑った。まてよ。あの女性が彼方と言うことは、未来の僕の奥さんって事か!?


「残念だけど、私は貴方の奥さんじゃないの」


 女性は困ったように微笑んだ。え? 僕の奥さんじゃない? どう言う事だ?


「貴方達二人には、どこから話したらいいかしら······」


 彼方の母は語りだした。それは、自分が彼方を身籠った事を知った時に遡った。結論から言うと彼方の父親は僕ではなかった。


 彼方の本当の父親は事故で亡くなったらしい。その時代、人々は食料を確保するのに大変な思いをした。


 身重の彼方の母は山で山菜を探している時に、ニ十九歳の僕と知り合った。僕は彼方の母に食料を分けたり色々世話を焼いたらしい。


 そして僕が清明一族と言う事も知った。彼方の母は気丈にも一人で彼方を産む決意をしたが、出産後彼方は米死病にかかってしまった。


 二十四の一族をまとめる役目を担う春分一族であり、言霊権を所持していた彼方の母は、理の外の存在と交渉した。


 それは僕が、彼方から聞いた内容と同じだった。彼方の母は彼方の祖母と話を合わせ、僕が彼方の父親という事にした。


 そうだ。何故だ? なんでそんな嘘をつく必要があったんだ?


「強い反発心が必要だったの」


 彼方の母は続けた。自分と母親を置いて姿を消した父親。彼方は当然、そんな僕に強い反発心を抱いていただろう。


 強い反発心は反対に作用すれば、強い信頼を生む。この暦の歪みを正す戦いにおいて、僕と彼方の信頼関係は絶対に必要だったらしい。


「稲田君の人柄は知っていたから、必ず彼方は稲田君を信頼すると思っていたわ」


 彼方の母の言葉に僕と彼方は赤面した。


「稲田君。貴方が私と交渉した内容は無効です。何故なら、貴方は言霊権の半分しか所有していないからです」


 半分? じゃあ残りの半分って誰か持っているんだ? ······まさか!


「もう半分は彼方。あなたが持っているわ」


 彼方が不思議そうにしている。彼方の首の後ろにあったあの「霊」という痣。あれは、もう半分の言葉権だったのか!


「言霊権が二つに別れる事は滅多に無い事らしいの。彼方と稲田君。あなた達は二人で一つの言葉権を所有しているのよ」


 二人で一つの······そうだ、僕の交渉が無効なら、何故彼方は生きているんだ?


「米死病には一つだけ助かる方法があるの」


 僕と彼方の疑問に答えるように、彼方の母が答える。


「彼方。稲田君の世界に来て、お米を沢山たべたわね?」


 母親の問いかけに、彼方は小さい子供のように素直に頷く。


「お米を沢山食べる。それが米死病から助かる方法よ。理由は分からないのだけど」


 彼方は呆然とした表情から、自分の両手を眺めだ。


「······お母さん。じゃあ、私死なないの?」


 彼方の母は優しく頷いた。彼方をこの時代に送った理由。この時代ならお米は好きなだけ食べられる。


 彼方の母は、彼方の米死病を治す為にこの時代を選んだのか!


「······理の外の存在は、その力を徐々に弱めているの」


 彼方の母が重そうな表情で呟く。そう言えば郡山もそんな事を行っていた。理の外の存在が力を弱めたのが原因か、人手不足が原因か分からないが、彼方の母に決闘の審判をするよう彼方の母に要請した。


 それはカピバラの着ぐるみを着て、愛する娘に正体を明かせない辛い役目だった。それでも彼方の母は成長した娘を見守れるのならと死後の世界から舞い戻ったという。


「······死後の世界? じゃあお母さんはまた居なくなるの?」


 彼方は不安げな顔で母親の両腕を掴む。彼方の母は哀しそうに両目を細める。


「······彼方。母さんは元々死んだ人間なの。死んだ人間には戻るべき場所があるわ」


 彼方の両目が再び潤み、母親に抱きつく。


「······稲田君。貴方には辛い役回りをさせたわね。本当にごめんなさい」


「い、いえ。僕なんて何もして無いです」


「貴方が彼方に、自分の寿命を渡すと言った時。不謹慎だけど、私はとっても嬉しかったの。彼方をそこまで想ってくれてありがとう」


 僕は赤面して頭を振った。まるで過大評価されている気分だ。彼方の母が一枚の写真を娘に見せた。


 その写真には、優しそうな男性が写っていた。


「彼方。その人があなたの本当の父親よ」


「······この人が、私のお父さん······」


 彼方はその写真をいつまでも見続けていた。




「感動の再開は、いつまで続くのかしら?」


 その声は、突然聞こえた。僕は振り返った

。声は倒れたアルパカの着ぐるみから聞こえた。


 ······アルパカの頭部が胴体から外れている? 僕は月炎に頼みアルパカの着ぐるみを調べで貰った。


 月炎はアルパカの着ぐるみを持ち上げ僕に見せた。その着ぐるみの中身は空だった。何故着ぐるみに誰も入っていない? 波照間隼人はどこに消えたんだ?


「最初からその着ぐるみは空よ。稲田君」


 僕達の後ろに女が立っていた。聞き覚えのある声。それは、制服姿の郡山楓だった。そして感情の伴わない乾いた声を発する。


「波照間隼人は二年前に死んだ人間よ」


 郡山は無表情だ。まるで、人では無いかのような冷たさを感じる。


「郡山。どう言う事なんだ? そのアルパカの着ぐるみは君が操っていたのか?」


「······そうよ稲田君。あなたの注意を私から逸らす為にね」


 僕と郡山の間に、彼方の母が割って入る。


「郡山楓さん。啓蟄一族代表は波照間隼人です。分家のあなたに代表権はありません。よって、あなたに決闘をする権利はありません」


 彼方の母は毅然と郡山を諭した。だが、諭された方は文字通り失笑した。


「······下らない」


 郡山の形のいい唇の端が、吊り上がっていく。


「分家? 一族? 代表権? そんな下らない物、どうだっていいのよ」


 郡山の表情が、みるみるうちに変わっていく。あれは、本当に僕の知っている郡山楓なのか?


「三終収斂」


 郡山は暦詠唱を唱えた。その瞬間、郡山の背後に巨大な石像が現れた。その石像は全長十メートルはあった。


 頭部には顔が三つあり、上半身は首飾りと衣を纏っていた。そして、腕は肩から六本伸びていた。


 これは、まるで阿修羅像だ。たが、阿修羅の三つの顔はそれぞれ表情が違う筈だ。郡山のこの精霊の顔は三面とも激しい怒りの表情をしていた。


 ······三終収斂? じゃあ、さっきの黒装束の精霊は誰の三終収斂だったんだ?


「黒装束の精霊は私が隼人から譲り受けた物よ。稲田君」


 譲り受けた? 郡山が波照間隼人から?


「さあ。最後の決闘を始めましょう。清明一族代表さん」


 郡山の背後に立つ巨大な石像は、怒りの表情をした面を僕達に向けた。


  ······何時だったか、学校の授業で聞いた事がある。阿修羅は紆余曲折を経て仏教の守護神になったと。


 郡山楓は、どんな経緯を経てこの阿修羅像の精霊の主人になったのか。郡山の表情は、感情を欠落させたかのように無表情で冷たかった。

 

 十メートルを超す石像が動き出した。郡山の前に立つ彼方の母は、恐れる様子も無く阿修羅像を見る。


「······この阿修羅像の怒れる顔。郡山楓さん。貴方はどれ程の闇の精神でこの精霊を生み出したのですか?」


 彼方の母からの問いかけは、余りに冷淡な声色で報われる。


「······部外者はどいてなさい。さもなくば死ぬわよ」


 阿修羅像の右腕が動き、彼方の母が立つ場所に振り下ろされた。


「お母さん! 危ない!」


「爽雲!」


 彼方の悲鳴と同時に、僕は気怠そうにしている美男子の名を叫んだ。阿修羅像の拳が、轟音と共に砂漠の砂を撒き散らした。


 間一髪。爽雲が彼方の母を抱きかかえ退避していてくれた。


「お母さん! 大丈夫?」


 彼方が堪らず母の側に駆け寄る。


「大丈夫よ。彼方。母さんはもう死人よ? 二度死ぬ事はないわ」


「······本当にそうかしら?」


 郡山の冷たい呟きに、僕達は黙り込んでしまった。


「私のこの精霊の右腕は魂を掴む事が可能よ。例え死人でもね。そして左腕は、その掴んだ魂を潰す事が出来るの」


 ······魂を破壊出来る? そんな事をされたら一体どうなるんだ?


「無よ。稲田君。無になるの。死後の世界に行くことも、来世に転生する事も叶わないわ」


 ······全てを無に帰す。なんて無慈悲な力なんだ。


「······最後の決闘と思ったけど。稲田君。あなたの精霊達は限界みたいね」


 郡山に指摘され僕は我に帰った。紅華、爽雲、月炎を見ると、三人共に苦しそうな表情をしている。なんでだ? 何故三人がこんなにも辛そうにしている。


「貴方の為よ。稲田君」


 娘の彼方に支えられながら、彼方の母は僕に言った。


「三体の精霊を呼び出せば、普通だったら精神の消耗から貴方は死ぬわ。でも、あの三人は稲田君が負うべき消耗を分担して引き受けているの」


 ······三人が、僕の為にその身を犠牲にしている?僕が辛うじて生きているのは、そう言う訳だったのか。


「紅華! 爽雲! 月炎! もういい。すぐに帰ってくれ!」


 僕の命令は。否。心からの願いは三人に笑顔で拒否された。


「こればかりは聞けません。御主人様。私は最後まで御主人様をお守り致します」


「まあ、こんな美人がそう言ってるからさ。俺も立場上、旦那に付き合わない訳には行かないのさ」


「御主君。心を強くお持ち下さい。某達が道を切り開きます」


 ······止めてくれ三人共! 違うんだ。僕は三人にそこまで言われる程の人間じゃない。


 僕の気持ちなど無視し、阿修羅像は巨大な足で地面を蹴り上げる。紅華、爽雲、月炎は吹き飛ばれてしまった。


「三終収斂!」


 僕の背後で彼方の暦詠唱が聞こえた。振り返ると、彼方の頭上に修行僧の精霊が現れる。


「稲田祐。もう決闘だの言っている場合じゃないわ。あの女を止めるわよ」


 笠を被った修行僧の精霊が、彼方の頭上から飛び立つ。その速さは、あっという間に阿修羅像の眼前に迫って行った。




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