第19話 処暑②

 木製テーブルに取り付けられた液晶画面に、お互いの残存兵力が表示されている。石動さんは九千二百。対して僕は六千百だ。


 先程の石動さんの挟撃作戦で僕は大きな損害を被ってしまった。僕は劣勢を挽回する為に、奇策を弄した。


 一千の別働隊を迂回させ、後方に置かれている石動軍の兵糧を奪おうとした。だが、小さい小川を渡る時、突然の洪水が僕の軍を襲い一千の兵力は全滅した。


 石動さんはなんと上流地点で小川を堰き止めていた。僕の軍が近づいた時それを決壊させたのだ。


 ならばと僕は森に兵を潜ませ、奇襲をかけようとした。しかし、今度は風上に立った石動軍の火矢に炙り出されここでも一千の損害を出した。


 ま、まずいぞこれは。僕の兵力は残り四千弱になってしまった。石動さんは有利に状況にも浮かれる様子も無く、隙らしい隙は見当たらない。


「稲田祐! 総大将同士の一騎打ちを申し込むのよ!」


 か、彼方らしいアドバイスが飛び出した。現在、圧倒的有利な石動さんがそんな申し出を受ける訳がないし、一騎打ちにはリスクが余りにも大きい。


 僕は精霊の力を借りる事を決めた。今日は月の下旬。体を司る月炎がその力を最も発揮する。


 しかし僕は迷った。この状況なら、技を司る爽雲の方が適任ではないかと。だが、月の中旬ではない現在、爽雲は力を十分に発揮出来ない。


 僕は目を閉じ、二つの選択肢のどらかを選ぶか考えた。この決断には、彼方の想いがかかっているんだ。


 僕は、暦詠唱を唱えた。


「次候! 鴻雁北(こうがんかえる)」


 僕の頭上に、七十ニ気神の精霊が現れる。長髪に着崩した派手な着物。整った顔立ちの青年は、あぐらをかきながら気怠そうな表情で僕を見る。


「······旦那ぁ。俺を間違えて呼んだのかい? 今は月の下旬だぜ?」


 不平を漏らす爽雲は、見るからに元気が無さそうだ。やはり本来の時期を外して呼び出されると、精霊は力を発揮出来ないんだ。


「ごめんよ爽雲。でも、どうしても君の力が必要なんだ」


 覇気が無い両目の爽雲に、僕は手早く状況説明をする。僕は爽雲に助言と言う形で協力を求めた。


「······コイツは楽観出来ない状況だね。しかも奴さん、まるで奢りや油断が無いと来てる」


 爽雲の言葉に僕は改めて危機感を感じた。でも妙だ。石動さんは自分の精霊を呼ぶ気配が無い。


「私はあれこれ意見されるのが嫌いでね。一人で考える方が性に合っている。無論、君が精霊を使うのは自由だよ」


 僕の考えを見透かすように、石動さんは一人で戦う事を宣言した。確かに、石動さんのパートナーであるタスマニアデビルの着ぐるみも遠くに追いやられていた。


「······旦那。ここまで兵力差が広がった以上、正攻法では勝てないぜ」


 怠そうな体調を推して、爽雲は真剣な眼差しで僕に話してくれる。僕は頷く。こうなった以上、危険を承知で何か奇策を敢行するしか無かった。


「一つ策がある。危険と隣り合わせだかね。一口乗ってみるかい? 旦那」


 爽雲は不敵に笑った。僕は乗ると即答した。


「石動さん! 僕は総大将同士の一騎打ちを申し込みます!」


「そうよ稲田祐! ようやく私の一発逆転の良策を理解したのね」


 彼方が片腕を挙げ喜ぶ。確かに。彼方のこの作戦は違う意味で効果が期待出来たのだ。


 石動さんは当然一騎打ちを拒否した。その途端、石動軍の士気は低下し、逆に稲田軍の士気が上昇した。


 石動さんはそれを意にも介さず、黙黙と進軍する。僕は五百の騎兵を後方に残し、残りの兵力をすべて突撃させた。


 石動軍と稲田軍が正面から激突する。明らかな兵力差は直ぐに結果となって現れた。僕の軍は文字通り蹴散らされた。


 生き残った僕の残兵が四方に散り散りに移動して行く。石動さんはそれを掃討する事も無く、僕の残った五百の騎兵に向かってきた。


 石動さんの行動は当然だった。総大将を含む僕の残りの騎兵を倒せば勝利者となるのだから。


 僕は騎兵の機動力を駆使し、石動軍から逃走した。石動軍も僕を追いかける。僕が逃げ続ける間、四方に散った僕の敗残兵が北に集まっている事に、石動さんは気づかなかった。


 北側に僕の敗残兵が集結した。その数一千。その場所は、正に石動軍の兵糧が置かれている場所だった。


 僕は爽雲の顔を見る。爽雲は片目を閉じ笑みを浮かべた。僕の一千の敗残兵は、石動さんの兵糧に襲いかかった。


 石動さんの五百の守備兵は倍の相手に敗れ、僕は石動さんの兵糧を奪う事に成功した。


「······なる程。この為にわざと少ない兵力で突撃して来たのか」


 石動さんが感心したように呟く。カピバラが警告する。兵糧を失った石動さんが行動出来る時間は、残り五分だと。


「旦那! 気を抜くなよ。残り五分の間、追いつかれたら一撃でやられるぞ!」


 爽雲の言う通りだ。たった五百の僕は、石動さんの軍勢に太刀打ち出来ない。こうして、壮絶な追撃戦が行われた。


 追う石動さん。逃げる僕。この間、石動さんは一騎打ちを申し込み僕は拒否した。さっきと逆の事が起こった。


 石動軍の士気が上がり機動力が増した。稲田軍は士気が下がり機動力が減少した。石動さんは最後まで冷静だ。本当に強いこの人。


「ちょっと稲田祐! なんで一騎打ちを拒否するのよ! 男らしくないわよ」


 た、頼むから今は黙ってて彼方! 僕の騎兵はとうとう追いつかれ石動軍に包囲された。


「今だ旦那! 叩きつけろ!」


「ああ! 行けぇ!」


 爽雲の声に僕が答える。僕は石動さんの兵糧を奪った一千の兵力を、石動軍の後方に近づけていた。


 無防備な後方を強襲され石動軍は乱れた。しかし石動さんは損害を無視して僕の五百の騎兵に襲いかかる。


 僕の騎兵は次々と討ち取られて行く。自軍の総大将に敵兵が迫った時、僕はもう駄目かと思った。


「五分が経過しました。処暑一族代表は作戦行動が不可能になります」


 石動軍の動きが停止した。カピバラが僕の勝利を宣言する迄に、僕は緊張から身動きが出来なかった。


「······石動さんは、戦史に詳しいんですか?」


 敗北しても全く動揺してない石動さんに、僕は質問した。


「ん? ああ。一時期研究していた事があってね。その時ある法則を見つけたたんだ」


 石動さんの話によると、古来より兵站を軽んじた軍と国は例外無く亡んでいると言う。


 研究した筈なのに自分が兵糧を奪われるとは。石動さんはそう言って苦笑した。やっぱりこの人は、学問に対して純粋な人なんだ。


 僕は石動さんに暦の歪みを正すように命じ、その指導監督をタスマニアデビルに命じた。


「仕事から離れられるから、好きな研究が存分に出来るよ」


 石動さんは笑いながら去って行った。僕は身体を重く感じた。何故だろう。いつもより精霊を呼び出す負担が大きい。


「それが代償よ。不向きな時期に精霊を呼び出した」


 彼方が理由を教えでくれた。そうか。苦しいのは爽雲だけじゃないんだ。僕は爽雲に近づき、ある事を耳打ちした。


「······本気かい旦那? 理の外の存在。奴らに探りを入れるの簡単じゃないぜ?」


「勿論君の安全が最優先だ。危険だと思ったらすぐに手を引く事。頼めるかな?」


 僕の言葉に、爽雲は寝そべりながら空に浮き上がっていく。


「まあ旦那の頼みだ。やるだけやってみるよ」


 そう言えば、爽雲がいつも持っていた木製の傘が見当たらない。傘を差す事は、もう止めたのだろうか?


「······ああ見えてあの傘は重たくてね。持ち続けるのは大変なんだぜ?」


 爽雲はそう言って消えて行った。彼の前に降る雨が、早く止むようにと僕は願う。


 その時、突然警報音のような音が聞こえた。それは、さっき迄僕と石動さんが決闘に使っていた木製テーブルからだ。


 僕と彼方は急いでテーブルの液晶画面を見た。その画面には、僕と石動さんの軍の他に新たな軍勢が発生していた。


 な、何だこれ? 決闘は終わった筈だぞ? 謎の軍勢は、兵力三万と表示されていた。三万の軍勢は、あっという間に僕と石動さんの軍を倒していった。


「これで僕が勝利者って事かな?」


 誰かの声が聞こえた。僕と彼方は、声がした方向を見る。そこには、初めて見る着ぐるみが立っていた。


 ······白い毛並みに長い首。もしかして、あれはアルパカの着ぐるみか? 一体いつの間に現れたんだ。しかも、その声はカピバラ同様に機械音だった。


「ルールを無視した乱入。あんな行為で勝利など認めません」


 カピバラがアルパカの前に立ちはだかる。アルパカは両手を大袈裟に広げた。


「なあんだ残念。処暑一族と清明一族。手っ取り早く二つの一族に勝てたと思ったのに」


「······貴方は何者ですか?」


 カピバラはアルパカに質問する。アルパカは再び大袈裟に手を振る。


「察しがついてる癖に。初めまして。啓蟄一族代表、波照間隼人(はてるまはやと)と申します」


 け、啓蟄一族代表? なんで暦の歪みを助長している張本人がこの異世界に現れるんだ?


「本来、僕のコーチに付く筈だったタスマニアデビルの力を借りたんだよ。稲田祐君」


 な、なんで僕の考えが分かったんだ? 僕は疑問を口にしていないぞ?


「······啓蟄一族代表に問います。そのタスマニアデビルをどうしたんですか?」


 カピパラが緊迫性に欠ける機械音でアルパカに質問する。


「僕を見つけられずオロオロしていたから保護してあげただけだよ。代わりにその能力を貰ったけどね。お陰でこうして、ここに来る事も出来たって訳」


 ······この波照間隼人って男。機械音でどんな声をしているの分からないが凄く嫌な感じがする。


「ちょっと波照間島とやら! あんた一体どういうつもりなの!?」


 彼方が怒りを込めて波照間隼人を問い詰める。彼方の怒りは当然だ。お母さんの想いを邪魔する諸悪の根源を目の前にして、冷静でいられる筈が無い。


「い、出雲彼方さん。僕は波照間島じゃなくて波照間。そこんとこ間違えないでね」


 波照間隼人ことアルパカの着ぐるみが困ったように両手を振って訂正する。


「そんなの似たようなモンでしょ! どういうつもりで妨害しているかって聞いてんの!」


「地球の為だよ」


 波照間隼人は短く言い切った。僕も彼方もその言葉に一瞬固まる。


「このまま暦の歪みを正しても、この地上に人間がいる限り暦の歪みは永遠に無くならない」


 波照間隼人は続ける。このまま暦の歪みを大きくし地球を人間が住めなくする。人間が居なくなれば時間はかかるが地球は自浄作用が働き、再び正しい気候を取り戻すと。


「大きな意味で言えば、僕こそ暦の歪みを正そうとしているのさ」


 ······な、何を言っているんだコイツ? じゃあ、人間は絶滅しろって言うのか?


「流石に絶滅はしないと思うよ? 人間ってゴキブリより繁殖力があるからね。しぶとく生き残った連中がまた増えて行くんじゃないかなあ」


 こ、この男の言葉には、人間らしい温かみがまるで感じられない。


「冗談言わないで! そんな事、絶対にさせないわよ!」


 彼方が波照間隼人に今にでも掴みかかろうとしたので、僕は必死に彼方を止めた。


「あと数ヵ月で死ぬ君に何が出来るって言うの?」


 波照間隼人のその一言に、僕の頭の中の線が一本切れた。気付くと僕は、アルパカの着ぐるみに掴みかかっていた。


「言っていい事と悪い事があるだろう!!」


「い、稲田祐! 落ち着いて」


 彼方が僕の肩を押さえる。波照間隼人は構わず言葉を続ける。


「必死だね。稲田祐君。何故君はそこまで出雲彼方さんの為に頑張るの? 同情心から?」


 僕の頭の中の線が、また一本切れた。


「好きだからだよ! 好きな人の為に必死になって何が悪い!」


 ······今、僕はなんて言った? なんて言わされた? 振り返ると、彼方が蒼白な顔で僕を見ている。


 ······そうだよね。僕なんかに好きだって言われても迷惑だよね。


 ······分かってる。分かってるけど、そんな顔をされるとやっぱり胸が痛む。


「なんて感動的な告白! 出雲彼方さん。君にはそれに返答する義務があるよ?」


 波照間隼人の人を食った言い様に、彼方はアルパカを睨みつける。僕はうなだれて彼方の顔を見れない。


「······稲田祐。私があんたを好きになる事はないわ。天地がひっくり返ってもね」


 改めて言葉にされるとキツイなあ。そうだよね。分かっていた事だ。僕なんかに······。


「報われない恋心! その理由を稲田君に教えてあげたらどうだい? カピバラさん」


 アルパカの物言いにカピバラは沈黙を守っている。そんなカピバラを嘲笑するように波照間隼人は呟く。


「貴方も辛い所だね。真実を伝えられないって言うのは」


 カピバラは僕の前に立った。そして、いつもの機械音で僕に伝える。


「稲田祐さん。落ち着いて聞いて下さい」


 何を落ち着けと言うのだろう。好きな娘に迷惑だと言われたばかりの僕に、響く言葉など何一つ無いのに。


「出雲彼方さんは、あなたの未来の娘です。あなたと出雲彼方さんは、親子関係にあります」


 僕は、カピバラが何を言っているのか分からなかった。脳は言葉を理解しても、心がそれを拒否していた。


 僕は必死に、カピバラの言葉を頭の中で追い払おうとしていた。

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