第20話 処暑③
僕は高層ビルの頂上に腰掛けていた。隣には白い着物の少女。いつもの夢だ。少女は僕に微笑み、僕の膝の上に乗る。
······今迄。この少女の顔を見てもどうしても思い出せなかった。それがどうだろう。今はこの女の子が誰か僕には分かる。
この少女は彼方だ。断言は出来ないが、少女の顔はとても彼方によく似ていた。何故この少女が僕の事をお父さんと呼ぶのか。
······今なら分かる。僕が彼方の父親だからだ。彼方が生まれた時、僕は既に居なかった。当然、彼方は父親を知らない。
僕のこの夢にも出てくる彼方は、父親に甘えられなかった心の隙間を埋める為に、僕の側に現れたのかもしれない。
少女は嬉しそうに僕の膝の上ではしゃぐ。何故だろうか。僕はこの少女を堪らなく愛おしく感じる。
彼方を好きだと思う気持ちとは違う。まるでこれは、娘を想う父親の気持ちだろうか。この少女も同じ彼方の筈なのに。
······夢はそこで途切れた。僕は布団の上で戻りたくもない現実に引き戻される。八月もあと二日で終わる朝だ。
開けっ放しの窓。網戸の隙間から見える空は、今日も快晴だった。
前回の決闘から一週間後。僕は江ノ島駅改札にいた。改札口には紅いノースリーブを着た郡山が立っていた。
「稲田君。来てくれたのね。嬉しい」
学年有数の美女が嬉しそうに微笑む。僕等は駅から江ノ島に向かって海沿いを歩いて行く。
青い空をトンビが元気よく飛んでいる。小学生位の子供達が笑いながら僕と郡山を追い抜いて行った。
僕は足を止めた。振り返った郡山が、長い髪を潮風になびかせながら僕を見る。僕は今日、郡山とデートをする為に来た訳では無かった。
「······郡山は、二十四の一族の関係者なの?」
「え? 稲田君何それ。何の話?」
郡山が困ったように首を傾げる。僕は確信を持って動じなかった。僕は黙って郡山を見つめ続ける。
「······どうして分かったの? 稲田君。私が一族の者だって」
郡山の表情が一変した。柔和な顔から、冷たい顔立ちになる。
「······簡単な消去法だよ。君が僕に近づく理由を探した。僕にあるのは清明一族代表という事実だけなんだ」
そして郡山が僕によく話しかけて来るようになった時期。それは、僕が暦の歪みを正す戦いに巻き込まれた時と一致する。
それらを総合的に考えた時、郡山は何らかの意図があって僕に近づいたと考えるしかなかった。
当然、そうすると郡山は一族の利害関係者になる。
「······意外と鋭いのね稲田君。波照間君が言っていた通りだわ」
「波照間!? 郡山。君は波照間隼人を知ってるのか?」
「波照間君の思想の賛同者であり協力者。そんな所かしら」
······以前、彼方は言った。郡山みたいな優等生タイプは裏があると。その裏の顔が、波照間隼人の協力者だなんて。予想出来る筈も無かった。
「······郡山。波照間隼人が何をしようとしているか分かっているの?」
郡山は潮風に飛ばされそうになった麦わら帽子を片手で押さえた。その帽子のつばの奥に見えた郡山の瞳は、とても恐い目をしていた。
「······ねえ稲田君。私、毎日退屈なの。つまらない授業。下らない同級生。愚かな政治と国。救いようが無い世界と未来」
郡山は言葉を重ねるごとに、言葉の温度が下がって行くように感じた。それはまるで、全てを侮蔑するかのようだった。
「だから波照間君に協力するの。世界を一度リセットするなんて素敵じゃない? 余計なゴミを一掃するの」
······僕の目の前にいるのは、僕が知っていた優等生の郡山じゃなかった。波照間隼人と同様、人の命を何とも思っていない人間だ。
「稲田君に興味があるのは嘘じゃないわ。稲田君は変わったわ。今のあなたは強い意志を持ち、とても魅力的よ。だから、稲田君も私達に協力して欲しいの」
「······波照間隼人に協力しろと? 僕にそう言っているの? 郡山」
「そうよ稲田君。あなたは今、決闘で勝った九つの一族に命令する立場にいる。あなたが協力してくれれば、波照間君の目的も早く達成出来るわ」
······僕は前回の決闘から今日まで、自分の事ばかり考えていた。好きな相手に振られ、その振られた相手はよりによって未来の自分の娘だった。
振られたショックと自分の娘を好きなった自分の異常さに僕は塞ぎ込んでいた。でも、郡山のこの言葉で僕は目が覚めた。
僕が自分を憐れでいても、彼方の過酷な運命は何一つ変わらないからだ。僕は郡山に向かって首を振った。
「······郡山。僕がする事は変わらないよ。この暦の歪みを必ず正す。波照間隼人がそれを邪魔するなら彼とも戦う」
僕の言葉に郡山は表情を変えなかった。僕に近づき耳元で小さく囁く。
「稲田君。やっぱりあなたは素敵よ。私、諦めないから」
そう言い残して郡山は去って行った。以前、彼方は僕に言った。言葉には信じられない力があると。
彼方の言う通りかもしれない。僕は郡山に向けて発した言葉で、自分の気持ちが奮い立つ事に気づいていた。
駅から自宅に帰る途中、僕はいつもの公園に寄った。何となく彼方がいるかと思ったからだ。
彼方はベンチに座っていた。僕は彼方の側に行き隣に座った。八月ももう終わりなのに、木にしがみつき鳴く蝉達は元気だ。
最初に口を開いたのは彼方だった。
「何が理由で、身重のお母さんからあんたが去ったのか分からない。それが祖母から聞いた話よ」
彼方は苦しそうな表情で話す。妻と子を捨てて居なくなった男の事なんかもっと怒っていいのに。
「どうしてお母さんが自分から去ったあんたの過去に未来を託したのか分からなかった」
僕は黙って彼方の話の続きを待つ。僕に何か言う権利なんて無いと思ったからだ。
「私達を捨てたあんたのコーチなんて、絶対に嫌だったわ。でも、お母さんの想いを無駄に出来なかった。それに······」
彼方らしくないか細い声で彼女は言葉を続ける。
「それに、見た事も無い自分の父親を見てみたい。心の何処かでそう思っていたの」
「······僕を見て、やっぱりがっかりしたかな?」
彼方はベンチから立ち上がった。手にしていた白い日傘は彼方の足元に落ちた。
「ええその通りよ! がっかりも良い所だったわ!あんたは鈍臭くて、臆病で、気弱で!」
彼方の声が少しずつ震え始めた。
「いつも人に気を使って! 人にも精霊にもお節介で!」
それは震えから、上ずった声になる。
「······いつも、人に為に一生懸命で······」
······彼方は泣いてた。両手を握りしめ、震える肩を小さくしていた。
「······あんたが、嫌な奴なら良かった。あんたが父親じゃなかったら······」
僕は立ち上がり、足元に落ちた日傘を拾った。彼方をその日傘の中に入れる。
「彼方。未来の僕は酷い父親で、彼方達に何もしてあげられなかった」
言葉が、自分の言葉が心に勇気をくれる。
「でも今は! 今僕は彼方の側にいる! 約束するよ。必ず彼方の願いを果たすって」
僕は不思議な気持ちだった。こんな力強い心を持ったのは初めてだ。弱い僕でも、大切な人の為にならこんなにも勇ましくなれる。
「······うん。ありがとう。稲田祐」
涙ぐんだ彼方は、小さく呟いた。お礼を言われる資格なんて僕には無いのに。
明日からまた特訓を開始する事を約束し、彼方は去って行った。僕は彼方を見送った後、爽雲を呼び出した。
あぐらをかいた美青年が僕の頭上に現れた。
「······旦那。例の件。裏が取れたぜ」
爽雲がいつになく真剣な表情で僕を見る。
「ありがとう爽雲! 危険は無かったかい?」
「それが妙な話でね。奴ら理の外の存在は、余りにも無防備だったんだ」
······理の外の存在は、情報管理に限って緩いのだろうか?
「とにかく旦那の予想通りだったよ。旦那のその首元の痣。それは言霊権の所有者の証だ」
······やはりそうだったのか。言霊権。数百年に一度、理の外の存在と交渉出来る権利。
でも変だ。その言霊権は十三年後僕の奥さんであり彼方の母が使う事になる。何故今、言霊権が僕の所にあるんだ?
疑問を残しながら僕は爽雲に礼を言い、爽雲は手を挙げ消えて行った。僕はベンチに座り込み、言霊権について考え込む。
「それは、言霊権が一番相応しい一族に与えられるからです」
僕の眼の前に、カピバラが突然現れた。いつもの機械音で僕の疑問に答える。
「本来なら、この時代には言霊権を得る一族は存在しませんでした。ですが、一族同士の決闘が発生し、優れた資質を持つ稲田祐さんが選ばれたのです」
······この言霊権の事を知った時から、ある考えが僕に浮かんでいた。でもそれは、彼方が絶対に許してくれない事だ。
でも、彼方が自分の未来の娘と知ってから僕の迷いは消えた。僕はカピバラに申し出た。
「この言霊権を行使し、理の外の存在に要求したい事がある」
「······どのような要求でしょうか?」
「······僕の残りの寿命を、彼方に譲渡して欲しい」
カピバラは黙り込んだ。以前カピバラは言った。出雲親子の寿命の譲渡は例外中の例外だと。
僕の申し出は、その慣例を破る無理難題かもしれない。でも僕には一つの仮説があった。
「······言霊権は、単なる交渉権だけじゃない。違うかい?」
カピバラの顔が一瞬動いたのを、僕は見逃さなかった。
「言霊権は何か大きな力じゃないのかな? 例えば理の外の存在。あなた達を脅かす位の」
確証があった訳ではなかった。ただ一つ思ったのだ。彼方のお母さんの要求を。ただの交渉権なら、理の外の存在が突っぱねればそれで済む。
そう出来ない理由が、この言霊権にはある筈だ。僕はそう感じていた。
「······いいでしょう。稲田祐さん。あなたの要求を受け入れます。寿命の受け渡し日は立冬の十一月七日。よろしいですね?」
僅かな小さかった希望が、僕の中で急速に大きく膨らんで行く。
「······念を押しておきますが立冬の正午。あなたは死にます。いいですね?」
「······うん。それで構わないよ。但し、彼方には秘密だ。いいね?」
カピバラは頷き消えて行った。僕はベンチから立ち上がりガッツポーズをして叫んだ。
よし! これで彼方が死ぬ事は無い! 僕が死んだ後は彼方に役目を引き継いでもらえばいい。
僕が決闘で勝った他の一族達には、彼方の命令に従うようお願いする。これで問題は全く無い。
······問題はあった。彼方の気持ちだ。彼方は母親から寿命を譲られた。その上に、未来の父親から同じ事をされたら。
こんな酷い父親の僕でも、彼方はきっと怒るだろう。二度僕を許してくれないかもしれない。
でも僕には、それをする正当な権利と義務があった。父親が娘の為に命を使う。この行為を批判出来る者は居ない筈だ。
僕は胸の中にあった大きな重りが消えて行く気持ちになった。
······これでいい。これ以外の選択肢なんて無いんだ。
僕は顔を上げ、馴染みになったナンキンハゼを見る。目の前のナンキンハゼは、無言でその枝の葉を風に揺らしていた。
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