第18話 処暑①

 すかっり馴染みになった近所の公園で、僕はナンキンハゼの心の声に耳を傾けていた。夏休み中、毎日通ったせいかナンキンハゼの機嫌はとても良い。


 その余波が他の木々にも伝わったのか、この公園の植物の調子は良さそうだ。でも僕が感じるのは木の心のイメージであって、相変わらず言葉は聞き取れなかった。


 ナンキンハゼの枝葉の隙間から強烈な日差しが差し込んで来る。今日は八月二十三日。暦の上では処暑だ。


 涼しい風が朝と晩に吹く頃らしい。現実は涼しい風どころか厳しい残暑の毎日だ。僕は木から頭を離し公園の時計を見る。


 もうすぐ十一時。彼方がこの公園に来る頃だ。今日は彼方と精霊の特訓をする予定だった。


 彼方が来る迄ベンチで一休みしようと思ったら、ベンチには先客が居た。つばの長いピンクの帽子を被った若い女性は僕に向かって微笑んだ。


「こ、郡山!?」


 帽子とお揃いの色のワンピースを着た郡山楓が、イヤホンを耳につけながらベンチに座っていた。


「偶然ね。稲田君。こんな所で会うなんて」


 郡山は散歩の途中、この公園に立ち寄ったらしい。二週間程前、郡山から電話してねと言われた事を思いだし僕は気まずくなった。


 結局僕は郡山に連絡してないのだ。僕は焦り、なんとか無難な話題を探した。


「お、音楽を聴いていたの?」


「うん。稲田君、この動画知ってる? 今凄く話題になっているのよ」


 郡山が手に持っているスマホの画面を僕に見せる。それは、学園祭のバンド演奏の動画だった。タイトルには「セプタンブル無双!」とあった。


 ボーカルの女の子は彼方と同い年位だろうか。その歌声はとても惹きつけられる声だった。


 再生回数を見ると、ひゃ、百万回!? 郡山の話によると、この話題にレコード会社が興味を持ち、このバンドにCDデビューを持ち掛けたらしい。


 でもそのボーカルの女の子は一言の元断ったらしい。


「一生分の勤労意欲を文化祭で使い果たしたから無理です。そう彼女は答えたんだって」


 郡山は口を手で抑え笑った。良かった。特に郡山は怒ってないみたいだ。


「ねえ、稲田君。夏休みももう終わりだし、最後に私とデートしてくれない?」


 郡山ははっきりと僕をデートに誘ってきた。なんだろう。この違和感。やっぱりどう考えてもおかしい。


 学年有数の美女が、教室の隅で目立たない僕をデートに誘うなんて。


「······変だよ郡山。郡山みたいな美人が僕みたいな男子を誘うなんて」


「そんな事はないわ。稲田君。そうね。以前の稲田君だったら私も興味が湧かなかったわ。でも、最近の稲田君は前とは違う」


 郡山の表情は真剣に見えた。最近の僕は違うって·。一体何が違うんだ?


「具体的に何がって言われても困るんだけど。そう感じるの」


 目を伏せ唇に指を当てた郡山は、ベンチから立ち上がり僕に笑いかけた。


「稲田君。来週の日曜日。江ノ島駅の改札で十二時。私待ってるね」


 郡山はそう言い残して公園から去って行った。学年有数の美人からデートに誘われた僕は、嬉しさよりも最後まで違和感が消えなかった。


 郡山と入れ替わるように、公園に純白のセーラー服を着た少女がやって来た。白い日傘を差した彼方はいつものように姿勢正しく歩いて来る。


「稲田祐。今日の特訓は休みよ」


 突然の特訓休止宣言に、僕は面食らった。僕が理由を聞く前に彼方が口を開く。


「稲田祐。夏休みに入ってアンタは毎日欠かさず特訓を続けたわ。精神を休ませる為にも今日はゆっくり過ごして」


 彼方はいつになく穏やかな表情で話す。これって特訓を頑張ったご褒美かな? そう思った時、僕の頭に何かが閃いた。


「か、彼方! じゃあ今日一日、僕に付き合ってもらえない?」


「え?」


 ······正午を過ぎた頃、僕と彼方は江ノ電に乗っていた。夏休みのせいか、二両編成の車内は学生と思われる若者達が多く乗り合わせていた。


 車両に触れるかと思う程、線路の脇の家々が僕達の前に迫る。それを抜けていくと電車の窓の外に海が見えてきた。


 太陽の日差しに海面が反射し、彼方は目を細め、それを見つめていた。


 長谷駅で僕等は下車し、駅からほど近いお餅屋さんに彼方を連れて行った。


「ここの餡が乗ったお餅が美味しいんだ。あ、もちろんこし餡だよ!」


 お餅屋さんから近くの公園に移り、僕等は買ったお餅を食べた。


「······美味しい」


 彼方は目を輝かせお餅を食べてくれた。僕はそれを見ただけで何も要らないって位嬉しくなった。


 お餅を食べ終わった僕達は、鎌倉大仏を見た後に店に入りシラス丼を食べた。鎌倉駅に移動し小町通りの賑わい中を歩く。


 彼方は軒を連ねる色々の店を珍しそうに見ていた。


「稲田祐。ここは何の店?」


 彼方は、二つの店の間に置いてある猫の絵が描かれた看板を指さした。


「あ、これパン屋さんだよ。ハードパンが美味しい店なんだ」


 以前利用した事があった店だった為、直ぐに彼方に説明出来た。僕等は建物の間の狭い小道を奥に進んだ。


 そこに隠れ家のようなパン屋が営業していた。そこで買った餡がぎっしりと入ったアンパンを、彼方は夢中でほおばった。


 その後僕等は鶴岡八幡宮でお参りをした。彼方は何を願ったのだろうか。時間はあっという間に過ぎ、江ノ島駅に降りた頃夕日が海に落ちかけていた。


 僕は男の癖に夕日を眺めるのが好きだった。隣の彼方を見ると、彼方も黙って夕日を見つめている。


「······彼方。今日は付き合ってくれてありがとう」


「······私も。色々とご馳走さま」


 お礼が食べ物の事とは。彼方らしくて笑いが込み上げて来た。


「······こんなにも贅沢な物を口にして、もう充分。心残りはないわ」


 彼方は両腕を上に挙げ背筋を伸ばした。その言葉に僕の頭の中のネジが一本外れた。


「彼方は他にどんな食べ物が好きなの? どんなファッションが好き? 好きな芸能人は? 好きな音楽は? 行ってみたい所は?」


「ちょっ、ちょっと稲田祐?」


 彼方は僕の剣幕に怯んだ様子だったが、僕は構わず畳み掛ける。


「立冬まで彼方のやりたい事全部やろう! 僕が付き合うから。そうしよう! まだ今日の内に出来る事あるかな? ねえ彼方、何がしたい?」


「稲田祐!」


 彼方に一喝され僕の暴走は停止した。僕を見る彼方が苦笑している。


「······アンタって、本当に涙腺が弱いわね」


 ······僕はまた泣いていた。泣く事は彼方に失礼だと気をつけていたのに。


「······アンタが。もっと嫌な奴なら良かった」


 彼方はか細い声で呟いた。目を伏せ、左手て右腕を掴む。


「······聞いていた通りいい加減な奴なら、割り切って自分の仕事をするだけで良かったのに」


 ······彼方? 彼方は何を言っているのだろうか。僕が彼方に一歩近づいた時、目の前にカピバラの着ぐるみが現れた。


 ······今日だけは。この時だけは。この着ぐるみを見たくなかった。だがカピバラは僕の気持ちなど無視するかのように機械音を発する。


「転移、開始します」


 江ノ島で夕日を眺めていた僕と彼方は、一瞬で異世界に飛ばされた。


 僕は砂漠の砂の上に足を着き、必死に気持ちを切り替えようとした。集中するんだ。決闘相手に。


 僕と彼方は砂の世界を見回す。そして言葉を失う。前回まであった僅かな植物達が消失している。


 唯一残っていたきなこちゃんの若木が、枯れかけていた。


 ······これは、一体どう言う事なんだ?


「啓蟄一族代表の仕業ね」


 彼方が険しい顔で断言した。こんな怒った表情の彼方は初めて見る。


「大寒一族代表、及び小寒一族代表が啓蟄一族代表に敗れました」


 カピバラが僕の疑問に答えるように、冷たい機械音で知らせる。


「この砂漠の現状を考えると、啓蟄一族代表は本格的に暦の歪みを助長しているようね」


 彼方の言葉にカピバラが頷く。啓蟄一族代表は、自分が勝利した四つの一族代表に暦の歪みを進行させるよう命令しているらしい。


 その元凶の啓蟄一族代表がどこの誰か特定出来ないのだろうか?


「千里眼」


 彼方は短く呟いた。今、千里眼って言ったのか?


「古来から啓蟄一族は、千里眼と呼ばれる能力を持っているらしいの」


 それは未来を見通す力とも、人の心が分かる力とも言われていた。理の外の存在が捜索してもその正体に辿り着けないらしい。


「······出雲さんと稲田さんは、引き続き決闘に力を尽くして下さい」


 カピバラが僕等を促すと、砂漠の平地から今日の決闘相手がタスマニアデビルと共に歩いて来た。


 タスマニアデビルの隣に居るのは男性だ。白いワイシャツとネクタイ。その上に白衣を着ている。


 髪はボサボサで、目は吊り目。なんだか不健康そうな人だった。


「両一族代表は、お互いに自己紹介して下さい」


「清明一族代表、稲田祐。十八才、高校三年生です」


「······処暑一族代表、石動卓(いするぎたく)四十二歳、数学教師です」


 数学教師か! 確かに理系の教師は白衣を着ている人が多い。


「気分は戦国軍師! 今日の決闘は、戦略シミュレーション対決とします」


 せ、戦略シミュレーション対決? 僕と石動さんの間に木製のテーブルと椅子が現れた。そのテーブルの表面は液晶画面になっている。


 液晶画面には、鎧を纏ったタスマニアデビルの画像が流れている。な、なんだこりゃ?


 カピバラの説明によると、僕と石動さんは戦国時代の指揮官になってお互いの軍を戦わせる。


 勝利条件は以下の三点だ。一つは相手の総大将を打ち取る。一つは相手の兵糧を奪い作戦行動を不能にする。一つは制限時間が終わった時、兵力が多い方。


 戦国ゲームと思えばいいのかな? 僕は直ぐにその考えを捨てた。ゲームじゃない。これは、暦の歪みを正す為の戦いなんだ。


 僕と石動さんは木製の椅子に座る。液晶画面に戦場に選ばれた地形が映した出される。地形は平原だ。大きな障害物は見当たらないが、いくつかの小さい森、小川があった。


 僕と石動さんに与えられた兵力は同数の一万。内訳は歩兵七千、騎兵二千、弓矢隊一千だ。


 僕と石動さんは頭の中で思い描くだけで、この兵力を自由に動かす事が出来るのらしい。


 尚、石動さんにはタスマニアデビルが。僕には彼方が自由に助言を求めてもいいとの事だ。


「彼方。戦国時代の戦いについて詳しい?」


「任せて。反則行為は得意よ」


 ······こ、この戦いをスポーツと混同している彼方に期待は出来ない。僕は一人で戦う事を覚悟した。


「制限時間は一時間。それでは決闘を開始致します」


 砂漠の世界で、三人の人間と二体の着ぐるみが、一つのテーブルを注視する。僕と石動さんの戦いが始まった。


 液晶画面に自軍が表示される。僕は後方に置かれている兵糧に一千の歩兵を配置し、残りの九千の兵力を一つに集中させた。


「······兵力の集中は基本。いい判断だ」


 石動さんが小声で呟いた。聞き耳を立てると、石動さんは何やらブツブツと呟いてる。


 ······こういうタイプの理系の先生よく居たなあ。僕は理系の科目が破滅的に苦手だったから、授業が苦痛で仕方なかった。


 でも、理系の教師は個性的な性格が多いけど憎めない人柄が多い気がする。それは学問に対する純粋さ。そんな誠実さがこの人達には感じられる。


 僕は密集体型の陣形で進軍する。一方の石動さんも五百の兵を兵糧の警護に残し進軍する。


 僕と石動さんの戦いは、弓矢の打ち合いから始まった。運良く僕は風上に位置した為、弓矢の威力が増し石動さんの損害が僕を上回った。


 前哨戦が終わり、本体同士の戦いに突入する。僕には兵法なんて知識は無い。頼りになるのはゲーム経験だけだ。


 石動さんの実力が分からない以上、奇策など考えず正攻法で攻める。両軍、互角の攻防が続いたが、石動さんの陣容に変化が起きた。


 僕の軍勢の先頭集団が突出し、石動さんの陣は中央が突破されつつあった。このまま上手く進めば、後方に位置する石動さんの総大将を打ち取れるかもしれない。


 僕は自軍を三角形の陣形に変えて、一気に中央突破を計った。だが、それは石動さんの罠だった。


 石動さんの軍は二つに割れた。中央突破した形の僕は、石動軍の総大将を見つけられなかった。


 石動さんは総大将を予め自軍の右翼に配置してたのだ。二つに割れた筈の石動軍は、整然と僕の軍を左右から挟み撃ちにする。


 僕は大きな損害を出しなんとか後退した。つ、強いこの人!


「······迷わず後退したか。いい判断だ」


 石動さんの呟きが聞こえた。僕は木製のテーブルに両手を置きながら、かつてない危機感に襲われていた。

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