第17話 立秋②

 家族や友達から誕生日をお祝いされない。それは悲しくて不幸な事だろうか。でも、人間慣れるとさほど気にならなくなる。


 八月六日。今日が誕生日の僕は、自分自身の記念日を普通にスルーするつもりだった。


 僕と彼方は砂漠の世界に降り立った。さっきのカピバラの話のせいか、緑化の進行具合が気になる。


 結果は芳しく無かった。今までにあった緑が減少している。これは停滞と言うよりむしろ後退だ。


 彼方も僕と同意見らしく、厳しい表情でその光景を見ていた。


「稲田祐。啓蟄一族の事は置いておいて、決闘に集中して」


「うん。分かってる。僕、頑張るから」


 好きな娘が出来ると、あんなに嫌だった決闘もやる気と力が湧いてくる。僕はもう決闘に負けると自分の存在が消されるとかどうでも良かった。


 それよりも彼方と彼方のお母さんの想いを必ず果たす。それしか考えて無かった。砂漠の向こうから今日の決闘相手がタスマニアデビルと共に歩いて来た。


「両一族代表は、お互いに自己紹介してください」


 カピバラが僕と決闘相手の中央に立ち、機械音で場を進行する。


「清明一族代表、稲田祐。十七······いえ、十八才。高校三年生です」


「立秋一族代表、鳥飼みなり(とりかいみなり)。二十五歳、事務の仕事をしています」


 鳥飼と名乗った女性はOLさんか。短い髪に化粧は薄め、眼鏡の下の両目は生真面目そうに見える。


 白いブラウスの上に紺のベストとスカート。鳥飼さんは仕事中に転移させられたと思われた。


「恐怖のスリルで夏の暑さを吹き飛ばせ! 本日の決闘は肝だめし対決とします」


 き、肝だめし? 気づくと僕らの間の前に、洋風作りの巨大な館が屹立していた。ま、まさかこの館の中で肝だめしをするのか?


 カピバラの説明が続く。僕と鳥飼さんはこの館に入って様々な仕掛けを体験する。その時の叫び声の声量。汗の量。心拍数の振れ具合の大きさ。


 館を出た時にそれらを総合的に計算し、恐怖指数が大きい方が負けとする。こ、今回は肝だめしか。


 鳥飼さんを見ると、彼女も不安そうな表情をしている。無理もない。お化け屋敷が好きな女性なんてあまり居ないだろう。


「尚、両一族代表は、それぞれのパートナーの同行を認めます」


「ちょっ! ちょっとカピバラ! そんな事は聞いて無かったわよ!」


 カピバラの説明に、我が鬼コーチは血相を変えて抗議する。彼方が取り乱すなんてあまり見ない光景だ。彼方も女の子らしくお化けが怖いのかな?


「か、彼方。お化けが苦手だったら無理しなくてもいいから」


 僕の言葉に彼方は一瞬安堵した顔になったが、直ぐに気丈に振る舞う。


「べ、別にお化けなんて怖くないわよ。いいわ。上等じゃない。私も一緒に行くわ」


 無理しなくてもいいのに。鳥飼さんのパートナーのタスマニアデビルの着ぐるみは、落ち着かない様子でオドオドしている。


 こうして不安いっぱいの三人と一体の着ぐるみは、黒い染みと苔に覆われたレンガ作りの洋館に足を踏み入れた。


 鉄製の重い扉を開け僕が先頭で中に入る。全員が入った所で、突然扉が金属音と共に閉まる。


 全員がそれに驚いた。しかも部屋の中は真っ暗だ。来訪者を歓迎するかのように、急に大きな奇声が聞こえた。


 こ、これは、何かの動物の声か?


「きゃあ! 何この声?」


 鳥飼さんの悲鳴が後ろから聞こえた。その時、誰かが僕の右手を握ってきた。え? だ、誰の手だ?


 その握る力は強く僕の手に痛みが走る。暗闇の部屋にロウソクの火が灯った。ロウソクの灯りに僕の手を握った相手が見えた。


 そこには、恐怖に怯え震えている彼方がいた。部屋に灯りが灯ったと思ったら、どこからか大きな足音がけたたましく聞こえてきた。


「きゃあああっ!!」


 悲鳴、いや絶叫と共に彼方が走りだした。僕は彼方に引っ張られ次の部屋に移動した。


 次の部屋はとても広く、中央に長いテーブルが置かれていた。白い高級そうやテーブルクロスの上には果物が盛られていた。


 その果物の中から葡萄が浮き上がって来た。彼方の僕の手を握る力が増した。その肩は震えている。こ、こんな彼方見た事がない!


 浮いた葡萄が四散し僕達に飛んできた。彼方の冷静さは崩壊し絶叫。否。断末魔のような大声で走り出した。


 彼方に引き連れられ僕等は階建を登って行く。そしてまた大きな足音が後ろから聞こえた来た。


 階段を登りきった踊り場で僕等は足を止めた。踊り場には黒猫の形をしたスリッパが幾つも置かれており、それがひとりでに動き出した。


「もう嫌! こんな所!」


 鳥飼さんが両手で頭を抱え、泣きそうな声を出す。側についてるタスマニアデビルは、どうしていいのか分からない様子でオロオロしていた。


「た、大した事ないわよ、こんな物。子ども騙しね」


 言葉とは裏腹に、彼方の目の焦点は合って無かった。相変わらず僕の手を握りしめている。


 ······ポチャ······。


 何か水滴が落ちる音がした。僕等は天井を見上げた。天井には、聖書に描かれているような悪魔の絵が僕達を不気味に見下ろしていた。


 その悪魔の口から赤い液体が落ちてくる。そしてまた大きな足音だ。彼方が僕の右腕にしがみついてきた。


 彼方の香りを間近に感じ、僕は違う意味でドキドキした。僕は精霊を呼ぶ決断をする。


「鳥飼さん! 精霊を呼びましょう。心を司る精霊なら力を貸してくれる筈です」


 僕の言葉に鳥飼さんは生気を取り戻した。僕等は暦詠唱を唱える。



「初候! 玄鳥至(つばめきたる)!」


「しょ、初候! 涼風至(すずかぜいたる)」


 僕の頭上に紅い着物を纏った美女が現れた。長く艶のある髪をなびかせ、美女は僕に優しく微笑む。


「御主人様。またお会い出来て、紅華はこの上なく嬉しく思います」


「紅華。よろしく頼むよ」


 一方、鳥飼さんの呼んだ精霊は細身の男性だ。長髪に育ちの良さそうな端正な顔。着ている青い着物も高級感がある。


 青い着物の精霊は鳥飼さんを優しく落ち着かせようとしていた。その時、僕の左腕に柔らかい物が当たった。


 横を向くと、紅華が細い両手を僕の左腕に絡ませていた。胸元から露出した豊かな胸が僕の腕に当たっていた。


 僕はまた違う意味でドキドキしたが、まさかと言う思いが頭を過る。


「こ、紅華。まさか君もお化けが苦手かい?」


「······ご、ご主人様。この不気味な部屋はなんですの?」


 紅華は僕の言葉を聞いてなかった。彼方と同様に震えている。そして、またあの足音だ。


「きゃあ!」


「きゃああ!」  


 彼方と華の絶叫が見事に重なる。


 ······未だかつてぼくの人生に於いて、二人の女性に同時に腕を掴まれる事があっただろうか。


 僕は彼方と紅華に引きずられるように走り出す。踊り場の石畳が消えたのはその時だった。


 僕達は、全員底の見えない深い闇の中に落ちていった。


 ······僕はどれ位の間気を失っていたのだろうか。女性のすすり泣く声で僕は目を覚ました。


 僕の隣で鳥飼さんが座り込んで泣いていた。僕は起き上がり周囲を見回す。壁にロウソクが設置され暗くはない。この部屋は教室程の広さだろうか。


 手をついた床の感触が柔らかい。そうか。このクッションみたいな床に落ちたのか。でも、この部屋には僕と鳥飼さん二人しかいない。


 彼方や紅華はどこへ行ったのだろうか?


「······もう嫌こんな所!」


 鳥飼さんが悲痛な声を出す。無理も無い。僕だって彼方の悲鳴に気を取られたが、冷静に考えるとこの館は怖さ満載だ。


「鳥飼さんの精霊は?」


「······気がついた時には居なかったわ。あの精霊が居ないと、私心細くて······」


「······あの精霊の事、信頼しているんですね」


 僕の言葉に、鳥飼さんは一瞬僕を見返した。そしてしばらく俯いた後、自分の事を話し始めた。


「······私、今までに男の人を好きになった事が無いの。好きになるのは、いつも漫画やアニメのキャラクターで」


 そんな時あの青い精霊と出会い、初めて生身の男性に心奪われたと言う。確かに、あのイケメン精霊になら女性は惹かれるかもしれない。


「······おかしいわよね、私。初めて好きになった相手が精霊なんて」


「鳥飼さん。そんな事ないと思います。人を好きになる気持ちには、格差も不平等も偏見も無いと僕は思います」


 僕は言葉の途中で彼方の顔をが浮かび、思わず台詞に熱が込もってしまった。


「······あ、ありがとう。稲田君」


 鳥飼さんの涙は止まり、少し落ち着いた表情に戻った。その途端、またあの大きな足音が聞こえて来た。


 この部屋の西側にある扉が開き、彼方、紅華、青い着物の精霊が走りながら入って来た。


「彼方! 紅華! 良かった無事で······」


「い、稲田祐! ま、またあの足音が聞こえてくるけど大した事はないわよ!」


 僕が言い終える前に、全然大した事がありそうな顔で彼方が僕の右腕にしがみつく。僕は左腕を掴む紅華にお願いをする。


「紅華、君の力で彼方の恐怖を和らげてくれないか?」


「え? ······はい。かしこまりました。御主人様」


 紅華が奇麗な左手を彼方の頭に添えようとした時、あの足音が僕等の背後で鳴った。僕等は恐る後ろを振り返る。


 ······そこには、もう一人の僕達が立っていた。もう一人の僕。彼方。鳥飼さんが、顔を俯けながら立っていた。


 ······今まで聞こえていたあの足音は。僕達はもう一人の自分に追いかけられていたのか!?


「きゃあああっ!!」


 三人の女性の悲鳴が轟き、周囲の景色が一変した。洋風の館は姿を消し、気づくと僕等は砂漠の上に立っていた。


「肝だめしは終了しました。今から恐怖指数の集計に入ります」


 目の前のカピバラが、いつも通りマイペースに決闘の終わりを宣言した。僕達は固まって暫く動けなかった。



「······申し訳ございません、御主人様。紅華は何のお役にも立てませんでした」


 精霊を呼び出した消耗も手伝って、呆然と立ち尽くす僕の隣で紅華が申し訳なさそうに僕に謝罪する。


「そんな事ないよ。紅華が居てくれるだけで心強かったしね。それよりも、恐い思いをさせてごめんね」


 紅華は首を振り、切なそうな色を目に浮かべて僕を見た。


「······御主人様は、ご自分より、その女性の事が大切なのですね」


 紅華の言葉に僕は赤面する。慌てて隣を見たが、彼方はまだ心ここにあらずの様子で、聞かれてはなさそうだった。


「······妬いてしまいますわね」


 紅華の小声を聞き逃した僕は、微笑んで消える彼女を見送った。


「結果発表を行います」


 カピバラが僕等の前に立つ。鳥飼さんは青い着物の精霊に寄り添ってもらいながら、緊張の面持ちだ。


「立秋一族代表、恐怖指数二百六十。清明一族代表、恐怖指数七十。よって、今回の決闘は清明一族代表の勝利と致します」


 ······か、勝ったあ! いや、今回は彼方と紅華のお陰だ。彼方達の悲鳴が大き過ぎて怖いと思う暇がなかったからだ。


 僕は鳥飼さんに暦の歪みを正すよう命じ、その指導監督をタスマニアデビルに一任した。


 鳥飼さんは消えて行く青い着物の精霊を名残惜しそうに見送った。


「······鳥飼さん。生身の男性を好きになれたんです。きっとこれからも、色んな人を好きになれる思います」


「······ありがとう。稲田君。君もあのセーラー服の女の子と上手く行くといいわね」


 鳥飼さんの言葉に僕は再び赤面した。な、なんで分かったの?


「私、アニメや漫画で恋愛の機微は学んだつもりよ」


 鳥飼さんは片目を閉じ、笑顔でタスマニアデビルと共に去って行った。


 彼方の方を向くと、彼方は両手で自分の頬を軽く叩いていた。良かった。ようやく落ち着いたらしい。


「彼方。今回は大変だったね」


「べ、別に。軽いもんよ。こんな決闘」


 頬を赤くする彼方を見て、僕はたまらなく可愛いと思ってしまった。彼方が左手を僕に差し出す。その手には和紙の包みがあった。


「······今日、アンタの誕生日でしょ?」


 え? なんで僕の誕生日を?


 ······そうだった。理の外の連中には個人情報などあって無いような物だっけ。彼方は着ぐるみ達から僕の生年月日を知らされていたんだ。


 ん? もしかしてこれって誕生日プレゼント!?


「あ、ありがとう彼方。開けてもいい?」


 和紙の包みの中には「安」と文字が入ったお守りが入っていた。


「······私のお母さんは、私にお守りを沢山残してくれてたの。一つアンタにお裾分けするわ」


 ······そんな大事な形見を僕に。僕はまた涙腺が緩みそうになった。


「あ、ありがとう彼方! 大事にするね。彼方の誕生日っていつなの?」


 僕は能天気に深く考えず質問してしまった。


「······十一月七日よ」


 ······十一月七日。それは、暦の上では立冬になる日であり、彼方の寿命が尽きる日だった。


 誕生日に死ぬなんて、それが分かってるなんて、そんな酷い事ってあるのか?


「さあ稲田祐。帰って反省会よ」


 彼方はいつも通りに振舞い、姿勢のいい姿を僕に見せる。時間は止まらない。どうやっても。


 残酷にも時計の針は、立冬へと一秒ごとに進んでいく。僕の頭の中は、好きな人の為に何が出来るか。そんな事で一杯だった。


 ······この時僕は気づいて無かった。彼方は、僕が絶対に好きになってはいけない相手だったと言う事を。


 

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