第16話 立秋①

 ······僕はジャングルジムの上に腰掛けていた。隣には、白い着物を着た少女が僕に微笑んでいる。いつもの夢の中だ。


 僕は少女に語りかけていた。好きな人が出来た事。そして、その人が数カ月後に死んでしまう事。


 少女は小さい両手で僕の手を握る。悲しまないでと僕を励ましてくれた。やっぱり何度見ても、この少女の顔を思い出せない。


 よく知ってる顔の筈なのに。どうして分からないんだ? 少女は握る手に力を入れた。私達はとても強い絆で結ばれていると微笑む。


 ······強い絆? それって。


「稲田祐! いつまで寝てんの!」


 最早身体に染みついたこの怒声に、僕は飛び起きた。寝ぼけた頭で周囲を見回す。見慣れた四畳半のボクの部屋だ。枕元に純白のセーラー服を着た彼方が立っていた。


「毎日特訓するって言った決意はどこにポイ捨てしたの! 約束の時間はとっくに過ぎてるわよ」


 そ、そうだった。夏休みの間は毎朝九時に公園に集合する約束だった。机の上に置いてある時計は、十時を指していた。


「怠惰な姿勢を見せて決闘に負けようものなら、私が死んだ後本当に枕元に立つわよ」


「······彼方! 冗談でもそんな事言っちゃ駄目だよ!」


 僕の大声に彼方は一瞬黙り込んだ。その落ち着き払った瞳は、三ヶ月後自分が死ぬと分かっているなんてとても思えなかった。


「寝癖全開のアンタに言われても説得力無いわよ!本当に枕元に立って欲しく無かったら、さっさと起きる!」


 彼方は力任せに僕から掛け布団を剥いでいく。僕はシャツの下のトランクスを必死に手で隠す。


 ······やはりとても思えない。余命三ヶ月の儚い少女とは。


 素早く身支度を整え、僕は急いで台所で朝食の準備をする。母親は仕事で妹の希は友達と旅行中だ。


 昨日作ったカレーの残りにチーズを足す。お皿にご飯をよそい、半熟の目玉焼きを乗せる。


 テーブルに腰掛けた彼方の前に、大盛りカレーを置いた。そのご飯の量に彼方は目を丸くする。


「ちょ、ちょっと稲田祐。いくら何でも、こんなに沢山食べれないわよ」


「食べきれなかったら、僕が責任を持って食べるよ。だから、一杯食べて」


 ······君が、今までに口にする事が出来なかったお米。せめて、せめて残りの日々は、お腹いっぱいに食べて欲しい。


 そんな言葉を口にできる筈も無く、僕に出来る事はただ山盛りにお米をよそう事だけだった。


「······頂きます」


 彼方は姿勢を正し両手を合わせる。お米を見つめるその瞳は相変わらず輝いて見えた。


 何故これだけの事で、胸が張り裂けそうになるんだろう。口に運ぶカレーの味がまるでしなかった。


 インターホンの耳をつく音が鳴ったのはその時たった。僕はシンクの隣にある玄関の扉に手をつき、覗き穴に片目を近づける。


 覗き穴の先に郡山楓が立っていた。な、何で学年有数の美女が僕の家の玄関前にいるんだ!?


 僕の頭は混乱したが、相手を待たせては悪いと思い、取り敢えず扉を開けてしまった。


「あ、稲田くん! 良かった在宅してて」


 奇麗な黒髪をリボンで結んだ郡山は、まだ寝癖がついた僕を笑顔で見る。駄目だ。どうしても理由が分からない。


「こ、郡山。ど、どうしてここへ?」


「突然押しかけてごめんなさい。稲田君、携帯持ってないから連絡出来なくて」


 以前、教室で郡山は僕の耳元で囁いた。二人で遊びに行かないかと。僕の中では、あれは幻と同じ事だと思い込んでいた。


 まさか、まさか郡山は僕を誘いにわざわざ家まで来たのか? いや、そんな事ありえないぞ絶対に。


「あ、ご、ごめんなさい。彼女と食事中だった?」


 郡山の視界に、テーブルでカレーを食べている彼方が映った。こ、この状況をどうやって説明すればいいんだ!?


「······ご心配なく。私は単なる親戚よ」


 彼方がさり気なくフォローしてくれた。なる程。親戚ならここにいても不自然じゃない!


 彼方を振り返った時、彼女の肩の下に小さい茶色い染みが見えた。カレーが跳ねてついたのだろうか。


「彼方。服にカレーついてるよ。早くふかないと染みになって落ちないよ」


 僕は慌てて水で濡らした布巾を差し出す。その様子を見て、郡山は吹き出した。


「やだ稲田君。小さい子供の世話を焼くお父さんみたい」


 ガチャン!!


 ······銀のスプーンと陶器の器が、ぶつかり合う音が大きく響いた。彼方の手に握られたスプーンが、カレーが盛られた器を突き刺している。


 彼方は蒼白な表情でテーブルを見つめていた。


「か、彼方どうしたの?」


「······何でもないわ。手が滑っただけ」


 僕はとにかく玄関の外に出て、郡山に来訪の理由を聞いた。僕は耳を疑ったが、郡山は僕をデートに誘いに来たらしい。


「ご、ごめん。今日は生憎予定があって」


 僕はしどろもどろになりながら返答した。郡山は気を悪くした様子も無く快活に口を開く。


「そっか。じゃあ、また稲田君の都合のいい時にね」


 自分の携帯番号が書かれたピンクのメモ用紙を僕に渡し「電話してね」と言い残し郡山は去って行った。


 ヒマワリの模様が入ったワンピースの後ろ姿を、僕は呆然と見送った。混乱した頭でいくら考えても郡山が僕を誘う理由が見つからない。


 いや。どちらにしても僕には好きな人がいる。相手は僕なんて歯牙にもかけないだろうけど。


 好きな人が居るのに他の女の子とデートするなんて不誠実だ。僕はそう結論を出し、玄関の扉を開け台所に戻った。


 その時、彼方はカレーライスの最後の一口を食べ終わった所だった。


「ぜ、全部食べたの? 無理しなくても良かったのに」


「ベ、別に無理してないわよ。ご飯を残すなんて罰当たりな事したくないだけ」


 彼方は手を合わせながら苦しそうに返答した。


 台所の窓から気持ちいい風が入って来た。今日は八月六日。暦では立秋。秋の始まりだ。


 でも連日の猛暑はまだまだ夏の終わりを感じさせない。僕と彼方はテーブルに座り、食後に冷えたヨモギ茶を飲んでいた。


「······稲田祐、あんたその首のつけねにある痣は前からあるの?」


「え? 痣?」


 彼方の言葉に僕は手鏡で首元を映した。確かに小さい痣のような物がある。こんなのあったっけ?


 その痣は文字のように見えた。歪んでいるが「言」て漢字に見える。


「まあいいわ。それより稲田祐。精霊達との事なんだけど、アンタは少し距離が近すぎるわ」


「え? そうかな」


 彼方の話では、一族の代表と精霊は完全な主従関係らしい。代表は精霊の生殺与奪を握っているが、なんと精霊にも代表との契約破棄の権利が与えられているらしい。


 それは、代表が資質に欠けた言動が著しい場合に認められている。なる程。あまりに酷い主人だと、精霊達に見限られるんだ。


「稲田祐。三体の精霊を完全に支配下に置けば、新たな精霊を誕生させる事が出来るの」


「新たな精霊?」


 それは、三体の精霊の力を併せ持った強力な精霊らしい。三体の精霊を合体させると言う事だろうか?


「イメージトレーニングで、あんたが見た私の精霊が正にそれよ」


 あの修行僧の精霊か! 道理で強い筈だ。三人分の力があるんだから。


 ······待てよ? じゃあ合体させた後、精霊達はどうなるんだ?


「消えて無くなるわ。三体の精霊は新たな一体の精霊として存在していくの」


 そ、そんな。消えるなんて。僕は紅華、爽雲、月炎の顔を思い浮かべた。


「三終収斂(さんついしゅうれん)。それが、三体の精霊を一つにする詠唱よ。覚えといて」


 ······三終収斂。出来ればそんな詠唱、使いなく無い。僕は心からそう思った。食器棚の上に置かれた時計の針が正午を指そうとした時、空いていた椅子にカピバラが現れた。


 ご飯を済ませたらと思ったら、もう決闘か。僕は内心辟易したが、カピバラは無言のままだ。


「······八雲彼方さん。私達の計画に、重大な障害が発生しました」


 カピバラはいつもの機械音の声で、彼方に話しかける。彼方は両腕を組み黙っている。


 ······私達の計画? 障害? い、一体何の事?


 僕の疑問の表情を見て取り、彼方はテーブルの上に透明の袋を差し出した。


 袋の中には茶色い粉末が入っている。これは、前回の決闘で彼方が僕に使えと言ったマタタビだ。


「稲田祐。私は事前にカピバラから決闘内容を聞いているの」


 え? 彼方は毎回行われる決闘の内容を知らされている?


「稲田祐。おかしいと思った事は無い? 一族代表同士の決闘内容に」


 ······た、確かに。ゲーム対決だの、料理対決だのと取り柄の無い僕にもなんとか対応出来る方法だ。


 彼方の話では、理の外の存在は出来れば清明一族代表の僕に勝って欲しいらしい。清明一族は、春分一族と並んで二十四の一族をまとめる役目を担っているからだ。


 あからさまな不正行為は出来ないが、なるべく僕が戦い易い方法が選ばれていたらしい。

 

 但し合コン対決は聞いて無かったと彼方はカピバラを睨む。あれがキッカケで僕に余命の事を知られたのだ。彼方がカピバラを怒るのも無理はない。


 ······そうだったのか。他の一族代表はタスマニアデビルの着ぐるみがサポートにいるが、僕にだけ彼方がコーチに就いているのはそう言う理由だったのか。


 それにしても重大な障害って?


「稲田祐さん。出雲彼方さん。あの砂漠の世界に、最近違和感を感じませんか?」


 あの異世界の事か? 違和感? 感じるのは最初の頃に比べて砂漠の緑化が鈍ってきた事ぐらいだろうか。


「その通りです。稲田祐さん。そしてその理由は、啓蟄一族代表です」


 ······啓蟄一族代表のせい? それってどう言う事?


 カピバラの話では、理の外の存在が行っている決闘から啓蟄一族代表が逸脱し、勝手に他の一族代表と決闘を行っているらしい。


「既に雨水一族代表、立春一族代表が啓蟄一族代表に敗れました。砂漠の緑が増えないなはそのせいです」


 え? なんでそれが砂漠の緑化が進まない理由なんだ?


「啓蟄一族代表が命じているのよ。決闘で破った雨水一族代表と立春一族代表に。暦の歪みを正すなと」


 カピバラの話から素早く啓蟄一族代表の意図を読み取り彼方は断言した。決闘に勝った一族の命令は絶対。


 あの砂漠の世界は未来の姿。僕が勝った他の一族代表が暦の歪みを正す為に頑張っていても、他の一族代表が足を引っ張る為に、砂漠の緑化が停滞しているらしい。


 啓蟄一族は、なんの為にそんな命令をしたんだ?


「啓蟄一族代表の目的は不明です。ですが、我々に反意がある事は確かです」


 カピバラは続ける。僕が決闘を行う時期は二十四節気の暦に沿って行われている。それは、季節が暦の流れによって移ろい変わっていくからだ。


 カピバラがテーブルに紙を置いた。その紙には円が書かれており、その円の周囲には二十四節気の暦が書かれていた。


 その図を見ると、暦は時計回りに進んで行く。それに対して、啓蟄一族代表は反時計回りに進み、雨水一族代表、立春一族代表と戦っている。


「暦の移ろいと逆から決闘を行う。恐らく啓蟄一族代表の次の狙いは、大寒一族と思われます」


 啓蟄一族代表の考えは不明だが、このまま啓蟄一族代表が他の一族に勝ち続けると、暦の歪みは良くならないらしい。


「あんた達、理の外の連中でなんとか出来ないの?その啓蟄一族代表を」


「······残念ながら出来ません。暦の歪みを正す力は二十四の一族に与え我々をその力を失っています」


 彼方の質問にカピバラは顔を俯ける。僕はカピバラを注視する。


 ······以前からカピバラは彼方を度々見つめていた。声は機械音だから分かりにくいが、僕には何となくその機械音に隠れた何かを感じるようになった。


 それは言葉にすると愛情。歓喜。悲しみ。それらが混じり合った物に僕には聴こえる。一体このカピバラは彼方の何なんた?


「話は変わりますが転移、開始します」


 え? 転移? 今この会話の流れで?


 僕と彼方は一瞬でこの世界から姿を消した。一つだけ分かった事がある。このカピバラが何者か全く分からないが、性格は恐ろしい程のマイペースだ。


 今日、十八歳の誕生日を迎える僕は、自信を持って確信した。

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