第13話 大暑①
古いアパートの一室で、食卓を囲む三人がいた。一人は三つ編みの小学生。一人は寝癖で髪が跳ねている高校生。
そしてもう一人は純白のセーラ服を着た少女だ。テーブルの上には、白米が盛られた茶碗に味噌汁。餃子とカブのオリーブオイル焼きがテーブルに並んでいる。
会話は無く、三人は黙々と箸を口に運ぶ。台所の窓を開け、扇風機をつけているが蒸し暑い。まだ昼なのに気温は三十度を超えていた。
今日は七月最後の日だった。暦で言うと大暑。一年で最も暑さの厳しい時期だ。
「······お兄さんとお姉さん、喧嘩でもしたの?」
重苦しい空気に耐えかねたのか、きなこちゃんが箸を置き口を開いた。
「別に」
「別に」
僕と彼方の言葉が重なり、僕らは一瞬目を合わせたがすぐ様食卓の昼食に視線を戻した。結局三人の食事は終始無言で終わった。
「······ごめんね。きなこちゃん。折角の月に一度の食事会だったのに」
食事を終え、帰り際のきなこちゃんに僕は謝罪した。きなこちゃんは彼方を一目見て、僕に小声で囁いた。
「なんだかよく分からないけど、あのお姉さんみたいな気が強そうな性格には、こっちから謝った方がいいんじゃない」
きなこちゃんはそう言い残し、タスマニアデビルの着ぐるみと共に帰って行った。本来元気づける相手に気を使われ、僕は情けない気分になった。
僕と彼方はテーブルに座り、黙ってヨモギ茶を飲む。心を落ち着け、きなこちゃんのアドバイスに従う事を決めた。
「······彼方。その、この前は怒鳴ったりして悪かったよ。僕はただ、彼方の事が心配になったんだ」
次の冬が来たら自分は死ぬ。そんな事を言われて平静でいられる筈が無かった。彼方は静かな目で両手でコップを持ち、ヨモギ茶を口にしている。
「彼方。詳しく話してくれないか? 余計なお世話だって分かってる。でも、僕達は運命共同体だろ?」
僕が一族同士の決闘に負ければ、彼方も存在を消される。しかも彼方は命を失うらしい。
「······先ずは謝るわ。アンタが決闘に負けたら私が命を失うって話は嘘よ。アンタにやる気を出させる為のね」
彼方がコップをテーブルに置き、静かに口を開いた。僕は大して動揺しなかった。本当に知りたいのはその事じゃない。
「······じゃあ、冬に死ぬって言うのは?」
「それは本当よ。私は次の冬が来たら死ぬわ」
僕の額から汗が流れ落ちた。この汗は、連日の猛暑日記録を更新した今日の暑さのせいでは無かった。
「······私は、ある病気にかかっているの。そして、寿命は次の冬までと決まってるの」
······病気? ······寿命? 医者がよく言う余命何ヶ月ってヤツか? こんな元気に僕を虐げる彼方が?
僕が溢れそうな言葉を決壊させる前に、彼方は左手を前に差し出した。僕の気勢は完全に制された。
「私は、三十年後の未来からやって来たの」
彼方は僕の両目を真っ直ぐと見つめ言葉を発した。前々回対決した相手、権田藁さんの言葉が僕の脳裏に浮かんだ。
彼方は、この世界に存在しない人間だと。僕は必死に口を噤む。そして彼方の話の続きを待った。
「私が生まれるのは今から十三年後。その時、この国はとんでもない事になっているわ」
彼方は語り出した。この国に訪れる未来を。
今から八年後、日本を冷夏が襲った。過去にも冷夏はあったが、全国の稲が壊滅する程の記録的冷夏となった。
秋の収穫はほぼゼロに近かった。政府は輸入に頼ったがそれは出来なかった。世界の国々にも日本と似たような異常気象が起きていたからだ。
そして、その冷夏は次の年にも。そのまた次の年にも起こった。結局、冷夏は二十二年続く事となる。
そこに国の財政破綻が重なり、国内の混乱に拍車をかけた。人々は日々の食料確保に奔走した。
長年、日本を対等な同盟国と謳っていた東の大国は早々に駐留軍を自国に撤退させた。
東の大国の覇権は太平洋から無くなり、その代わりに日本は西の大国の属国となった。食料の値段は高騰し、民衆は困窮した。
「米の値段は、地金と等価になったわ」
······米と地金が同じ値段? えっと、今の地金の相場って?
「今の地金の相場に換算すると、茶碗一杯九十万よ」
きゅ、九十万!? ご飯一杯で!? 僕はシンクに水につけている茶碗を見た。ついさっき食べたこのお米が九十万······。
「一部の富裕層を除いて、お米は庶民の手に入らなくなったわ」
······そうか。彼方がお米を食べて号泣した理由が分かった。もしかして、彼方はあの時初めてお米を口にしたのかもしれない。
「その頃、私の世界では原因不明の不治の病が流行したの」
それは全身に発熱を伴い、少しずつ衰弱し死に至る病気だと言う。
「米死病」
彼方が短く呟く。その不治の病は、米死病と人々は口にした。正式な病名では無い。冷夏の影響で、日本人が米を口に出来なくなった頃に流行り出した病気だった為、噂と迷信が混ざり世間はその病気をそう呼ぶようになった。
「私は産まれて直ぐに米死病に罹患したの」
広くもないダイニングキッチンは、窓の外から聞こえる蝉の鳴き声のみが響いてた。僕はつばを飲み込む事すら忘れ、ひたすら彼方が口を開くのを待つ。
だが、本当は聞きたく無かった。彼方が不治の病にかかった話なんて。
「乳飲み子の私は本来死ぬ筈だったの。でも、母さんに命を救われたわ」
······救われた? 彼方のお母さんに!? 彼方のお母さんは医者だったのか!
「母さんは、自分の残りの寿命を私にくれたの」
淡々と話す彼方の口調に、僕は直ぐに内容を理解出来なかった。僕は自分で気付かなかったが、口が半開きになっていた。
······彼方の母親は春分一族の力を継承していた人だった。だが生まれつき身体が弱く、彼方を出産してからは体調がすぐれなかった。
そして彼方が米死病にかかり、彼方の母は決断した。彼方の母は理の外の存在と交渉した。交渉内容はこうだ。
自分は病弱で暦の歪みを正す役目を果たせない。しかも現在の世界の暦の歪みはもう手遅れと言っていい程酷かった。
そこで自分の娘を過去に送り、季節の歪みを正し最悪の事態を回避させる。但し、自分の残りの寿命を娘に渡す。それが交換条件だった。
二十四の一族をまとめる役目を担う春分一族と清明一族。彼方の母親が春分一族代表だったのが大きかった。
理の外の存在は、彼方の母親の条件を受け入れた。彼方の母親の残りの寿命は十八年だった。それをそっくり娘の彼方に譲った。
交渉の後、彼方の母親は亡くなった。
「私は祖母に育てられ、十三歳の時、目の前にタスマニアデビルの着ぐるみが現れたの」
タスマニアデビルは、彼方に事の真相を全て語った。そして、彼方を飛騨の山奥にある施設に連れて行った。
そこは、かつて二十四の一族達が作った学校だった。一族の力を持つ者達は、その学校で季節の歪みを正す方法を学ぶのが伝統だった。
しかし伝統は廃れ、その学び舎は長く無人だった。彼方はタスマニアデビルの教師達に囲まれ、四年間その学校で学んだ。
「その学校の制服が、この白いセーラー服よ
。十八歳以下の生徒は、暦を正す事に関わる時、この白い制服を着ることを義務づけられているの」
······そうか。だから彼方は、いつもこの純白のセーラー服を着ていたんだ。でも十三歳の時の彼方はすぐに受け入れたのだろうか。
自分の病気の事。母親の死の原因。そして、暦の歪みを正す為の修行をする事を。
「······勿論、最初は荒れに荒れまくったわ」
彼方は小さく苦笑いしながらコップを口につける。母親が自分に寿命を渡し死んだ事に、彼方は悲しみ苦しんだ。
自暴自棄になり、タスマニアデビル達の前で果物ナイフを自分の喉元に突きつけた事もあったらしい。
それでも彼方は立ち直り、四年間真剣に訓練を受けた。そして、自分があと一年で死ぬと分かっていて、僕の住むこの世界にやって来た。
······開いた窓の外から聞こえていた蝉の鳴き声はいつの間にか止んでいた。外からの弱い風が、止まっていた換気扇の羽を回している。
僕の手に掴まれていた硝子のコップは、大汗をかくように水滴を僕の手に流し、つたい落ちた水滴はテーブルに小さな水溜りを作っていた。
「······なんでアンタが泣くのよ」
僕の視界に映る苦笑した彼方が滲んで見える。彼方に言われる迄、泣いている事に気づかなかった。
······どうして彼方なんだ? どうして彼方がこんな酷い運命を背負わされる? 暦の歪みのせいか?ならば、それを正す役目を怠った二十四の一族達のせいか?
······ならば、清明一族代表の僕は間違いなく責任者の一人だ。その時、僕の脳裏にある事が思い浮かんだ。
「······僕は!? 彼方が産まれていた時の僕は、何処で何をしていたの?」
僕は椅子から腰が浮きかけた。彼方の表情は落ち着いていた。僕のこの質問は、彼方の予想する所だったのだろう。
「······タスマニアデビルの話では、人との関わりを絶ち、田舎の山奥にひっそりと暮らしていたそうよ」
彼方の返答に、僕は浮いた腰を椅子に戻した。将来訪れる僕の未来。その内容は、余りにも寂しい内容だった。
同時に妙に納得もする。ああ。僕の人生の行く末はそんな所かと。それでも、彼方が米死病にかかった時、無為無策の未来の自分に無性に腹が立った。
······そう言えば、彼方のお父さんって。
「私が産まれる前に離婚したそうよ。詳しくは知らないわ」
彼方は嫌悪を込め、吐き捨てるように言い放った。そうか。前回の合コン対決の時、彼方は一度約束した誓いを破る男は許さないと言った。
自分が愛する母親と誓いを守れなかった父親を、彼方は心底嫌っているんだ。
「私の母は、何処かでアンタと知り合ったらしいの。そしてアンタの人柄と、清明一族と言う事を知った。そして母は過去のアンタに賭けたの」
十七歳の僕の元へ彼方を送り、僕に暦の歪みを正す訓練を施す。そして未来を変える。それが、自分の寿命を愛娘に託してまで行った彼方のお母さんの願いだった。
「······彼方のお母さんから貰った寿命が尽きるのって、次の冬なの?」
僕はどうしても確認しておきたかった。人の命が、はい終わりですみたいに消えるものなのか?
「立冬。十一月七日。私はその日に死ぬって決まっているの」
······十一月!? 後三ヶ月しかないじゃないか!! 僕の心は激しく動揺した。対照的に彼方の瞳は落ち着き払っていた。
どうしてそんな冷静になれるんだ!? 後たったの三ヶ月で自分が死ぬと分かっていて······
「稲田佑。私の願いはただ一つよ。母さんの想いを継ぎ、歪んだ暦を正す。その為にアンタを一人前にする事。それだけなの」
彼方の両目は真っ直ぐに僕を見ていた
······駄目だ。半人前の僕が今何を言っても安っぽい言葉になってしまう。
彼方に。覚悟を決めている彼女に。どんな言葉をかけられるって言うんだ。僕はなんて小さく、取るに足らない存在なんだ。
小さなキッチンにテーブルを叩く音が響いた。気づくと僕は、両手をテーブルに叩きつけ立ち上がっていた。
「······稲田佑?」
「······やろう。彼方」
「え?」
「訓練だよ。今すぐやろう。どんな酷いコースだっていい。僕、なんでもやるから!!」
僕の頭の中は、早く一人前になる事で一杯だった。それが。せめてそれが僕が彼方の為に出来る唯一の事だからだ。
「······二言は無いわね。稲田佑」
彼方は力強く微笑した。僕は大きく頷く。僕の涙はいつの間にか止まっていた。その代わりに泣き止んでいた外の蝉達が大合唱をする。
彼方が椅子から立ち上がった時、カピバラの着ぐるみが空いていた椅子に座っていた。
僕はカピバラを視認した瞬間、カピバラに掴みかかっていた。それは殆ど条件反射だった。
「ちょ、稲田佑! 何してんの!?」
彼方の静止を無視し、僕は殺意に近い感情を込めてカピバラを睨んだ。
「あんた達、理の外の存在は神様みたいなものなんだろ!? 彼方の病気ぐらい治せるだろ!?」
「それは出来ません」
カピバラの機械音が無慈悲な言葉を響かせた。僕はカピバラを睨み続ける。
「どうしてだよ!? 彼方が死んだら春分一族が途絶えるんだろ! そうしたらあんた達だって困るだろう!」
僕は怒っていた。理不尽な彼方の運命と余命に。その矛先を全て理の外の存在にぶつけていた。
「困るのは貴方達人間です。私達ではありません」
カピバラは静かに言い放った。悪いのはお前達人間だ。何故かそう言われている気がした。
「本来なら、出雲彼方さんは産まれてすぐに死ぬ筈でした。ですが、彼方さんの母親が言霊権の所有者だったので彼女の条件を受け入れたのです」
······言霊権? なんだそれは?
「二十四の一族達は百年に一度、理の外の存在と交渉出来るの。一族達が暦の歪みを正す為に話し合う場よ」
彼方が僕に教えてくれる。その時、二十四の一族中で最も力がある一族が交渉の代表に選ばれる。それを言霊権と言うらしい。
「人間。いえ、全ての生きとし生ける者達の命に手を出す事など許されません。出雲親子の件については例外中の例外です」
無表情なカピバラの着ぐるみは、冷たい機械音で言い切った。カピバラの胸を掴む僕の両手は、力無くその拘束を解いた。
「転移、開始します」
カピバラが聞き慣れた台詞を言う。その言葉は、無力感に苛まれる僕の心の中を土足で通り過ぎて行った。
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