第14話 大暑②

 僕の心の中は怒りと悔しさ、そして悲しみが混ざり合っていた。それでも時間は止まらない。


 お前の気持ちなんてどうでもいい。まるで誰かにそう言われている気分だった。安アパートのダイニングキッチンから、一瞬で僕は砂漠の世界にやって来た。


 まだ冷静にはなれないが、砂漠の世界の緑化具合をチェックする。残念ながら前回とあまり変化は無かった。


 僅かな進歩と言えば、彼方が天才と賞賛するきなこちゃんの若木は少し伸びていた位か。


「稲田佑。冷静になって。気持ちを切り替えないと決闘に支障をきたすわよ」


 彼方の言葉に僕は頷く。そうだ。この決闘に勝ち続けなくては、彼方と彼方のお母さんの想いが無駄になってしまう。


 僕は今までに無い引き締まった気持ちで決闘に臨んでいた。前方からタスマニアデビルの着ぐるみが今日の対戦相手を連れてくる。


 どんな相手でも。どんな決闘方法でも。僕は怯まないぞ。決闘相手が僕の前に立ち止まる。


 ······大柄な男性だ。百八十センチは越えている。短髪の金髪に厳つい顔、胸も腕も厚く太い。何かの作業着を着ていた。


「······ちょっと稲田佑。なんで私の後ろに隠れるのよ?」


 気づくと僕は、彼方の背中の後ろに立っていた。だ、だって相手の人、もの凄く怖そうなんだもん!


「とっとと自己紹介して来なさい!」


 鬼コーチの強烈な張り手で背中を押され、僕は対戦相手の前に引き出された。い、痛いじゃないか!


「両一族代表は、それぞれ自己紹介して下さい」


 カピバラの着ぐるみが機械音の声で場を進行して行く。


「せ、清明一族代表、稲田佑。十七歳。高校三年生です」


「大暑一族代表、瓦剛一(かわらごういち)。二十三歳。土木作業員」


 瓦と名乗った大柄な青年は、僕を睨みながら低い声を出した。こ、怖いこの人!


「ツンデレな態度に胸キュン! 今日の決闘は、猫遊戯です」


 カピバラが決闘方法を発表する。毎回思うのだが、この決闘発表はもう少し緊張感を持って真面目にやってくれないだろうか?


 僕のささやかな要望を無視するかのように、アシスタントのタスマニアデビルが腕に二匹の猫を抱えてやって来た。


 その内の一匹がタスマニアデビルの腕から脱走し、砂漠の上を走り出す。タスマニアデビルは慌てて猫を追いかける。


 ······なんなんだこの光景は。これから決闘が行われる緊張感が全く無い。やっと猫を捕獲したタスマニアデビルは、いつの間にか置かれていた柔らかそうな壁で出来たサークル内に二匹の猫を放った。


 カピバラが決闘方法を説明する。僕と瓦さんは、このサークル内で猫と戯れる。そして制限時間の一時間後、猫の好感度が高い方が勝利者とする。


 つまり、猫に好かれた方が勝ちらしい。毎回妙な決闘方法だが今回は動物か。サークル内は何故か畳が敷いていたので僕は靴を脱いで入った。


 続いて瓦さんも入ったが、瓦さんの舌打ちが聞こえてきた。や、やっぱり、こんな強面な人が猫のご機嫌取りなんて嫌なんだろうな。


 サークル内の中心に箱が置かれており、箱の中には猫じゃらし、ボール、爪とぎ板など猫グッズが入っていた。


 瓦さんの猫は黒猫。僕の猫は耳が寝ている白い猫だった。後で聞いたが、スコティッシュフォールドと言う種類らしい。


 僕は取り敢えず箱からボールを手に取り、白猫に向かって転がした。猫は興味無さげにボールを無視しサークルの外の風景を見ている。


 ならばと僕は猫とスキンシップを取るつもりで猫の背中の皮を掴んだ。途端に猫は大声で鳴き、僕の手に爪を立てた。


 痛い! 僕の手の甲に三本の爪痕が残り、うっすら血が滲んて来た。


「馬鹿野郎! そんな掴み方があるかよ!」


 僕の背後から瓦さんの怒声が飛んできた。驚いて振り返ると、瓦さんがこっちに歩いて来る。ど、どうなっちゃうんだ僕!?


 瓦さんは白猫の首の皮を掴み持ち上げた。そして僕を睨みつける。


「いいか。首の皮を掴めば猫に痛みは無い。掴んで持ち上げる時は首の皮だ。覚えとけ」


「は、はい!」


 僕が返事を返すと、瓦さんは自分のパートナーの黒猫の元へ戻っていった。あれ? 今、瓦さん僕にアドバイスしてくれたのか?


 僕はしばらく瓦を観察した。瓦さんはさっき迄のキツイ表情から一変し、穏やかな笑みを浮かている。黒猫は寝転んで腹を出し、その腹を瓦さんは優しく撫でている。


 あんな怖そうな人が猫好きなんだろうか? いや、多分そうだ。扱い方が慣れている感じだ。


 反対に僕は猫なんて飼った事が無い。こ、これは強敵だ! 僕は失地を回復させるべく、白猫に近づく。だが、僕が近づくと白猫はつれない態度で逃げていく。


 焦った僕は走って白猫を追うが、猫は素早く僕から距離を取る。その時、前を向いて無かった僕は何かにぶつかった。


 ぶつかった相手は、よりによって瓦さんだった。瓦さんは僕の腕を掴み白猫の方へ歩いて行く。こ、殺される!?


「いいかガキ。猫は気まぐれな生き物だ。そんな鼻息荒くしても、近づけねーよ」


 瓦さんがその場に腰を降ろし、あぐらをかいた。僕にもそうしろと促し、僕は素直に従う。


「猫のペースに合わせろ。そして猫の気が向いた時がチャンスだ」


 僕に説明しながら瓦さんは座ったままだ。すると、白猫はゆっくりと瓦さんに近づいてきた。


 瓦さんの数メートル手前で猫は止まる。瓦さんは動かない。そのままどれ位時間が経過しただろうか。


 白猫は瓦さんの膝の上に登ってきた。瓦さんは優しく白猫の頭を指で撫でる。気づくと、黒猫も瓦さんに近づき瓦さんの背中に頭をこすりつけている。


「か、瓦さんは猫好きなんですか?」


「······別に。人間なんかより付き合いやすいだけだ」


 瓦さんはそう言い残し、黒猫を抱き上げ歩いて行った。あの言葉。瓦さんは僕と同じく人付き合いが苦手なのだろうか。


 僕は物心がついた頃から、他人との距離感が上手く取れない子供だった。相手が一の事を話しかけてくると、ニも三も返してしまう。


 相手は一を返してくれれば良かったのに、僕の返事に引いてしまう。この間合いの取り方が、僕にはどうしても出来なかった。


 その内に対人関係を築く事を諦めた。余計な事をしなければ、こちらから距離を置けば傷つく事が無いからだ。


 一人は気楽だった。自分の殻に籠もり自分とは関係なく展開して行く人と人との繋がりをぼんやり眺めているだけだ。


 いつか彼方に言われた。どうして他人の為にあんなに一生懸命になれるのかと。それは違う。あれは多分、人と関わりたいと言う僕の溜まった欲求が暴発しただけだ。


 結果的に相手には好意的に取られたが、あくまで特殊な決闘が絡んでいるからに過ぎない。


 僕は他人と真剣に向き合った事など無い人間だ。でも彼方だけは違う。彼方からだけは逃げては駄目だ。


 瓦さんの助言を頭では理解しつつも、僕は気がはやり猫のペースに合わせられない。タスマニアデビルが持っている時計に目をやると三十分がすでに経過していた。


「稲田佑! こっちに来なさい!」


 頼りになる鬼コーチの呼び出しがあったのは、その時だった。僕は彼方の元へ駆けていった。彼方が僕に透明のビニール袋を差し出す。袋の中には茶色い粉末が入っていた。


「またたびの粉末よ。これを使って、猫を酔わせるのよ」


「え? だってそれって反則じゃない? 玩具箱にそんなの用意されていなかったよ」


「カピバラは使用禁止とは言ってないわ。いいからこれを使って猫を手懐けるのよ」


 ······け、決して彼方は腹黒いとか、反則上等と言う訳ではないんだ。た、多分。


 この一連の決闘に勝ち続ける為に必死なだけなんだ。お、おそらく。


 そうだ。禁止されてないから反則って訳じゃない。そもそも劣勢な僕に手段を選ぶ余裕など無い筈だ。


 僕は彼方から袋を受け取ろうとした。頭の中に瓦さんの助言してくれる姿。彼方の寿命の事などゴチャゴチャ巡って行った。


「······駄目だよ。彼方」


「え?」


 僕は彼方の助力を拒否した。こんな時に何を綺麗事を言うつもりなんだ僕は?


「瓦さんは決闘相手の僕にアドバイスをしてれた。そんな人に卑怯な手は使えない」


 言い終える前に僕は後悔していた。彼方と。彼方のお母さんの想いを無駄にするのかと。でも、吐き出した言葉を撤回しない自分がいた。


「······稲田佑」


 僕は俯き彼方の顔を見れなかった。きっと彼方は僕に呆れている事だろう。


「······お前、結構真面目な奴だな」


 僕の背後から低い声が聞こえて来た。振り返ると黒猫を抱いた瓦さんが立っていた。


「この決闘は、お互いの精霊で決めようぜ」


 瓦さんはそう言うと、抱いていた黒猫を畳の上に置いた。せ、精霊で決めるって一体?


「お前、猫に慣れてねーだろ。かと言って生身の喧嘩じゃお前と勝負になんねしーな。精霊でしか対等な条件でやり合えないだろ」


 瓦さんは小指を耳の中に入れながら言い捨てた。


「······なんで、瓦さんは僕にそこまでしてくれるんですか?」


「別にお前の為じゃねーよ。俺がスッキリしたいだけだ。それに」


 瓦さんは目を伏せ沈んだ表情を見せた。


「仮にそれで負けて存在を消されても、俺には困る相手なんていねーからよ」


 ······存在を忘れられて困る人がいない? 瓦さんは腰に手を着けそっけなく言い放った。その後でカピバラが立っている方を向いた。


「俺達は精霊で勝ち負けを決める! 文句はねーだろ?」


 瓦さんの言葉を受け、カピバラは機械音の声で返答する。


「決闘方法の変更は認めません。しかし、その勝負の結果を猫の好感度に反映するよう調整は可能です」


「へっ。屁理屈言いやがって。いいなガキ! 気合入れて精霊を呼べよ!」


 瓦さんの真意を完全に理解した訳ではなかったが、この金髪の厳つい人が正々堂々と僕と戦おうとしてくれている事は分かった。


「はい! ありがとうございます!」


 今日は月の下旬。体を司る精霊が最も力を発揮する。僕等は距離を置き向き合い、ほぼ同時に暦詠唱を唱えた。


「末候!大雨時行(おおあめときどきにふる)」


「末候!虹始見(にじはじめてあらわる)」


 僕と瓦さんの頭上に、七十ニ気神の精霊が現れる。僕には黒い鎧武者が、そして瓦さんの精霊は女性だ。


 腰まで長く伸びた黒髪、額に銀の装飾品をつけている。両目は閉じられており、とても綺麗な顔をしている。


 白い和服を着ている。あれは、白装束だろうか。袖から覗かせた白く細い手には、彼女の背丈程もある長い薙刀を持っていた。


 月炎が僕の前に跪き命令を待つ。前回も思ったが月炎は無表情だ。それはまるで感情を無くし、ただ戦う事だけが自分の役目と思っているかのようだった。


「御主君。ご命令を」


「月炎。また力を貸して欲しい、あの相手の精霊と戦ってくれるかい?」


「承知致しました。ですが御主君、あの精霊相手には確実に勝てるとは申し上げられません」


 月炎は細く鋭い目を、白装束の精霊に向けた。


「······月炎。あの精霊と過去にも戦った事があるのかい?」


「左様です。あの者とは決着はつきませんでしたが、恐らく自力は私より上です」


 月炎は淡々と言い切った。月炎がそう言うなら、あの白装束の精霊はそうとうな実力者だ。


「ですが御主君。刺し違えても、あの者を屠ってご覧に入れます」


 ······またこの感じだ。月炎は自分の命を落とす事に何のためらいも無いのか?


「駄目だよ月炎! 本当に危なくなったら逃げていい。自分の命を大切にして」


 僕の言葉に、月炎は細い両目を一瞬だけ見開いた。


「······お言葉ですが御主君。戦いはそんな甘い物ではございません。特にあの者相手とあっては」


 月炎はそう言うと、腰の刀を抜き、砂を蹴り上げ白装束の精霊に向かって行く。決闘の行方は。否。僕と彼方の運命は月炎に委ねられた。


 


 

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