第11話 小暑①

 僕は細い小道を歩いていた。その細く伸びる道は、どこまで続いているのか見当もつかない。僕の隣には白い着物を着た子供がいる。最近よく見る夢の中だ。 


 少女は僕の右手を強く握りしめ、時折僕の顔を見て微笑む。可愛いな。僕の事を何故かお父さんと呼ぶこの娘を堪らなく愛おしく思える。


 でも僕はどうしてもこの娘の顔を思い出せなかった。どこかで見た事がある筈なのに。僕は夢の中で歯がゆく感じていた。


 少女は僕の手を離し前を歩くと、急に振り返った。そして泣きそうな顔をして僕に言う。


「これから何が起きても、私の事を嫌いにならないで」


 少女はそう言った。嫌いにならないよ。僕はそう言おうとした所で夢は醒めた。


 人は悩んでいるその時こそ、正に成長していると何処かで聞いた事があった。本当だろうか?


 最近の僕の悩みの種は尽きなかった。この世界の暦の歪みを正す戦いに巻き込まれた事。今僕の手に返ってきた期末テストの結果。


 毎度のテストの失敗は、正直過ぎる程数字になって反映される。クラス内ではテストの結果に悲喜こもごもと言った様子だ。


 進学するつもりの無い僕は、もはや留年さえしなければいいとムリヤリ自分を納得させる。


 テストの結果を手早く鞄に押し込み、僕は帰宅する為に席を立つ。郡山楓が目の前に立っていたのに気づいたのはその時だった。


「稲田君。テストの結果どうだった?」


「え? ええと。予想通り······かな?」


 突然学年有数のマドンナに声を掛けられた僕は戸惑った。才色兼備の郡山は僕と違い、予想通りいい結果なのだろう。


「ふーん。所で稲田君は夏休みって何が予定あるの?」


「え? 夏休み? 特に無いけど。ゴロゴロして過ごすと思うよ」


 人間と言うものは普段から聞かれない事を質問されると、上手に返せない物だと僕は思った。ひと月以上ゴロゴロするってどんだけ暇な奴なんだ。


「そうなんだ。私は友達と海に行く予定なんだけど、良かったら稲田君も行かない?」


 こんな美人からの遊びの誘い。少し前の僕なら有頂天になって即答しただろう。だが、なぜか以前ほど郡山の前で動揺しなくなった。


 そのお陰で冷静にその誘いを吟味する事が出来たのだ。郡山の連れてくる友達。彼女の友人達なら、きっと勉強もスポーツもそつなくこなす人達だろう。


 そんな集団の中に僕が入る。きっと僕は一日中浮いているだろう。明らかにそうなると分かってて、そこに飛び込む気にはなれなかった。


「誘ってくれてありがとう。でも、僕泳げなくて。せっかくだけど遠慮しとくよ」


 僕にしては上手な返答が出来たと思った。郡山は気を悪くした様子も無く、笑顔で分かったと頷いた。


 郡山の長くて綺麗な髪が揺れた。彼女は僕の横を通り過ぎる寸前に、僕の耳元で短く囁いた。


「二人きりならどうかな?」


 僕は幻覚にでもかかったのかと思った。恐る恐る後ろを振り返ると、郡山は笑顔で友達とはしゃいでいた。


 僕は彼女が落としていった不発弾を処理する事が出来なかった。


 学校の帰り道、西日が元気に照りつけていた。今年はとうとう梅雨が無かった。三十度を超す夏日が続出し、もうこのまま夏に突入するかと思われた。


 今日は七月の中旬。二十四節気で言うと小暑だ。蝉の鳴き声と共に暑さが本格的になると言う。


 雨不足でニュースでは早くも水不足が心配されている。作物にも大きな影響がなければいいけど。僕は自分の考えに驚いた。以前ならそんな心配なんてしなかったのに。


 食パンが有名なパン屋を通り過ぎ、近所の公園が見えてきた。僕はさっき考えていた事を思い出す。最近の悩みの種。


 その中で最も大きい悩みがこの公園で待ち合わせしている相手だった。その相手の事が最近頭から離れない。


 きっかけは前回の決闘相手、権田藁さんの言葉だ。彼方はこの世に実在しない存在だと言われてからだ。


 そもそも彼方は色々謎の多い少女だった。清明一族は春分一族と並んで他の一族をまとめる中心的存在。


 だがら特別に清明一族の僕に協力者として彼方が派遣された。他の一族の人達はタスマニアデビルがついているが、僕にだけ人間の彼方のコーチがいる。


 彼方は守秘義務があると言った。だから僕は深く考えないようにしていた。けど、いつからだろうか。彼方の事が知りたくなってきた。


 その思いは小さい種が土の上に芽を出し、どんどん成長して行くように止まらなかった。


 僕が彼方について知っている事。僕は改めて考えてみる。名前。鬼のような性格。スタイルの良さ。そして精霊を操るどこかの一族。あとはあのカピバラとの関係。


 ······たったこれだけだった。僕の脳裏に彼方の笑顔が浮かんだ。そうだ。あの笑顔。彼方の笑顔を可愛いと思った時から、なぜか彼女の事が気になり始めたのだ。


 ······この世に実在しない存在。僕は無い知恵を絞って考えてみた。実在しない······もしかして、彼方はあの世から来た幽霊!?


「······誰が幽霊だって?」


 僕の耳元で誰かが囁く。僕は驚き前のめりに倒れそうになる。辛うじて踏み止まり後ろを見る。


 目の前には、白い日傘を差した彼方が立っていた。足元にはちゃんと西日に照らされた影が伸びていた。僕はまた心の声が外に漏れていたらしい。


「まだ明るいうちから何をブツブツ言ってんのよ。暑さで頭でもやられたの?」


 純白のセーラー服を着た少女は相変わらずの口の悪さを披露する。でも僕は怯まなかった。このまま胸の中のモヤモヤを放置出来ない。


「か、彼方に聞きたい事があるんだ」


 彼方は白いハンカチで額の周りにいる蚊を払い、僕を不思議そうな目で見る。


「何よ改まって。聞きたい事って何?」


「か、彼方の事だよ。彼方は一体何者で、後は年齢とか住んでいる場所とか知りたいんだ」


 守秘義務がある。僕はそう言われ無視されると思っていた。でも言わずには居られなかった。理由は自分でもよく分からない。


「話は今日の特訓が終わってからよ。激辛コース。超激辛コース。どっちがいい?」


 ここは激辛ラーメンの我慢大会の会場か? 鬼コーチは問答無用でいつものイジメコースに持っていこうとする。


「確認しとくけど売り切れは無いよね?」


 僕は直ぐ様質問した。とにかく早く答えないと明るい未来は無い。


「大丈夫。在庫は十分にあるわ」


 何故か彼方は自信たっぷりに答える。ならばと僕は即断即決する。


「じゃあ激辛コース!」


「あ。激辛コースは今調整中だったわ。超激辛コースに決定ね」


 ちょ、調整中!? なんじゃいそりゃ!! さ、詐欺だ! 毎度の騙しの手口じゃないか!!


 彼方が右手を伸ばし、手のひらを僕の額に着けた。


「目を閉じて。稲田佑。そして心を落ち着けて」


 公園内にいた幼児の親が、不思議そうに僕等見ている。こ、こんな状況で落ち着けと言われても。


 僕の心配は杞憂に終わった。目を閉じた瞬間、意識がどこかに飛んだ。僕が目を開くと、目の前に大木が屹立していた。


 大木は一本では無い。木は隙間なく乱立しており、その幹を空高く伸ばし枝と葉は空の景色を覆い尽くそうとしているように見えた。


「前回と同じく、ここはイメージの世界よ」


 僕の後ろで彼方が説明を始める。ここで暦の歪みを正す本格的な訓練が出来るという。


「稲田佑。さっきまでいた公園。以前と何か変わった気がしない?」


 彼方は突然質問してきた。近所の公園で? ······あそこの公園と言ったら、思い浮かぶのはナンキンバゼぐらいかな。最近は本当に機嫌が良さそうに見える。


「それよ。稲田佑。アンタは既に歪みを正す行動をしているの」


 僕の返答に彼方は頷いた。僕がすでに暦の歪みを正す行動をしている? 全く自覚が無いんだけど。


 彼方は説明を続ける。僕がナンキンバゼの心の声を聞いてから、ナンキンバゼの機嫌と調子が良くなったと言う。


 人間で言うと愚痴を聞いてもらってスッキリしたと言う所だろうか? ともかくナンキンバゼはその影響を他の木にも与え、公園内の木々は良好な状態らしい。


「世界中の一つ一つの植物の声を聞くなんて不可能よ。だがら一つの植物。アンタの場合はあのナンキンバゼから始めるの」


 一つの木の好影響を他の草木に広げていく。確かに現実的だ。彼方の話ではそれはいずれ空や海、大気に影響を与えて行くらしい。


 一本の木から全ては始まる。なんだか壮大な話だな。僕が今まで決闘をした人達もそうやって歪みを正す為に頑張っているんだ。


「でもここは特訓の場よ。稲田佑。ここにある大木達から片っ端から話を聞いてあげなさい」


 か、片っ端からって。一体ここには何十。いや何百の大木があるんだ?


「人間のカウンセラーだって場数を踏まないと成長しないわ。数をこなすのよ」


 で、でも僕はナンキンバゼの感情。つまり心のイメージしか感じ取れない。言葉は聞けないんだ。


 以前彼方から言われた。初歩の初候ノ極は言葉。中候ノ極は心。そして全てを瞬時に理解出来るのが終候ノ極。


 僕は初歩の言葉を聞く事がどうしても出来ない。


「それも合わせて出来るようなる為の特訓よ。さあ始めて!」


 鬼コーチに泣き言は通用しなさそうだった。とにかく僕は大木に額を当て目を閉じる。


 暗闇の意識から何かが流れ込んでくる。


 ······これは何か不満を表している感情だろうか? 他の大木からも次々と感情が流れてくる。


 まるで話を聞いて欲しいと殺到してくるようだ。以前、世界の大陸を俯瞰した時と似ている。僕の頭の中は大量の感情で溢れそうだった。


 僕はそこで意識を遮断した。あの世界の大陸の時程ではないがやっぱり精神が消耗する。


「どう? 稲田佑。大木達の声が聞こえた?」


 僕は汗をかきながら彼方に振り向く。そして無言で頭を振る。


「前と同じだよ。声は聞こえない。やっばりイメージでしか分からないんだ」 


 彼方は両腕を組み僕の目を真っ直ぐに見る。


「今回はどんなイメージ?」


「どの大木も不満だらけなんだ。何かに怒ってる感じがする」


 彼方は一本の大木に近づき、右手を手を当てる。


「正解よ。例えばこの大木は、伸び放題の枝の剪定を望んでいる。隣の木は根を生やしている土の養分に不満。そのまた隣の木はもっと広い土地に移動したがっている」


 彼方が僕の感じたイメージを言語化してくれた。な、なんかこの仕事って苦情係みたいだな。


 この苦情処理を重ねて、大木達の機嫌を良くしていく。それが重要だと彼方は言う。暦の歪みを正すって大変な作業だと改めて僕は知った。


 この特訓を上手くこなせば、彼方は僕の質問に答えてくれるかもしれない。僕はひと呼吸置いて、再び大木に額をつけようとした。


 すると僕と大木の間に突然カピバラが現れた。危うくカピバラに頭づきをする所だった。


「転移、開始します」


 彼方に色々聞きたかったのに、カピバラに邪魔された格好になった。僕の視界は暗闇に包まれる。


 僕は一瞬でイメージの世界から砂漠の世界に移動した。僕はまず周囲を観察する。前回とあまり変化は無い。一箇所を除いて。


 きなこちゃんの木が更に成長していた。それだけじゃない。木の根本の周辺に小さいが花が咲いている。


「······本当にあの娘は、末恐ろしい逸材ね」


 彼方が膝を折り、しゃがみながら花を眺めている。彼方のきなこちゃんへの称賛の言葉を聞き、僕は自分が褒められているかのように嬉しくなった。


「只今より小暑一族代表と、清明一族代表の決闘を開始致します」


 カピバラの機械音を発した後ろから、今日の対戦相手が歩いてくる。相手は男性だ。つむじの辺りが少し跳ねている。


 体型は普通で面長の顔をしている。紺のフード付パーカーにジーンズ。この砂漠が異様なせいか、周囲を物珍しそうに見ている。


「両一族代表は互いに自己紹介して下さい」


「······しょ、小暑一族代表、中木曽真司(なかきそしんじ)三十四歳。運送会社で働いています」


「清明一族代表、稲田佑。十七歳。高校三年生です」


 中木曽さんと名乗った男性は、なんだか穏やかな人柄に思えた。


「今年の夏こそ恋人をゲットしよう! 今回の決闘は、合コン対決と致します」


 ······はい? このカピバラ、今なんて言った?


 カピバラが指を鳴らすと、突然僕達の前に見知らぬ男女三人が現れた。な、なんだこの人達?


 カピバラは機械音の声で説明を続ける。僕と中木曽さんは、これから男女三対三の合コンに参加する。制限時間は二時間。


 最後にカップル成立すれば勝利。二人共に成立しなければ、相手女性三人の僕達の印象が良い方を勝利者とする。


 な、なんだそりゃ? 合コン? 本当にやるのか? 中木曽さんも戸惑っていると思いきや、両目を輝かせて嬉しそうだ。ノ、ノリノリ?


 突然現れた男女三人は、合コンに協力してもらう為に僕達の世界からカピバラ達が無作為に呼び出したらしい。


 この人達には催眠術をかけており、この砂漠世界で合コンする事に何の違和感も抱いてないと言う。


 ほ、本当にやるのか? この時僕は気づいた。迷惑にも呼び出された三人。男性一人に女性二人。三対三には一人女性が足りないぞ?


 男女三人の横に一人の女性が近づき、三人の横に並んだ。その女性は純白のセーラー服を着ていた。


 も、もしかして、彼方も参加するのか!? 僕は慌ててカピバラに確認する。カピバラは頷く。女性を一人呼び損なったので彼方に参加してもらうと。


 彼方にも一時的に催眠術をかけ、僕の事も忘れているらしい。か、彼方が僕の事を忘れてこれから一緒に合コンする?


 僕の頭の中は混乱を極めた。僕の視線の先に映った混乱の元凶。否。鬼コーチは、欠伸をしながら退屈そうな顔をしていた。



 


 

 



 













 

 

 

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