第9話 夏至①
今年の気象は異常だ。と、毎回どこかの季節で言っているような気がする。今日から七月だと言うのに関東はまだ梅雨入りしていなかった。
二十四節気で言うと今は夏至。一年で一番日が長く夜が短い時期だ。
長雨の代わりに空は容赦ない強い日差しを地上に浴びせる。ここ一週間、三十度を超える日が続いた。
テレビでは眼鏡をかけた評論家がフェーン現象だの、新興国の二酸化炭素排出だのと理由を上げていた。
経済発展に伴う公害発生は必ずセットになっているらしい。日本も昔そうだったみたいだ。
僕を含めた生まれてからずっと不況の世代には、景気のいい世界など知る由もなかった。
ただ、そこに在りたいだけなのに蝕まれていく。僕はこの地球の声らしき言葉を聞いた時の事を思いだす。
僕達一族が古来からの務めを果たさない為に、地球が悲鳴を上げているのか。僕にはそんな事関係ない。最初はそう思っていた。
でも僕は既に四人の人生を変えてしまった。その人達は周囲から存在を忘れられてしまったのだ。
僕はその人達の責任を負っている。もう決闘が嫌だとか、悲痛激痛コースが嫌だとか言っていられなくなった。
いや、訓練と称していびられるのはやっぱり嫌だなあ。強い日差しが照りつける中、僕は近所の公園に来た。
日曜日なのに暑さのせいか公園に人は居ない。いや、一人だけいた。白い日傘をさした少女だ。着ているセーラー服も白い。
少女はベンチに座って空を見上げている。僕が責任を負っている一人、彼方だ。僕が決闘に負ければ彼女も一緒に存在を消されてしまうのだ。
いや、彼方の場合は命を失うと本人が言っていた。僕とは状況が違い過ぎた。
······それにしても。彼方は静かに口を閉じていれば、なかなか可愛いと最近思うようになってきた。当初は失礼ながらクラス内で言うと中の中ぐらいだと批評していた。
そして彼方は笑うと素顔の何倍にも可愛く見える。彼方の微笑んだ顔を思い出すと、なぜか胸の奥の辺りが少しだけ疼く。
いつもの純白のセーラー服は長袖から半袖になり、膝まであったスカートも気持ち短くなっていた。
改めて見ると彼方は足が長く、スタイルがいい。気温のせいだろうか。肩より少し長い髪を後ろで結んでいた。
「彼方。待った?」
······これって、なんだかデートで待ち合わせた時の言葉のようだ。最も、僕はデートなんてした事ないけど。
「そんなには待っていないわよ。あのナンキンハゼ。最近機嫌が良さそうね」
彼方の視線の先を僕も見る。濃い緑の葉をそよ風に揺らすナンキンハゼは、確かに彼方の言う通り嬉しそうに感じられた。
最近の彼方は突然僕の目の前に転移して来る事が無くなった。事前に日時、場所を指定するようになっていた。
「え? じゃあ契約破棄をすると、精霊が命を消されるの?」
僕の確認に彼方は頷いた。前回の決闘での精霊達の会話の疑問点を彼方は教えてくれた。
精霊は生まれた時に一族と契約を交わす。
その契約により、精霊は主人に絶対服従らしい。
だが暦詠唱をちゃんと唱えず呼び出したりすると、主人の命令に従わない事がある。詠唱をしっかり唱えても稀に反抗的な精霊もいるとの事だ。
精霊がこちらの命令に逆らった場合、契約破棄により精霊の命を消す事が出来るらしい。以前、月炎が言った。精霊は倒れると復活するのに長い時間がかかると。
それとは異なり、文字通り永遠に消すと言う事らしい。僕等一族は、精霊の生殺与奪を握っているのだ。
「稲田佑。前回アンタが呼び出した精霊。気をつけたほうがいいわ。反抗的な態度が終始見てとれたわ」
爽雲の事か。確かに爽雲は何か投げやりな感じがした。でも彼方の言うように反抗的とはまた違うような気がする。
僕は右手に持ったビニール袋の事に気づき、袋から大福を取り出した。
「はい彼方の分。ちゃんとこし餡だよ」
「······ありがとう」
僕等はベンチに腰掛けながら大福を頬張る。彼方は食事のマナーをきちんと守る。食べ物を食べる時は、両手を合わせ頂きますと必ず言う。
そして好きな物を食べる時は物凄く嬉しそう表情をする。僕は横目でちらりと彼方を見ると、白米を食べる時と同じ顔をしていた。
なぜだろうか。彼方が嬉しそうな顔をすると僕も嬉しくなる。僕は水筒に入れてきた冷たいよもぎ茶を彼方に渡し、僕等は乾いた喉を潤した。
休日の静かな公園で僕等は暫く無言だった。時折吹く弱い風に、涼を求めるように目を閉じる。
「で、例の手紙って?」
彼方の言葉で僕は我に返る。あまりに気が抜けていたらしく、大袈裟に僕は身体を揺らした。
「う、うん。これなんだけど」
僕はビニール袋から一通の白い封筒を出した。宛名は僕の名前。差出人は権田藁総司(ごんだわらそうじ)と書かれており、全く知らない名前だ。
この手紙は三日前、僕の住むアパートのポストに入っていた。手紙を見て驚いた。この権田藁と言う人は立夏一族代表で、次の僕の決闘の相手だったのだ。
手紙の内容は、次の決闘で僕に負けて欲しいと書かれていた。その代わりに金銭の補償をするとも書かれていた。その額なんと二億円!!
真偽の程は分からないけど、これがもし本当だったらこの権田藁って人は大金持ちと言う事になる。
「稲田佑。アンタ、まさかここに書かれている二億円に心が揺らいでいないでしょうね?」
も、勿論と僕は答えた。本当はグラグラに揺れまくった。だって二億円あれば一生働かなくていいのだ。
「······楽して生きようとすると、成人病がセットでついてくるわよ」
僕の心を見透かしたように、彼方が睨む。た、確かに。宝くじとか当たって急に不摂生を続けた人達は皆、糖尿病とかになると聞く。
問題はこの手紙の差出人が、なぜ僕の存在が分かったかだ。今までの決闘相手は全員初対面だった。
「精霊の力を使った。それしか無いわね」
彼方は断言した。以前、彼方は僕に言った。理の外の存在は暦を調整する力を失った。二十四の一族にその力を与えたからだ。
それは精霊に関しても同様らしく、理の外の存在は一族が操る精霊に関知出来ないらしい。
「こんな手紙、気にする事ないわ。アンタの心理的動揺を誘うケチな手よ」
なる程。やっぱり彼方に相談して良かった。こんな手紙、気にしなければいいんだ。僕が安心すると、彼方は好物を頬張る少女の顔から鬼コーチの顔に豹変した。
「そんな事より今日も特訓よ。鉄の斧コース。金の斧コース。どっちがいい?」
······ここはイソップ寓話の絵本の世界か? 僕もいい加減に慣れてきたぞ。この二択の質問は、すぐさま答えないといけないんだ。
そうしないとセットコースやら第三のコースとかにされてしまう!
「鉄の斧コース!」
僕は即答した。僕だって学習する事だってあるんだ。
「あ、鉄の斧コースは今売り切れだったわ。金の斧コースで決定ね」
はあああ!? 売り切れ? そんな事あんの? なんで? なぜ?
次の瞬間、僕の視界に彼方のおでこが入ってきた。
い、痛い! 彼方が自分のおでこを僕の額にぶつけた。そして額はつけたままだ。
か、彼方の閉じた両目が僕の鼻と触れそうな位に迫る。僕の心臓は急に激しく動き始めた。
「······稲田佑。心を鎮めて。イメージして」
イ、イメージって何を? 僕は堪らず両目を閉じ、落ち着けと自分を説得する。
······僕の意識は暗闇だ。その暗闇が波打つように揺らいだと思ったら、突然一面の暗闇から視界が開けた。
僕は砂利道の上に立っていた。周囲には五階建てと思われる集合住宅や一戸建てなどが密集して乱立している。
どの建物も古びていてボロボロだ。人が住めるとは思えない。空き家だろうか?
······そしてこの暑さ。空は青く、太陽が元気過ぎるほど光り輝いている。公園に居た時感じていた暑さよりもキツイ。
「これは私が理の外の連中から貰った力よ。ここでアンタは精霊を操る特訓をするの」
廃屋寸前の平屋を囲むボロボロのブロック塀の上に彼方は座っていた。せ、精霊の特訓?
彼方は説明を続ける。要約すると、これはイメージトレーニングらしい。僕が今この世界で精霊を呼び出しても、イメージの中なので実際に呼び出す訳ではないと。
でも、精神の消耗は現実に呼び出した時と同様に感じるらしい。
「百の言葉より一の実践よ。稲田佑。さっさと精霊を呼び出しなさい」
「わ、分かったよ」
僕は戸惑いながらも暦詠唱を唱える。最初に呼び出したのは紅華だ。前回同様、む、胸と足が紅い着物から露出している。
だが紅華の顔を見ると無表情だ。あんなに笑みを絶やさなかった紅華が。やはりこれはイメージの中なのだ。
彼方を見ると小さく何かを呟いている。すると彼方の頭上に何かが現れた。
それは人だった。笠を深く被り顔は見えない。青い作務衣のような衣服を着ている。胸には白い数珠。手には木製の杖を持っている。あれは確か錫杖と言っただろうか。
修行僧風に見えるそれは、彼方の呼び出した精霊なのか?
「行くわよ。稲田佑」
彼方がそう言うと、修行僧は錫杖を振った。錫杖の先端にある輪がぶつかり合い、シャンシャンと音を鳴らす。
その音を聞いた瞬間、僕の頭に割れるような痛みが走った。な、なんだこれ? 紅華を見上げると彼女も同様に苦しんでいる。
な、なんとかしないと。僕は紅華に修行僧の心を乱すように頼んだ。彼女が頷く前に、修行僧は僕等の前に接近してきた。
修行僧は縦にした左手を胸に合わせ、何か呟いた。その瞬間、紅華は見えない何かに吹き飛ばされた。
「こ、紅華!」
紅華は砂利道に叩き落とされ、ピクリとも動かない。
「心を司る精霊は物理攻撃に弱いわ。覚えといて。さあ次の精霊を出しなさい。稲田佑」
「つ、次って。精霊を複数呼び出すと、精神の消耗は命に関わるって」
「大丈夫よ。ここはイメージの世界。ここでの疲れは現実世界に支障をきたさないわ」
······それから僕は、月炎と爽雲を順番に呼び出した。月炎はさっきの頭痛にやられ。爽雲は錫杖で叩かれ沈黙した。
僕は高熱にうなされながら、三日徹夜したような気分だった。精霊を複数呼び出すとこんなにも辛いのか。
「その辛さを知るのも訓練のうちよ」
彼方はブロック塀に座りながら話を続けた。精霊が最も力を発揮するのは月の上旬は心。中旬は技。下旬は体。
時期でない精霊を呼び出すと、力を発揮出来ない。だが相手の精霊との相性もあるので、あえて時期ではない精霊を呼び出す時も必要だと言う。
また、最初に精霊を呼び出した方が不利らしい。後から呼ぶ方は、相手の精霊を見てからどの精霊を呼ぶか選択が出来るからだ。
······なる程。色々駆け引きが必要な訳だ。そう言えば前回、爽雲が相手の精霊に言っていた。君とは初対面だと。精霊同士、知り合いと言う事があるのかな?
「古来から一族同士で問題やいざこざがあった場合、決闘で勝ったほうの一族に従う。当然、その決闘で精霊同士が戦ってきたわ」
七十ニ気神の精霊達は、お互い色々な因縁や複雑な関係が混在しているらしい。
······それにしても、彼方が精霊を呼び出すなんて。やはり彼方はどこかの一族の代表なのか?
「······半分正解で、半分不正解よ」
僕の疑問に彼方はそう言った。余計に分からなくなって来たが、それ以上は教えてくれそうにも無い。
砂利道と古びた建物の世界は、僕の意識からそこで途切れた。僕は現実世界に戻り、目を開けると彼方の顔が眼前に迫っていた。
僕は焦って顔をのけぞらせた。イメージトレーニングのせいだろうか。心臓の鼓動が落ち着かない。
そのベンチにに座る僕と彼方を、すぐ間近で眺めている誰かがいた。横目で見ると、それはカピバラの着ぐるみだった。
「転移。開始します」
僕の心臓は落ち着く暇も無く、視界が暗転する。
僕はまた一面砂漠の世界にやって来た。僕はまず周囲を観察する。残念ながら前回とあまり変化は無い。やはり皆、苦労している事が伺えた。
······いや、変化はあった。あの一本の若木だ。前回見た時より倍の長さになっている。きなこちゃんはやはり天才だ。
「これより夏至一族代表と、清明一族代表の決闘を開始致します」
カピバラの機械音の声に、僕は振り向く。今回の決闘相手がこちらに歩いてくる。
髪をオールバックにしている。身長は高く、服装は黒と茶色のストラップスーツ。黒い革靴に砂が入ったのだろう。しきりに靴を気にしている。
スーツなんて着た事がない僕ですら、上等そうなスーツだと分かる。左手首から覗かせる時計も、きっと高価な物に違いない。
そしてその表情だ。堂々として、自信に溢れている感じがした。
「両一族代表は、お互いに自己紹介して下さい」
カピバラが僕等に指示する。
「夏至一族代表、権田藁総司。三十八歳。会社経営をしています」
「清明一族代表、稲田佑。十七歳。高校三年生です」
権田藁と名乗ったその男は、僕に友好的な笑みを向けてきた。あの手紙の返事はどうかな? そう言っているような気がした。
「気分は創造主! 今回の対決は、世界創造対決と致します」
······世界創造対決? 何だそれは? 僕と権田藁さんの前に二つの白い台が置かれている。その台から何かが浮き上がってくる。
······あれはタスマニアデビル? いつものデビルが立体映像のように台の上に浮かんでいる。
カピバラは決闘方法を説明する。僕達にはこれから世界創造のシュミレーションをしてもらうと言う。
自由な設定で世界を造り、その世界の住民の満足度を百点満点で競い、より高い方を勝利者とする。
街を作るゲームがあるがそのような物だろうか?とにかく僕は台の前に行こうとした。
その時、権田藁さんが僕の隣に近づき囁いた。
「稲田君。手紙の返事を聞かせてくれるかな?」
権田藁さんは笑みを絶やさない。
「······お断りします。そもそも、そんな事したらお互いに存在を消されますよ」
「理の外の存在は万能じゃない。私が君に手紙を出せたのも、暦の調整をする力を失ったのもそれが証左だ」
権田藁さんは自信たっぷりに言い切った。今からでも考えてくれと言い残し、権田藁さんは自分の台の前に歩いて行った。
······とにかく決闘に集中しよう。僕は立体映像のタスマニアデビルの前に立つ。
「設定時間は、現代から百年です。百年後の住民満足度の点数で争います。では自由に設定を行って下さい」
タスマニアデビルが機械音ので説明する。ひゃ、百年ってすごいスパンだな。自由に設定しろって言われてもなあ。
「一人の人間にあらゆる権力を持たせる設定にしくれ」
すぐ隣から権田藁さんの声が聞こえる。い、いきなり迷いも無くどうして出来るんだ?
「稲田君。シンプルに考えればいいんだ。君だってこの世の中に不満があるだろう? その不満を解消出来る設定にすればいい」
権田藁さんは決闘相手の僕にアドバイスをくれた。あ、案外いい人なのかな?
「稲田佑! 敵に助言してもらって何を呆けてるのよ!」
後ろから鬼コーチの激が飛ぶ。そ、そうだ。権田藁さんは敵だった。でもいい事を教えてもらったぞ。この世の中に感じる不満か。
······あるぞ。不満ならいくらでもある。僕の中からあれでもか、これでもかと不満が湧いてきた。
「稲田君。私達は敵同士だが、こうして巡り合ったのも何かの縁だ。よろしく頼むよ」
権田藁さんのこの言葉に、僕はなぜか彼方の話を思い出した。精霊達の因縁。僕はこの決闘で、その因縁を目の当たりにする事になるのだった。
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