第7話 芒種①

 僕は夢の中にいた。最近よく見る夢だ。僕は石の塊の上に腰掛けていて、隣には白い着物を着た子供が座っている。


 なぜだろう。この子供と一緒にいると安心する。以前は死神を追い払ってくれた。この子は僕の守り神なのかもしれない。


 この子はなぜか僕の事をお父さんと呼ぶ。僕は特に気にも留めなかった。でもこの子の顔は、どこかで見た事があるような気がする。


 どこで見たのだろうか? 思い出せない。子供はにっこりと笑い僕の手をとても強く握る。それはまるで、今まで甘えられなかった分を取り戻すかのように見えた。


 僕の夢はそこで途切れた。


「稲田起きろ! 今は授業中だぞ」


 担任が僕の耳元で叫び、僕は飛び起きた。僕は事態が分からず辺りをキョロキョロする。途端にクラス内から笑いが起こった。


 僕は授業中に居眠りをしたらしい。皆から笑われた。クラスの、いや学年のマドンナの郡山も笑ってる。は、恥ずかしいなあ。


 昨日はゲームをやり込んで就寝が遅かったのが原因かな。僕は欠伸を我慢出来なかった。開かれた窓から少し湿った風がカーテンを揺らして入ってきた。


 今日は六月十五日。暦で言うと芒種だ。この時期は穂の出る物の種を蒔く時らしい。確かに田植えもこの時期だったような。


 僕はもう一度欠伸をして黒板を見る。今は大学進学者の為の説明会だった。子供の数が少なくなり、大学が余るこのご時世。


 高望みしなければ進学はそれ程難しくないのかもしれない。でも僕は進学するつもりは無かった。


 勉強が苦手で嫌いな僕に大学に行く意味が無いからだ。それでも将来の為にと進学する人はいるかもしれない。


 でも裕福でない家にはそれは負担が大きすぎる。僕が仮に進学するとなると奨学金を借りなければならない。


 無事大学を卒業出来たとしても、数百万の借金を背負わなくてはならない。大卒の若造がその借金を返済するまで何年かかるか。


 だらしない僕にそれは不可能と思われた。そんな訳で僕は何の迷いも無く進学を選択肢から外した。


 最も、取り柄のない僕を雇ってくれる会社があるかどうかも怪しい物だが。今日最後の授業の終わりに中間テストの結果が帰ってきた。


 予想通り散々たる結果に僕は落ち込み、鞄を持ち廊下に出た。郡山に声をかけられたのはその時だ。


「稲田君。今日も彼女とデート?」


「え? ち、違うよ。彼女じゃないって」


 郡山は僕が照れて誤魔化していると思っているらしい。こんなモテない僕が、こんなモテる郡山に誤解される事があるんだと僕は不思議に思った。


「······稲田君って最近少し変わったよね。なんて言うか、男らしくなった気がする。あの彼女のせいかな?」


 僕は必死に違うと反論したが、郡山は笑いながら他の友達と何処かに行ってしまった。


 僕は大切な約束を忘れていた事に気づき、急いで学校を出た。帰り道の途中にあるスーパーで手早く買い物を済ませ、自宅のアパートに帰宅する。


 アパートには誰も居なかった。母親は仕事で妹の希はいつも帰りが遅い。壁に掛けた安物の時計は十六時を指していた。


 僕は急いでスーパーから買ってきた食材をテーブルに出す。まず米を研ぎ水につけておく。ジャガイモ。人参。玉ねぎを剥き、鉄フライパンで炒める。


 火が通ったらだし汁を入れ、お酒、みりん、醤油を入れていく。あとは落とし蓋をしてひたすら煮詰める。


 次はネギを切りごま油で炒める。そこに溶いた卵を入れ半熟になった所で火を止める。炊飯器にスイッチを入れ僕は味噌汁に取り掛かった。


 近所の電柱に取り付けらているマイクから音楽が流れてきた。十七時の合図だ。その瞬間、台所のテーブルの椅子に人が現れた。



 紺のシャツに黒いパンツ。そして三つ編み。テーブルに座っていたのは、前回の決闘相手両手きなこだった。


 きなこちゃんは無言で椅子に座っている。僕は完成した肉無し肉ジャガとネギの卵炒めをテーブルに並べる。


「今ご飯と味噌汁よそうね」


 僕が話しかけてもきなこちゃんは目を伏せたままだ。それにしてもあと一人揃わない。あの食いしん坊が来ないなんて、あり得ない筈なんだけど······。


「······誰が食いしん坊だって?」


 僕の背後で突然、殺気がこもった声が聞こえた。危うく僕は茶碗を載せたお盆を落とす所だった。どうやら僕は心の声のつもりが口から漏れていたらしい。


「い、いらっしゃい彼方。約束の時間ピッタリだね。丁度ご飯が出来た所だよ」


 純白のセーラー服を着た少女は暫く仁王立ちして僕を睨んでいたが、味噌汁の匂いに気づいたらしく大人しくテーブルに座った。


「彼方。きなこちゃん。遠慮なく食べてね。頂きます」


 三人の奇妙な晩餐が始まった。前回の決闘の後、僕はカピパラにお願いをした。月に一度、きなこちゃんを僕のアパートに転移させて欲しいと。


 僕はただきなこちゃんにご飯を作り一緒に食べるだけだった。それが彼女の為に、ひいては暦の歪みを正す為になるとカピパラを説得した。


 本心では僕にそんな確信は無かった。ただ、きなこちゃんを一人にしたくない。それだけだった。


 カピパラは試験的に了承してくれた。但し、きなこちゃんに良い影響が無いと判断された時点で取り止めになると言われた。


 きなこちゃんも決闘に負けた立場上、勝者の僕の要求に従わなければならなかった。僕は料理の味を確認しながらきなこちゃんを見る。


「きなこちゃん。新しい施設はもう慣れた?」


「······普通」


「タスマニアデビルの訓練、厳しい?」


「······普通」


 きなこちゃんの素っ気ない返事に、僕は満足していた。答えてくれるだけで。ご飯を食べてくれるだけで僕は十分だった。


 ふときなこちゃんが、彼方を不思議そうに見る。その視線は、彼方の持つ茶碗に注がれていた。


「······お姉さんって、細いのに大食いなんだね」


 途端に彼方の顔が赤くなる。きなこちゃんがそう思うのも無理はなかった。彼方の茶碗には、溢れんばかりのお米が山盛りで鎮座していたのだ。


「こ、これは違うの! これは稲田佑が勝手に盛っただけなんだから!」


 ······か、可愛い。赤面する鬼コーチを僕は不覚にも可愛いと思ってしまった。理由は分からないが、彼方は頑としてお替りを拒んだ。


 だから、せめて一膳で沢山食べて欲しいと大盛りでお米をよそったのだ。彼方は赤い顔を僕に向けた。


「ア、アンタがこんなに大盛りにするから!」


「え? い、いや悪かったよ」


「······ふーん。お兄さんとお姉さん。仲がいいのね」


 小満一族代表の一言で、僕と彼方は赤面した。


 ささやかな夕食が終わり、きなこちゃんは迎えに来たタスマニアデビルと共に転移して行った。


 帰り際一瞬だけ僕の目を見てくれた。そして小さい声でご馳走さまと言ってくれた。僕はそれだけで世界中が平和になったような嬉しさが込み上げてきた。


「嬉しさが顔から溢れている所、悪いんだけど」


彼方が僕を見つめている。彼方は、前回決闘の最後に言った事を忘れてくれと言ってきた。


『どうして別れたりしたのよ』


 確かに彼方はそう言った。あれは、どう言う意味だったのだろう? 生まれてこの方恋人なんて出来た事の無い僕に別れる相手なんて居ないんだけど。


 彼方には意識を失ったから聞いてなかったと誤魔化した。彼方は一瞬だけ考え込み「ならいいわ」と言いこの話を打ち切った。


「彼方は僕の所へ何度も来て学校とか平気なの? 家族は?」


「何よ突然? どうしてそんな事聞くの?」


「い、いや。僕は決闘で彼方の責任も負ってるからさ。彼方の事も知っておきたいんだ」


 彼方はテーブルの椅子に座り、よもぎ茶を静かに飲む。小さい台所に時計の針が動く音が響く。き、気まずい沈黙だな。


「······学校は融通が効くから大丈夫よ。家族は祖母一人だけ」


 僕は内心驚いていた。何を聞いても守秘義務の一言で無視されるかと思ったからだ。


「稲田佑。そんな事より、精霊についてアンタに言っておく事があるわ」


 精霊には、あまり馴れ馴れしくしないようにと彼方に言われた。一族代表と精霊は完全な主従関係にある。


 精霊を呼出すあの暦詠唱は、精霊が主人に決して逆らえない為の見えない鎖だと言う。暦詠唱を唱えないで精霊を呼ぼうものなら、精霊は主人の命令に従わない事もあるらしい。


 な、なんか殺伐とした話だな。僕なんかに協力してくれるんだから、出来たらこちらも礼を尽くしたい所だけど。


 そう言えば、彼方はいつもどうやって僕の所へ転移して来るんだろう? まさか自分で? 僕は素朴な疑問を聞いてみた。


「私にもタスマニアデビルが一体ついてるの。まあ、半分私の監視役みたいなものだけど。その着ぐるみに転移をお願いしてるわ」


 そうだったんだ。清明一族は、春分一族と並んで二十四の一族達をまとめる立場にある。だから僕には特別にコーチがついている。


 以前、彼方にそう言われた。でも、なぜ僕のコーが彼方なんだろうか? 彼方は一族の一人らしいけど詳しくは教えてくれない。


「彼方って、もしかして僕の遠い親戚か何か?」


 僕はこの時、深い考えがあってこの言葉を言った訳では無かった。でも、彼女が僕のコーチになる必然性を考えた時、血縁関係という言葉が浮かんだのだ。


 僕の何気ない一言に、彼方の表情は凍りついた。凄く怖い目で僕を見る。


「······どうしてそう思うの? 稲田佑」


「い、いや別に何となくだよ。彼方が僕のコーチになる理由って、血縁関係があるからかなって思ったんだ」


「······前に言ったでしょう。私にも、守秘義務があるのよ」


 そうだった。彼方も色々制約があるんだった。それにしても、さっきの反応は······。


 その時、台所のテーブルの椅子に突然何かが現れた。カピバラだ。カピバラの着ぐるみが椅子に座っている。な、なんかシュールな絵だな。


 カピバラは黙って向かいの椅子に座る彼方を見ていた。どうしたんだろ? 何時も有無を言わさず転移開始しますって言うのに。


 そう言えば前回の決闘の最後の時。僕が気を失う時もこちらを見ていた。いや、あれは僕じゃなく彼方を見ていたのか?


「何よカピバラ。私に何か用?」


 彼方が怪訝な表情でカピバラを見返す。カピバラは沈黙を守り少しだけ俯いた。


「······転移、開始します」


 どうやらカピバラは茶飲み話に来た訳では無かった。いつものように僕の視界が暗転した。


 一瞬で僕は異世界に転移した。僕は周囲を見回す。前回から大きな変化は無かったが、一本の若木が目に止まった。


 それは、まだ五十センチ程の若木だった。たった一本なのに、なぜか存在感があるように僕には見えた。


「きっとそれは、あの小学生のせいでしょうね。あの年齢で初候の極に到達。そして精霊を呼出す精神力。あの子は間違いなく天才よ」


 そっかあ。きなこちゃんが、この未来の世界へ影響を与えているんだ。僕はなんだか嬉しさが込み上げてきた。


「これより清明一族代表と、芒種一族代表の決闘を開始致します」


 カピバラが機械音を発し、決闘を宣言する

。今日の僕の決闘相手が姿を見せる。ん? 今

日の相手はなんだか······。


「両一族代表は、互いに自己紹介して下さい」


「······芒種一族代表、細木真(ほそきまこと)二十八歳。フリーターです」


 細木と名乗ったその人は、白いシャツに黄色のパーカー。ジャージのズボンを履いていた。そして突き出たお腹が目に止まる。


 顔もふっくらして、なかなか肉付きのいい人だった。髪の毛は寝癖があり、無精髭も伸び放題だ。


「せ、清明一族代表、稲田佑。十七歳。高校三年生です」


 ······なんだろう。この細木さんからは、自分と同じ匂いを感じる。目立たず、注目されず、モテず。それは、決して日の目を見ることの無い人生。


 細木さんも僕に同類の匂いを感じ取ったのだろうか。穏やかや表情で僕を見ている。


 気づくと僕達の目の前に二つのテレビ画面が置かれている。またゲーム対決だろうか? しかしゲーム機は見当たらない。


 その代わりに、押しボタンと思われる箱が二つ置かれていた。


「あのドキドキの思い出が甦る! 今日の対決は、我慢対決と致します」


 ······我慢対決? テレビ画面。そして押しボタンが我慢と何の関係があるんだ? この時僕は気づかなかった。


 この対決方法が僕と細木さんに、とんでもない地獄を見せる事になるとは。


 








 


 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る