第6話 小満②

 最後に竹馬なんかに乗ったのは、いつの頃だろうか。幸い運動音痴の僕でも竹馬には乗れた。砂の上を竹馬で走るなんて初めての経験だ。竹の棒が砂に埋まり思うように進まない。


 決闘相手のきなこちゃんも流石にこれは手こずっている様子だった。僕はなんとかバランスを保ちつつ、きなこちゃんに近づく。


「きなこちゃん待って! 忘れられるって本当に辛い事なんだ」


 好きだった人に忘れられてもあんなにキツイのに。家族に存在を忘れられたらどれ程辛いか。しかも十歳の子供に。


「······じゃあ、お兄さんが負ければいいじゃない」


 痛い所を付かれた。でも僕一人の問題じゃないんだ。決闘で戦った人達、そして彼方への責任も僕は負っている。


「僕にも事情があって負ける訳には行かないんだ。ただ、きなこちゃん分かって欲しんだ。忘れられる辛さを。その上で決闘をして欲しい」


 僕は自分でも訳がわからない事を言っていた。それは自覚している。でも言わずには居られない。


「はあ? 意味分かんない。って言うか、お兄さん道徳の教師か何か? ······ウザッ」


 夏休みの宿題は計画的に片付けないと後で痛い目に遭う。それは例えると、大人が子供に伝える警告のようなものだったのかもしれない。 


 僕はキナコちゃんに近づき、更に声を掛ける。


「うるさい!」


 キナコちゃんは両手と左足でバランスを取りつつ、右足で僕の竹の棒を蹴った。


 僕は左足を乗せていた棒を手と足から離してしまい、左足を砂の上に着けてしまった。


「私は施設で生活しているの。給料の為に私達を世話している職員。負け犬みたいな目をしている他の孤児たち。憐れみという優越感で私を見るクラスメイト。忘れられて困る人なんて一人もいないのよ。分かった? 道徳教師のお兄さん」


 きなこちゃんの身の上話は僕を絶句させた。のほほんと毎日をダラダラ過ごしている僕には、何も言葉が浮かんでこない。


「清明一族代表はスタート地点に戻って下さい」


 カピパラの着ぐるみが僕に警告する。きなこちゃんは僕に一瞥もせず先に進む。僕は突然の情報量に戸惑い動けない。


 僕は勝手に想像していたんだ。きなこちゃんには両親や兄弟、友達が普通にいると。僕は一人で余計で大きなお世話を大声で繰り返していたんだ。


「稲田佑! 早くスタート地点に戻って!」


 後ろから彼方の声か聞こえた。そうだ。僕には呆けている余裕はない。色んな人達の責任を負っているんだ。


 僕はただ義務感で足を動かし、再びスタート地点から竹馬を走らせる。高校生と小学生の体力差はやはり大きい。僕は時期にきなこちゃんに追いついた。


 駄目だ。僕なんかにこんな境遇の子供に何を言える? 何も言えなかった。でも勝手に僕の口が動く。


「······きなこちゃんは、両親の事は······」


「私の母親は子供の父親が誰かも分からない程だらしない女よ。その女に栄養失調にされた所、通報されて保護されたわ。これで満足? 道徳教師のお兄さん」


 僕は再び絶句する。施設の職員の人達は親の居ない子供達の為に必死で働いている。施設で育つ子供達だって明るい未来の為に努力している。


 クラスメイトだって、親が居なくても友情を持ってくれる子だっている。


 ······そんな言葉が浮かんで消えた。


 僕の声などきなこちゃんに届く筈もなかつた。それでも馬鹿な僕は今浮かんだ言葉を口から外に出してしまう。


「······ねえ、道徳教師のお兄さん。お兄さんが決闘を始めたのはいつ頃?」


 きなこちゃんは僕の言葉を冷然と無視し、質問を投げかけてきた。決闘を始めた時期? 桜の散る頃で今から二ヶ月弱前だろうか。


「その時から全ての一族代表に、あのタスマニアデビルの着ぐるみが側についているのよ」


 それってコーチって事かな? 僕に彼方がついているみたいに。え? ま、まさか?


「二ヶ月間、私には訓練する期間があったって事よ!」


 僕の想像は現実になった。きなこちゃんは、前回の決闘の僕のように暦詠唱を唱え始めた。


「末候! 麦秋至(むぎのときいたる)」


 きなこちゃんの頭上に、七十ニ気神の精霊が現れた。尖った髪、鋭い両眼と引き締まった身体。上半身は裸で褐色の肌をしていた。下半身は獣の皮のようなものを纏っている。


 な、なんか原始時代から飛び出してきた感じの精霊だった。精霊は僕を睨む。こ、怖いんだけどこの精霊!


 七十ニ気神の精霊は月の上旬は心。中旬は技。下旬は体を司っている。今日は二十一日の下旬だから、末候の精霊が最も力を発揮すると彼方が教えてくれた。


「精霊! あの学生服のお兄さんを痛めつけて。竹馬に乗れなくなる位にね」


 きなこちゃんが非情な命令を精霊に下す。こ、こんな逞しい精霊に攻撃されたら、僕なんて一撃で倒される!


「稲田佑! ボサっとしてないで、アンタも精霊を呼び出して!」


 彼方の叫び声が僕を我に帰らせる。僕は無我夢中で暦詠唱を口にする。


「暦を守りし番人の名において命ずる。その姿を現し、我に従え!」


 僕は叫んだ。


「末候! 虹始見(にじはじめてあらわる)」


 詠唱を終えた僕の頭上に、何かが現れた。前回と違い、姿を見なくてもそう感じた。その七十ニ気神の精霊は静かな目で僕を見た。


 黒髪を頭の上で結っている。細い両眼と細い頬。一見痩せているように見えたが、精悍で引き締まった顔だ。


 身体は黒い鎧を着ている。まるで、戦国時代の武将が着ている鎧のようだ。過度な装飾は無く、ただ実戦の為にだけ造られたような鎧だった。


 腰に刀と脇差しが帯刀されていた。黒い鎧武者は僕の前に膝を着き頭を垂れた。


「御主君。ご命令を」


 鎧武者は低い声で僕に指示を仰いできた。こ、この精霊。目と声に迫力あるなあ。


「相手の精霊の攻撃を止めて欲しんだ。僕が竹馬から落とされないように」


 鎧武者はきなこちゃんが呼び出した精霊を一瞥する。


「奴の生死は問わない。それでよろしいでしょうか?」


 せ、生死? いや、そんな物騒な。と言うか、精霊達も死ぬ事があるのか?


「人間界の死とは少し異なります。精霊が一度絶命すると、次に目を覚ますのは数百年の時間が必要になります」


 黒い鎧武者が僕の疑問に答えてくれた。なる程。一度精霊を失うと、少なくとも一族達との決闘の期間はもう呼べないらしい。


 鎧武者が言い終えると、地に着けていた足を蹴り飛び上がった。褐色の精霊が間近に迫っていたのだ。


 屈強そうな褐色の精霊に鎧武者がぶつかる。両者とも両手の掌を掴み合い睨み合う。僕は鎧武者に叫ぶ。


「命まで取る必要はないから! 相手の動きだけ止めてくれ!」


「承知致しました」


 僕は後方支援を鎧武者に託し竹馬を走らせる。きなこちゃんの小さな背中が間近に迫る。僕は証拠にも無くまた叫ぶ。


「きなこちゃん聞いて! 僕は勉強も運動も駄目で友達もロクにいない。でも、自分を忘れて欲しく無い人は一人ぐらい居るんだ。君にだってそんな人がいる筈だ。例え今居なくても、きっとこの先現れるから!」


 僕はきなこちゃんの隣り並んだ。彼女の返答は面倒臭そうなため息だった。


「ねえ。道徳教師のお兄さん。私がなんでこんな決闘をやっていると思う?」


「え? そ、それは。存在を消されたくないから。もしくは暦の歪みを正す為に······」


 そうだ。きなこちゃんは、存在を消されるなんてどうでもいいと言った。では、暦の歪みを正したいから? いや。そんな風にはとても見えない。


「私はこの決闘に勝ち続けて、全ての一族に命じるのよ。この世界の気候を、メチャクチャにしろってね」


な、何を言っているんだ? この子は?


「決闘に負けたら相手の一族命令は絶対。私は、こんな世界壊してやるのよ!」


 これが僅か十歳の子供が言う言葉なのか? こんな小さな子にここまで言わせたのは誰のせいだ?


 彼女の両親? 環境? 社会? 分からない。頭の悪い僕にはとても答えなんて分からない。その時、僕の頭に何かが入り込んできた。


 それは、公園でナンキンハゼの心を感じ取ったイメージと同じ感覚だった。


 ······これは、きなこちゃんの感情? 心か?


 それはとても薄暗くどす黒い塊だった。僕は吐き気がした。こんな、こんな黒く重い物をあの子は抱えているのか?


 その時、僕の頭上に褐色の精霊が猛然と突っ込んできた。それを阻止すべく黒い鎧武者が追撃する。


 褐色の精霊が空中で突然静止し、振り向きざまに後ろから迫る鎧武者に右拳を付き出す。ボクシングで言うとカウンターの原理だろうか。


 このまま攻撃を受ければ、鎧武者は自分の勢いの分もダメージを負う。鎧武者は勢いをそままに一回転し、褐色の精霊の右腕にかかと落としを叩きつけた。褐色の精霊は苦悶の表情を見せ、鎧武者から距離を取る。


「多岩石流雨!!」


 褐色の精霊が何か叫ぶと、砂漠の中から大小無数の石が浮き上がって来た。石は褐色の精霊の周囲に集まると、鎧武者に向けて物凄いスピードで飛んでいった。


「あ、危ない! 逃げて!」


 僕が叫んでも黒い鎧武者は動かない。上半身をかがめ、右手で刀の柄を握る。


「黒炎刀演舞!」


 鎧武者が刀を抜くと、半月の形をした炎が飛び出した。轟音と共に、その炎は石を蹴散らし褐色の精霊に直撃した。


「ぐああっ!」


 炎に包まれた褐色の精霊は、苦痛のあえぎ声を発し地上に落下して行く。僕と鎧武者の視線が交錯する。

 

 ······あの精霊は頑強な身体の持ち主ゆえ死んではおりません。僕は、なぜか鎧武者がそう言っているような気がした。


 僕は小さく頷き、鎧武者に目で礼を言う。精霊を呼出す代償。精神の消耗は後からやって来る。僕は全身のだるさを感じていた。


 それはきなこちゃんも同様で肩で息をしている。僕は身体ごときなこちゃんにぶつけた。


 それは故意か。消耗によるふらつきか。自分でも判別つかなかった。僕ときなこちゃんは竹馬から落ち砂の上に倒れた。


「清明一族代表並び小満一族代表は、スタート地点に戻って下さい」


 カピバラの機械音が響く。きなこちゃんは砂だらけになった身体を手で払う余裕も無く、自分の呼び出した精霊を探す。


「精霊はどこよ? 早く邪魔者をどこかにやって!」


 僕は彼女に近づく。自分がこれから何をしようとしているのか? 僕自身でも分からなかった。


 僕はきなこちゃんの頬を叩いた。


「······何すんのよ! 痛いじゃな······」


 彼女が言い終える前に、僕は再びきなこちゃんの頬を叩く。それを繰り返す。何度も。何度も。


 この乾燥した世界に、少女の頬が叩かれる音が静かに響いた。


「稲田佑! 止めなさい。一体アンタどうしたの?」


「彼方は黙ってて!!」


 僕の肩を掴む彼方を無視しながら、僕はきなこちゃんの頬を叩き続けた。


「稲田佑······」


 きなこちゃんの両頬は赤く腫れ、両目は涙で滲んでる。それでも、僕を睨む目にはまだ力があった。


「······どうだ? 痛いだろ? 苦しいだろう? だったらこの痛みを忘れるな。いつか大人になったら僕に仕返しに来い」


「······何を訳分かんない事言ってんのよ」


「僕は忘れない。いつか仕返しに来る君を。世界中の人が君の存在を忘れても、僕だけは絶対に君を忘れないからな!!」


「······なんでお兄さんが泣いてんのよ」


 きなこちゃんに言われて、初めて自分が泣いている事に気づいた。なぜ僕は泣いているんだろう。分からない。自分のこの言動も分からなかった。


「君にこんな酷い事をした僕を忘れるな! 仕返しが出来る大人になるまで! だから、それまで強く生きろ! 負けるな! 負けるな!!」


 ······僕は何を言っているのだろう。分からない。とにかく悲しかったんだ。心が何か重い物に押し潰されるように痛む。


 僕は手を止めた。もう駄目だ。薄っぺらい人生を生きてきた僕にこれ以上何も出来ない。ごめんね。きなこちゃん。


 ······顔を上げきなこちゃんを見ると、彼女は小さい肩を震わし僕を凝視していた。目と頬が赤い。こんな子供に酷い事をしたなあ。


「······これは、お兄さんの心の声······?」


 きなこちゃんが何を言っているのか、僕は最初分からなかった。彼女は初候の極に到達していて僕の心の声を聞いた。決闘の後、彼方がそう教えてくれた。


 きなこちゃんの両目から再び涙が溢れる。彼女は大声で泣いた。それがどんな涙だったのか僕には分からなかった。


 ······タチの悪い熱にかかったように頭がクラクラする。気づくと僕は、きなこちゃんの手を引いてスタート地点に戻っていた。


 僕は半分無意識の状態で竹馬に乗り、ゴールを目指した。一度だけ後ろを振り返ったが、きなこちゃんは俯いたまま動かなかった。


 どれくらいの時間がかかったか。僕は二体のタスマニアデビルが持つゴールテープを切った。


「この決闘は清明一族の勝利とします」


 カピバラが決闘の終わりを告げた。


 僕はきなこちゃんに暦の歪みを正す活動をする事を命じ、タスマニアデビルにその指導監督を一任した。


 決闘の余韻を許さないかのように、タスマニアデビルがきなこちゃんを連れて行く。


 僕はただ黙っていた。これ以上、何も彼女に出来る事は無い。いや、出来る事なんて一つも無かったんじゃないだろうか。


 きなこちゃんがタスマニアデビルから離れ、僕の近くまで走ってきた。十メートル程手前で足を止め彼女は叫んだ。


「······私は変わらないから! 私を捨てた親も! 私を憐れむ連中も! この世界ごとメチャクチャにしてやるんだから!!」


 無音のこの世界に、僅か十歳の少女の呪いの言葉が響く。僕は弱々しく笑い彼女に頷いた。


 ······今はそれでいいよ。何でもいいから、僕に仕返しに来るまで強く生きて。


 きなこちゃんが何かに気づいたように顔を上げ、また涙ぐんだ。僕に背を向け、タスマニアデビルの元へ歩いていく。


「絶対強くなって、仕返しに来るから!」


 背を向けたまま彼女は叫んだ。そしてタスマニアデビルと共に姿を消した。あの娘の心の涙はいつか乾き止まるのだろうか。


「御主君。ご無事で何よりでした」


 気づくと、鎧武者が僕の目の前でひざまづいていた。


「ありがとう。君のおかげで助かったよ。ええと、君の名前は?」


「我々、七十ニ気神に名などございません。精霊とでもお呼び下さい」


 ······何故だろう。この精霊は、まるで抜き身の刀身のような鋭さを感じる。戦いが己の全てと。そう物語るような雰囲気を纏っている。


「······げつえん。月炎なんてどうかな? 君の名前に」


「月炎······でございますか?」


 鎧武者は少し戸惑った表情を見せた。今度の主人は妙な奴だと思ったのかもしれない。


 幸い鎧武者は僕の命名を了承してくれた。お呼びがかかれば、いつでも馳せ参じると心強い言葉を残し消えて行った。


「······ねえ、彼方。決闘に勝った一族の命令は絶対なんだよね?」


 僕は後ろを振り向き、彼方に以前聞いた事を確認する。


「ええ。命令は絶対に受け入れなくてはならないわ」


 僕は頷くと、カピバラの前に行きある事を伝えた。その様子を見ていた彼方は、僕の目を真っ直ぐ見つめながら口を開く。


「······稲田佑。アンタは何で、他人にあそこまで一生懸命になれるの?」


 え? 何でって。そんな事分かんないよ。深く考えて行動している訳じゃないし、気づいたら自分でも訳が分からない事を言っているんだ。


 ······おかしい。今日は身体が言う事が効かない。僕は膝が折れ倒れそうになった。その時、彼方が僕の身体を支えてくれた。


 彼方の髪の毛から何かいい匂いがした。彼方が言うには今日の僕は精霊を呼び出した他に、きなこちゃんの心を感じ取った為に消耗が重かったらしい。


「······はは。この体たらくじゃあ、また反省会だね」


 僕が脱力気味の小声でそう言うと、彼方が問いかけてきた。


「······どうして?」


「え?」


「そんなに他人を想えるなら、どうして別れたりしたのよ!!」


 僕には、彼方の言葉の意味が分からなかった。意識が薄れ、僕は無意識の闇の底へ落ちた。瞼を閉じる瞬間、カピバラの着ぐるみが目に入った。カピバラは、なぜかこちらをじっと見続けていた。


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