第3話 立夏①

 僕は夢を見ていた。白装束の死神に追われる夢だ。僕は必死で逃げるが、足がもつれコケてしまう。全く僕は夢の中でも鈍くさい。


 死神に追いつかれると思った時、白い着物を着た少女が現れ死神を追い払ってくれた。少女は僕に手を差し伸べて確かにこう言った。


『お父さん。大丈夫?』


「ちょっと、何時まで寝てんのよ?」


 ······あれ? これは今夢? 現実? 見覚えのある顔が僕を覗き込んでいる······確かこの娘は······


 僕は物凄い勢いで布団から起き上がり、左右を見回す。見慣れた四畳の空間。間違いなく僕の部屋だ。そして布団で寝ていた僕を見下ろしていたのは間違いなく彼方だった。


「な、なんで彼方が僕の部屋にいんの?」


 彼方は部屋の本棚から無造作に漫画を一冊抜き取り、面白くもなさそうにページをめくっている。


「私は理の外の存在から依頼されてアンタに協力しているのよ。あの連中は何でもアリだから」


 ひ、人の部屋に。いや、人の家の中に不法侵入する事なんて造作も無いって事か?


「それにしてもアンタ漫画ばっかりね。たまにはちゃんとした本も読みなさいよ」


 大きなお世話だ! 不法侵入者に説教されたくないよ。この前初めて彼方の笑顔を見てちょっとでも可愛いなと思った自分が恥ずかしくなる。


「さっさと準備してよね。なんなら、このままカピパラ呼ぶ?」


へ? こんな起き抜けにまたあの砂漠世界に連れて行かれるの? 僕は寝ぼけた頭で記憶を整理する。


 僕は清明一族とやらの子孫で一族の代表。僕は他の一族代表と決闘をしなくてはならない。


 二十四節気に該当する日になると、決闘の時期だ。僕も前回から少しだけ暦について調べた。


 前回の決闘の日は四月三十日。これは暦では穀雨という暦名だ。僕は穀雨一族代表のニノ下さんと決闘した。


 そしてゴールデンウィークの後半の今日は

五月五日。暦の上では立夏だ。どうやら僕は今日、立夏一族の代表と決闘させられるらしい。


 それにしても朝ご飯くらい食べさせてくれ。僕のささやかな要求に、彼方はさっさとしてと冷たく返答する。


 僕は部屋の襖を開け台所に向かう。ニDKの小さなアパートは静まりかえっている。


「······アンタ家族は?」


 僕はうがいした後、白湯を飲むためヤカンに火をつける。看護士の母親は仕事で妹の望は友達と遊びにでも行ってるのだろう。


 僕に父親はいない。僕が幼少の頃離婚したらしい。父親の記憶も殆ど無い。家族三人でこの小さなアパートに住んでいる。


「ふーん」


 彼方は素っ気なく答え台所のテーブルに座る。僕は葉物を切り味噌汁を作る。鉄フライパンに玉ねぎとキムチを入れ炒める。


「へえ。アンタって左利きなのね」


 彼方が後ろから覗きこむ。左利きは器用とか言われるけどそんなの迷信だ。通知表の美術が万年ニの僕が言うんだから間違いない。


 世の中は大抵右利き使用になっているから厄介だ。左利きでいい事なんて滅多にないない。この包丁だって右利き用だ。


 白だしを入れた溶き卵を玉ねぎとキムチ炒めに入れ手早く混ぜる。卵が半熟の所で火を止めた。ご飯をよそいテーブルに運ぶ。


「何よこれ?」


 彼方は自分の前に置かれたご飯と味噌汁を見て、怪訝な表情を見せた。


「何って。彼方の分だよ。ひょっとして、もう食べてきた?」


 数秒沈黙の後、彼方は小さく首を振った。彼女は何故か茶碗に入った白米を凝視している。


「そっか。大した物じゃないけど、良かったら食べなよ。いただきまーす」


 僕は唯一のおかずに手をつける。味付けはまあまあだ。玉ねぎもよく火が通って甘い。何かカタカタとする音が聞こえた。


 ふと彼方を見ると、彼女の右手に握られた箸が震るえていた。その震える箸が、左手に持った茶碗の端に当たっている。


「彼方? どうしたの?」


 彼方は僕の声が耳に入っていない様子だ。彼女は思い出したように両手を合わせ頂きますと言った。そしてその後、白米を震える手で口に運んだ。


 それは突然だった。彼方は白米を口に入れゆっくりと咀嚼した。その途端、大粒の涙を両目から流した。


「え? ええ? ど、どうしたの彼方!?」


 慌てふためく僕に、彼方は手のひらを差し出した。いいからちょっと黙ってて。なぜか僕は、そう言われているような気がした。


「······美味しい。お米って、こんなに美味しいのね」


 彼方のその小声を僕は聞き取れなかった。とにかく理由を聞くと、彼方は事情があってお米を食べた事がないらしい。


 もしかして彼方は外国育ちなのか? 詳しく聞きたがったがこれ以上聞くなという雰囲気を感じる。


「とにかく沢山食べなよ。おかわりする?」


 僕のその言葉に彼方はうつむいていた顔をすごい勢いで上げる。彼女の顔は思いっきり、おかわりしたいって表情をしていた。


 しかし彼方は首を振り、一杯で十分だと謝絶する。この時の彼方の小声も僕には聞こえなかった。


「······私一人だけ、こんないい思いはできないよ」



 今日の空は快晴で、正に五月晴れだった。世間は連休の後半で皆忙しくしているのだろうか。僕は特に予定も無くゲームをしながらゴロゴロと過ごしていた。


 僕と彼方は朝食を済ました後、近所の公園に来ていた。閑静な住宅街の中にある公園は休日にしては珍しく誰も居なかった。


 彼方が朝食のお礼に、暦の歪みを正す技術の一端を教えてくれるという。しかし、何分のんびりと教える余裕はないと彼女は言う。


「稲田佑。悲痛コース。激痛コース。どっちのコースがいい?」


 ······ぜ、絶対どっちも嫌だ。しかし、彼方の据わった目が僕の拒否権を認めなかった。


「人生は多かれ少なかれ、大概が二択よ。前に進むか。後ろに戻るか。右か左か。こし餡か。つぶ餡か」


 ん? 最後のは関係あるのか? 僕はどっちかと言うとつぶ餡派かな。僕がよもぎ大福を想像していると彼方が破滅の言葉を発した。


「はい時間切れ。悲痛激痛セットコースに決定」


 はあああ!? まさかのセットコース!? 彼方は僕の腕を掴み、この公園でも背の高い木の前に連れて行く。そして僕の額をナンキンハゼという名の木に押し付けた。


「いたたた。痛いよ彼方!」


「稲田佑。一度しか言わないから死ぬ気で聞きなさい。自然界に存在している物には、全て意味があって存在しているの。無駄な物なんて何一つ無いの」

 

 彼女は続ける。大きく言えば、森羅万象に耳を傾け、その声達の言葉を聞き、生じた歪みを是正するのが一族の務めらしい。 


 医者も患者に症状を説明してもらわないと治療が出来ない。それと同じだと言う。生物、植物、果ては大気と声なき声に耳を傾ける。そこから全ては始まる。彼方はそう言った。


「目を閉じて、この木の言葉を聞いて。耳で聞くんじゃないの。心の耳を澄まして感じるのよ」


 僕は目を閉じる。とにかく、この木の声を聞かないとこの拷問は終わらないらしい。一刻も早く開放を望む僕は、全力でこのナンキンハゼに語りかけた。人助けだと思ってなんか喋って!


 しかし僕の熱意は伝わらず、木は何も語りかけて来ない。僕等以外、無人の公園は静寂に包まれていた。感じるのは木に押しつけられた額の痛みだけだ。


「稲田佑! 何か言いなさいよ」


「そ、そんな事言ったって分かんないよ! なんかザワザワって感じしかしないし」


「······ザワザワ?」


 彼方は僕の頭から手を離し、僕の隣に座り突然僕の左手を握ってきた。な、なな、何? 女の子と手を繋いだ事など無い僕は焦った。


 彼方の手は小さくて柔らかく。そしてとても温かかった。


「もう一度額を木につけて。心を鎮めて落ち着いてね」


 彼方が額を木につける。僕は心臓の鼓動が聞かれるんじゃないかと思う程ドキドキしていた。


 僕は再び額を木につけた。あれ、何だろこの感じ。さっきと何か違う······周囲の雑音が遮断される。


 僕の頭の中。いや、これは僕の意識か? それがこの木の中に吸い込まれるような感覚。


「······どう? 稲田佑」


「なんだろ。一度目にザワザワって感じたんだけど、それが二度目はハッキリと感じたよ。何だろ。なんか悲しい感じって言うのかな」


 彼方の問いかけに、僕は慎重に言葉を選んだ。


「それはこの木の感情よ。この木は、仲間の木が一本も無くなった事を寂しがっているの」


「え? 寂しがってる?」


 後で調べて分かったけど、この公園にナンキンハゼはこの木だけで後は別の種類の木だった。


「初候ノ極」


 彼方が静かに呟く。え? しょこうのきわみ?


「二十四の一族には、その実力に応じて称号が与えられるの」


 彼方の話では、最初に与えらるのが初候ノ極。これは、植物や生物などから声を聞けるようになったら与えられる称号。


 そして一つ上の称号が中候ノ極。これは、声だけでは無く相手の心が解るようになったら与えられる。


 最後は終候ノ極。これは正に、ありとあらゆる物たちから声と心を瞬時に洞察し、理解出来る者に与えられると言う。


「稲田佑。アンタが感じたのは、この木の悲しいって感情。つまり心よ。本来なら最初は声を聞く所から始まるの」


 えーっと。声じゃなくて心を感じた? 僕は正式な手順を飛ばしたって事か?


「アンタは初候ノ極を通り越して、中候ノ極の領域に居るって事」


 え? それっていい事なのかな? 学校で言うと飛び級みたいな? 僕って、もしかして才能あるのかな?


「いい気にならないでよ。声を聞けないって事は、基礎が出来て無いって事なんだから」


 僕の束の間の勘違いは、彼方の冷たい視線と言葉で消え去った。


「一族の子孫なんだから、力があるのは当たり前なの。それに、私が手をつないで触媒になったんだから、何かしら感じるのは当然よ」


 そこまでキツく言う事ないじゃないか。ん? 彼方を通じて僕は木の心を感じた······と言う事は?


「か、彼方も一族の人間なの!?」


「はあ? 今更気づいたの?」


 じょ、冗談だろ? って事は、いずれ彼方とも決闘するの? む、無理だ。勝てない。絶対勝てっこない。


「安心して。私とアンタが決闘する事はないわ。決闘するのは一族の代表同士よ」


 僕は心から胸をなでおろした。あービックリした。ん? 彼方はどの一族なんだろ?


「私にも守秘義務があるの。何でも話せる訳じゃないのよ」


 守秘義務? あのカピパラから色々と言われているのかな? 彼方が真剣な顔をしていたので、僕もこれ以上聞けなかった。


「とにかく練習よ。私の助力無しで木の声を聞けるようにして」


 彼方はまた僕の額を木に押し付ける。悲痛コースと激痛コースって、どっちを選んでもこうやって押しつけたろ! 絶対!


 僕は心を無心にして、ナンキンハゼの言葉に耳を傾ける······が、何も聞こえない。でも、さっきと同様にザワザワっと感じる。今度は彼方の手を握っていなくても。


「稲田佑。残念だけど時間よ」


 僕の瞑想は彼方の一言で中断された。目を開いた僕の前に、あのカピバラが立っている。そのカピバラの後ろにも人がいる。


「転移、開始します」


 前回同様、カピバラは突然現れ、機械音の言葉を発した。僕の慎ましいゴールデンウィークは、一瞬で非日常へと激変した。

 


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