第2話 穀雨

 昨日のゲームの続き。僕は今サッカーゲームをやり込んでいた。何作も続編が発売され続ける屈指の人気サッカーゲームだ。


 十作以上発売されているが、僕は今五作目を夢中でやり続けている。過去のゲームだと中古で安く買えてお金の無い学生の財布にも優しい。


 このゲームは試合が負けそうになるとリセットする手が使えない。ズルが出来ないのだ。今僕のチームは上のリーグに昇格するかどうかの際どい順位にいる。


 今夜はその昇格を賭けての試合をする筈だった。それがなぜか今僕は一面砂漠の上に立っている。そして会った事も無い相手と決闘をしなくてはならない。


 しかも負けたら僕の存在が消される!? 清明一族の子孫だからって人権無視もいい所だ。唯一頼れるのは僕の目の前のいる純白のセーラー服を着た少女だけだった。


 ······いや、頼れるのか? この娘さっきから僕を馬鹿にする発言しかしていないぞ。どこまで僕を助けてくれるのか保証も無い。僕の頭の中は不安と不満と恐怖で一杯だった。


「稲田佑。アンタの相手が来たわよ」


 無慈悲な彼女の言葉は僕を強制的に決闘の場所に立たせる。存在が消されるって言われたら嫌でも戦うしかない。

 

 ······戦う? 喧嘩の一つもした事が無い僕が? 通知表で体育がニの僕が? どうやって?


 僕の目の前に決闘相手が現れた。相手は男性で背広を着ている。サラリーマンだろうか? 伸びたボサボサの髪。縁無し眼鏡。無精髭に口にはタバコをくわえている。


 かなり細見の人だ。頬が痩けている。あんまり健康そうな人に見えないな。眼鏡の奥の両目はなんだが疲れきっているように見える。


 この人も僕と同じ様に訳が分からないままここに連れてこられたのだろうか。


「両一族の代表は互いに自己紹介をして下さい」


 この決闘の審判。カピバラの着ぐるみが機械音の台詞を口にする。


「······穀雨一族代表、ニノ下明です。三十二歳。システムエンジニアをしています」


 ニノ下と名乗ったスーツの男が口を開いた。なんだが元気が無さそうな声だ。


「ほら! アンタも名乗る」


 彼女が肘で僕の腕を突いてきた。い、痛いだろ!


「······い、稲田佑。十七歳。高校三年生です」


「一族の名も名乗るの!」


 また彼女が肘で突いてくる。さっきよりも痛い。全くこの娘は乱暴者だな。


「······せ、清明一族代表·····らしいです」


 僕が名乗ってもニノ下さんは特に表情に変化が無い。いや、本当に疲れていそうだな。この人。


「決闘の方法を発表致します」


 審判のカピバラが喋った瞬間。僕の心臓、いや胃の辺りだろうか。キリキリと痛む音がした。


 気づくと僕とニノ下さんの目の前に二つのテレビとゲーム機が置かれていた。あれ? こんなのさっきまで無かったよな?


「フットボールで爽やか爽快! 決闘はミラクルイレブン5で行い、先に三勝したほうが勝利者とします」


 へ? ゲームで勝負すんの? しかもこのゲーム、今正に僕がやり込んでるサッカーゲームだよな。


 ニノ下さんがテレビの前に腰を下ろし、コントロールを握る。それを見て慌てて僕もそれに倣う。お尻に感じる砂の感触が生温かくて気になったが、そうも言っていられない。


 テレビのモニターがつき、ゲームの画面が映る。間違いなく僕が今日家でやるつもりだったゲームだ!


 所でこのゲームどこにも電源なくてコードも繋がってないけど、なんで起動してんの?

 

 僕とニノ下さんはそれぞれチームを決める。今回は世界中の選手が集められたオールスターチーム同士の戦いになった。


 ······これは、行けるかもしれない。どう言う理由でこの決闘方法が決まったのか知らないけど、少ない僕の得意分野だ。


 試合が始まった。試合は一方的な結果になり、たちまちニ勝してしまい、相手に王手をかけられてしまった。


 ······僕はたちまち追い詰められた。つ、強いよニノ下さん。強すぎる。ニノ下さんは僕に連勝しても特に嬉しそうにするでも無い。相変わらず火のついていないタバコをくわえダルそうにしている。


「稲田佑。ちょっとこっち来なさい」


 純白のセーラー服を着た少女が僕の腕を掴み、決闘場所から離れた所に連れて行く。な、何かアドバイスでもしてくれるのか?


「あと一回負けたらアンタは存在ごと消されるのよ? 危機感持ってんの?」


「そ、そんな事言ったって。あの人強すぎるよ。僕、勝てる気がしないし」


 少女は眉間にシワを寄せ、大きいため息をつく。


「······こうなったら手段は問わないわ。後ろからタックルして選手を潰すのよ」


「は? な、何言ってんの? そんな事したら一発レッドカードで退場処分にされるよ!」


「大丈夫。バレなきゃ平気よ」


 ······僕は確信した。この娘サッカーの事も、ゲームの事もよく理解してない。この反則上等女から助言は期待できないと僕は諦めた。


 駄目だ。もう駄目なんだ。僕は存在を消される。カピバラが僕に戻るように警告してくる。僕はうなだれながら死刑執行場にとぼとぼと歩いて行く。


「稲田佑。よく聞いて。言葉を大事に、大切に使いなさい。古来、暦を守ってきた一族達はそうしてきたわ。言葉にはアンタが信じられないような力があるのよ」


 僕の後ろから少女の声が聞こえてきた。何が言いたいのか全く分からない。僕は死刑執行を行うボタンを自ら押す気分でコントローラーを手にした。


 三試合目が始まった。ニノ下さんの攻勢は激しく、僕のチームはいつ失点してもおかしくない状況だ。


 ······言葉を大事に使う? 何の事だよ全く。僕は段々と孤独感に苛まれていく。もうすぐ僕はこの世から消される。そう考えると無言でいるのが耐えられなくなってきた。


「······ニノ下さんの仕事って、楽しいですか?」


 僕は考えがあってこの言葉を発した訳では無かった。ただ、誰かと話でもしないと正気でいられなかったのだ。しかし、この僕の何気ない一言がこの決闘の行方を激変させた。


「······仕事が、楽しいかだって?」


 ニノ下さんの両手が止まり、口からタバコが落ちた。彼のチームの選手の足動きが止まる。それまで無表情だったニノ下さんの顔が鬼の形相に変わり僕を睨む。


 それは僕のチームがシュートを打った時だった。動きが停止した無防備な守備はそのシュートを止められなかった。


 僕のチームは初めて先制点を取った。僕は嬉しい半分、驚き半分だった。試合が再開されてもニノ下さんは僕を睨んでる。


 ······なんだろう。この雰囲気。ひょっとして聴いて欲しいのかな? 僕に?


「あの、システムエンジニアって忙しいイメージがあるんですが。ニノ下さんも?」


 僕は恐る恐るニノ下さんに質問する。その途端、彼の表情は鬼の形相からそれはとても悲しそうな顔に変わった。


「忙しいなんてモンじゃないよ······毎日。毎日。終電に乗れるかどうかの日々でさ」


「ま、毎日ですか?」


「ああそうさ。規模が大きいプロジェクトが始まれば、土日祝日もタダ働きさ」


 ひ、酷いなそれ。言わいるブラック企業って奴かな。僕等の会話のやり取りはゆっくりで、いつの間にか試合は終わり僕が初白星を獲得した。


「それって大変ですね。身体とか大丈夫なんですか?」


 四試合目が始まってもニノ下さんはテレビ画面ではなく僕の方を見ている。ニノ下さんの話は聴くに耐えない内容だった。


 クタクタに疲れる日々。土日の休みは外出もせずひたすら寝ているかゲームをしている。友人との交友も遠ざかり、髪を切る暇も髭を剃る元気もない。

 

 彼女には三年前に振られて以来、新しい恋人を作る時間も気力も無い。毎朝通勤電車に飛び込めば楽になれるかもと妄想する始末。


 ニノ下さんは堰を切ったように話し出した。ひ、酷いな。システムエンジニアってそこまで大変なのか。ずっと家でゲームって。そりゃ強い筈だよ。


 四試合目もニノ下さんはコントローラーを動かさず僕が勝利した。い、いいのかな。これって。


 双方ニ勝ニ敗で並び、決着は最終戦に持ち込まれた。五試合目が始まる時、彼女が僕の耳元でささやいた。


「いいわね。このまま相手を喋らせ続け試合に勝つのよ」


 彼女は僕をけしかける。助言でも応援でも無い。それは悪魔のささやきの様だった。せ、性格悪いなこの娘。最終戦に入ってもニノ下さんは自分の不幸話を続ける。


 仕方ないよな。これしか僕が勝てる方法無いし。狙ってやってる訳でも無いし。命が掛かってるんだ。やむ終えないよ······


「ニノ下さん!!」


 気づくと僕は大声を張り上げていた。ニノ下さんは驚いた表情で僕を見直す。


「この試合に負けた方が、地上から存在を消されます。だからせめて、お互いベストを尽くしましょう」


 ニノ下さんは数秒時間を置いた後、眠気から覚めたような顔になり僕に微笑んだ。


「······ああ。そうだったな。稲田君だっけ? 最後の試合。全力でやろう」


 何を言ってんだ僕は! 馬鹿か? 馬鹿なのか僕は? 何を格好つけた事を言ってんだ。後ろから殺気を感じる。僕の後ろで立っている少女の顔を怖くて確認出来なかった。


 テレビ画面を見ると試合時間は残り僅かだった。こうなったらやるしか無い。最初のニ試合で僕なりにニノ下さんの戦術を分析した。


 ニノ下さんは堅守からボールを奪い速攻カウンターが得意だ。守備力の高い選手、足の早い選手を守りと攻めの要に配置している。


 困難極まりないがそのシステムを逆手に取るしかなかった。カウンター攻撃をさせない。つまり、難攻不落の守備陣を突破する。


 僕は守りを薄くして攻撃に人数をかけた。片道燃料。一か八かの特攻だった。ニノ下さんは僕の意図を察知しているだろう。


 お互い最後の勝負所と分かっていた。僕が攻める。ニノ下さんが守る。どれくらいの時間が経過したか分からなかった。気づくと試合終了の笛が鳴った。


 試合は引き分けになり決着はPK戦になった。僕はこの時、脳裏にある閃きが起こった。隣のニノ下さんにそれを小声で伝える。


 僕はこのPK戦を延々と続けようと提案した。ずっと決着がつかなければ、あのカピパラが決闘を引き分けにして僕とニノ下さんを元の世界に戻してくれるかもしれない。


「······ああ。そうだな。やってみようか」


 ニノ下さんも賛成してくれた。僕等はシュートをキーパーの正面に蹴り、双方0対0のまま最後の五人目になった。僕のチームが後攻のキッカー。ニノ下さんがキーパーだ。


 僕は約束通りキーパーの正面に蹴る。だが、なぜかニノ下さん操るキーパーは右に飛び僕のシュートはネットを揺らした。


 え? な、なんで? ニノ下さんもしかして操作ミスったのか?


「稲田くん。この決闘は引き分けは無いんだ。故意に長引かせれば、二人とも存在を消される事になっている」


 へ? き、聞いてないぞ、そんな事! 僕は猛然と後ろを振り返り少女を見る。純白のセーラー服の少女は「あれ? 言って無かったっけ?」みたいな顔をしている。こ、この女!


「でも、なんでニノ下さんが自分から負けるですか?」


 負けたら命消されるんだぞ? なんで?


「俺もよく分からないんだ。ただ、君は俺の話を聞いてくれた。聞いた上で俺の健康の心配までしてくれた。そんな相手、最近ずっと居なかったんだ」


 ニノ下さんは痩けた頬を緩ませ、穏やかな笑みを浮かべた。


「だから君の方が相応しいと思ったんだ。暦の歪みを正す。その一族達を導く役目ってヤツがね」


 後で知ったが、もし僕が敗れれば僕に勝った一族の代表が他の一族をまとめる役目を担う事になっていたらしい。これも聞いて無かったぞ! あの女!


「勝者。清明一族」


 審判のカピバラが僕の勝利を宣言した。ニノ下さんはいつのまにか現れた着ぐるみと一緒にいる。なんだまた妙な着ぐるみが出てきたぞ。


 黒いネズミに見えたが、大きい耳が赤い。あれはタスマニアデビルだと少女が教えてくれた。カピパラにタスマニアデビル。理の外の存在とやらはゆるキャラが好みなのか?


「稲田君。君の言葉は人の心に刺さる暖かみがある。それを大事にして行くといい」


 ニノ下さんはそう言い残し、タスマニアデビルと共に消えた。僕はホッとしたのも柄の間。ニノ下さんを殺してしまった罪に震え始めた。


「まあ。あの不健康そうな人も第二の人生で頑張る事でしょう」


 ······ん? 今この娘何て言った? 第二の人生とな? 血の気が引いた僕の顔に彼女は思い出したように話す。


「ああ。言って無かったっけ?」


 決闘に負けた一族の代表は、地上から存在を消される。だが、命を取られる訳では無い。記憶が消されるのだ。ニノ下さんの家族、友人、職場は、ニノ下の記憶を全て失い、誰もニノ下さんの事を覚えていなくなる。


 ニノ下さんはそんな世界で一から生活を始めなくてはならなかったのだ。あのタスマニアデビルが、ニノ下さんを監督指導して、暦の歪みを正す能力を鍛えるという。


 本来だったらその仕事は春分一族と清明一族が担う筈だが、一族達が務めから遠ざかっている為の緊急措置らしい。確かに、僕にそれをやれって言われても無理だし。


 取り敢えず僕の役目は決闘を続け、勝ち続ける事。そして相手の一族に務めを再開するよう命ずる事。そう言う事らしい。


 ······って、説明不足が多すぎるだろう!


「稲田佑。さっきの勝利は偶然に見えるけど、そうじゃない。アンタの言葉の力がアンタを勝たせたのよ」


 彼女はまた言葉の力がどうのこうの言っている。ニノ下さんにも言われたけど、サッパリ解らないよ。そんなもの。


「何よ。不満そうな顔して。まだ何か聞いときたい事でもあるの?」


 ぬけぬけと彼女が言う。言いたい事は山程あったが、僕は何故か思っている事と違う事を聞いてしまった。


「君は一体何者なんだ? 僕と何の関係があって僕と一緒にいるの?」


 彼女は沈黙している。さっきまで無風だったのに、弱い風が吹いた。彼女は頬にかかった髪をかきあげ僕の目を見る。


「······私は、アンタと運命共同体よ。アンタが決闘で負ければ、さっきの不健康そうな人と同じで済むけど、私は文字通り命を失うのよ」


 運命共同体? 命を失う? 僕は質問する前より頭が混乱してきた。彼女は踵を返しカピバラの元へ歩いて行く。


「ま、待ってよ! 名前、君の名前は?」


 彼女は立ち止まり動かなくなった。そうかと思うと突然振り返り両手を腰に当て僕に答える。


「······かなた。彼方よ」


 かなた······彼方って言うんだ······


「稲田佑。あんたのさっきの台詞。ベストを尽くしましょうって言った時の顔。ちょっとだけ格好良かったわよ。ちょっとだけね」


 僕はこの時、彼方の笑顔を初めて見た。僕は何故か呆けたまま動けない。


「何してんの。さっさとカピパラの所に来ないと、元の世界に戻れないわよ」


 は? いや、だからもっと早く言ってくれよ! そう言う重要事項は!


 焦って駆け出した僕は、砂に足を取られ転倒してしまった。身体が砂まみれになり、鼻や口にも砂が入った。


 倒れた僕を彼方が上から見下ろしてきた。彼方は意地が悪い笑顔で言った。


「アンタって、本当に鈍くさいわね」


 彼方の後ろに見えたこの世界の空は、気のせいかさっきまでの薄雲が少し晴れてきた。砂塗まみれの僕はそんな気がした。




 


 








 

 


 

 

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