第2話 窮鳥入懐

 宮中の様々な思惑を織り交ぜながら、第1皇女:チクマリーン=フランダールと四大貴族の一家の次男坊:ナギッサ=ボサツの婚約を祝う酒宴は1週間ほど続くことになるのであった。


 この宴には男爵といった中級貴族の面々も呼ばれることになる。その家々の代表者たちがシヴァ帝に祝いの言葉を送るために宮中に参上するのであった。


 水の国:アクエリーズの実質的支配者である侯爵:ボサツ家の3階級下に位置する男爵:オベール家の家長であるカルドリア=オベールは、自分の妻であるオルタンシア=オベールを連れて、参内するのであった。


 そして、その2人に連れ添うように参内するのは、これまた水の国:アクエリーズの男爵:コーゾ家の次男坊ヨン=コーゾである。


「ううむ。ヨンくん。お父上のツバキ=コーゾくんや跡取り息子のワン=コーゾくんは、これなかったのかね?」


「ほんますんまへんのやで? 第1皇女とボサツ家がめでたいことになっているのに、わいの兄貴が町娘を孕ませてしもうたんや。婚約も交わさぬうちに、婦女を孕ますとはどういこっちゃいやと、お父ちゃんがカンカンで、相手さんの親御さん、親戚一同に土下座参りすることになってしもうたんや……」


 ヨン=コーゾが、さも申し訳ないといった顔つきで、ペコペコと米つきバッタのようにカルドリア=オベールに頭を下げる。ヨン=コーゾはカルドリア=オベールの一人娘であるローズマリー=オベールとは許嫁フィアンセの間柄である。


 いくら自分の兄がしでかしたこととはいえ、婚約前の男女が性交し、あまつさえ妊娠するような事態になれば、いくら貴族といえども、みかどやその周辺貴族たちから叱責を受けるのは間違いない。


 叱責だけなら、まだましなほうであろう。ポメラニア帝国では、相手の女性を孕ませた場合はきっちりと責任をとらなければならないという法が存在する。ワン=コーゾはコーゾ家の跡取り息子であるが、もし、孕ませた相手の女性がその家の一人娘であれば、婿入りして責任を取らなければならなくなる。


 そうなれば、半ば自動的に次男坊であるヨン=コーゾはコーゾ家の跡取り息子へと昇格することになる。それがどういう事態を招くかと言えば


「あらあら。ワンさんがもし婿養子に行って、ヨンくんがコーゾ家の跡取り息子になれば、うちは一人娘なので、ヨンさんとロージーとの許嫁フィアンセは解消せざるをえなくなりまわね?」


 カルドリア=オベールの奥方であるオルタンシアがまるで傷口に塩を塗り込むような言葉をヨン=コーゾに向けて発するのであった。ヨン=コーゾはほとほとに困ったという顔つきになり、儀礼用スーツのズボンの右ポケットからハンカーチを取り出し、額を伝う冷や汗を懸命にふき取るのであった。


 そのヨン=コーゾの困っている姿がさぞ面白いのか、オルタンシア=オベールは口に手を当てて、くすくすと可笑しそうに笑うのであった。


 対して、カルドリア=オベールの方は、やれやれといった顔つきだ。妻は年頃の若い男が困っている姿を見るのが好きだ。別に自らそういう風になるように仕向けるわけではないのだ。恋に悩む年頃の男を応援しつつ、その男が困惑してしまうような一言を突き付けるのが好きなだけだ。


 妻のオルタンシアのこれは年上の女性が若い男性におこなう、からかいの一種であるため、カルドリア=オベールとしても注意をしづらい。実際に注意したところで、「あら? 可愛い男の子をいじるのは、年上の女性の特権なのよ?」とかわされるのがオチなのである。


 どうして、こう女性というのは、男をからかうのが上手いのかと思ってしまうカルドリア=オベールである。自分も若い時分には、貴族の奥方さまたちからだけでなく、その奥方の周りの侍女たちにも散々にからかわれたものだ。


 その経験から、カルドリア=オベールは女性はそういう生き物だと、無理やり納得することにした。しかし、渦中に巻き込まれているヨン=コーゾにとっては、針のむしろに座らされている気分であろう。


 コーゾ家の一大事だというのに、ヨンだけが、コーゾ家の体面を取り繕うためだけに宮中に派遣されてきたのだから。酒宴の席では、噂好きの奥方たちだけならまだ知らず、その旦那連中からも憶測を交えた中傷を受けることになるだろう。


 はっきり言って、ヨン=コーゾは噂好きの宮中に放り込まれた餌なのだ。当主のツバキ=コーゾは、相手の両親に弁明とこれからについての話し合いをしなければならないのは当然であるものの、みかどの娘と自分が属する派閥の筆頭にあたるボサツ家の婚約祝いの席に出ない理由にはならない。


 苦渋の選択の末、ツバキ=コーゾは自分が叱責や嘲笑の的になるよりは、オベール家へ婿養子に行ってしまう予定の次男坊に宮中で起きることの全てを任せたのである。カルドリア=オベールにとっても迷惑この上無い話なのだが、自分の愛娘とヨン=コーゾは『婚約』を交わして無いモノの、一応『許嫁フィアンセ』なのだ。自分が宮中でヨン=コーゾの面倒を見ることになるのは火を見るより明らかであった。


「ううむ。まあ、ヨンくんは、これから大変な目に会うことになると思うが、ペコペコと米つきバッタのように頭を下げるように勤めるようにお願いする……。何かカチンとくるようなことを言われても、変に弁明しないほうが身のためですぞ?」


 酒宴の席に向かうというのに、カルドリア=オベールまでもが暗い表情になる。オベール家とコーゾ家の両家は侯爵:ボサツ家の派閥に属し、そして爵位も同じ男爵家だ。両家が自然と仲良くなるのは致し方なかったとも言える。


 だからこそ、カルドリア=オベールとツバキ=コーゾは、それぞれの一人娘と次男坊の『許嫁フィアンセ』を約束しあったのだ。しかし、事態の推移によっては、それも白紙に戻るかもしれない可能性があった。


「あなた? そんなに暗い顔をして、どうしたのかしら? ヨンくんが何か奥方さまたちに言われるようでした、私が対処しますわよ? だから、必要以上に気を揉むことはありませんわ?」


 オルタンシアめ。わかって言ってるな? と、思わず口から自分の妻を責める言葉が出そうになるカルドリア=オベールである。


 そもそもとして、コーゾ家の跡取り息子が見知らぬ女性を孕ましたから、その余波を喰らったヨンくんと娘のロージーの『許嫁フィアンセ』が破棄される可能性があることが問題ではないのだ。


 我が娘のロージーが、実は既に他の男と恋仲にあることが大問題なのだ。それをコーゾ家に告げて、相談せねばならぬというのに、コーゾ家自身が別の問題にあたっているために、ついに告げることが出来なかった。


 さらに間の悪いことに当事者であるヨンが、自分の懐に飛び込んできたのである。これで暗い顔をするなと妻のオルタンシアが言っても、正直、無理がありすぎる。


 まあ、宴の最中にヨンくんがショックを受けないようなタイミングを見張らかって、それとなく告げることにするか……と、カルドリア=オベールは考えるのであった。


 オベール家とコーゾ家の両家は、こちらはこちらで波乱含みの宴への参加だったのであった……。

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