第1話 宴

――ポメラニア帝国歴256年 8月8日 浮島中央部の宮殿にて――


 この日、第14代:シヴァ帝の長女であり、第1継承権を持つチクマリーン=フランダールが四大貴族の1家であるボサツ家の次男坊であるナギッサ=ボサツと婚約する。


 岩石で出来た巨人に抱えられた半球状の岩盤の上に建造されている宮殿には、2人の婚約を祝う貴族たちで溢れかえっていた。


 ボサツ家は水の国:アクエリーズを実質的に支配する侯爵家であった。さらには、シヴァ帝ことシヴァ=フランダールとは親族関係にあり、まさに蜜月関係を築いていたのである。


「へへっ! チクマリーンさま。俺っちを夫として迎えいれてくれて、光栄の極みッスよ?」


「ふんっ。父上が決めたことなのデスワ! せいぜい、浮かれているが良いのデスワ!」


 ナギッサ=ボサツは、自分の右隣の席で毒づきながら、グラスに注がれた白ワインをグイっと飲む蒼い髪を2本の縦髪ロールにしている女性に、思わず苦笑せざるをえないのであった。


 いくら、親同士が決めた婚約と言えども、この女性は少しくらいは愛想を振り撒けないものかと思うナギッサ=ボサツであるが、彼自身も彼女を愛しているわけでもないので、それほど気にもしなかった。


 それよりも、ナギッサ=ボサツは大理石で出来た長大なテーブルに並ぶ宮廷料理の数々のほうがよっぽど興味があった。いくら四大貴族の一家であるボサツ家の次男坊と言えども、これほど豪勢な食事にはありつけるわけではなかった。


 ボサツ家が実質的に支配する水の国:アクエリーズは穀物の栽培に適した土地であった。そのため、主食はパン、米である。肉類は水の国の東南に位置する土の国:モンドラから。魚介類は、北東に位置する風の国:オソロシアから輸入していたのである。


 冷凍魔術の小型化はここ数年になってやっと確立されたモノであり、冷凍魔術の施された新鮮な肉や魚介類は、まず、みかどが住む宮殿に集中する。そのため、四大貴族の一家であるボサツ家にはみかどには失礼な言い方ではあるが、余り物が回ってくるといった始末である。


 そのため、本当に新鮮な肉・魚介類を食べたければ、わざわざ現地に赴くしかないといった現状であった。


 しかしだ。宮廷魔術師会の面々が直々に現地に派遣され、冷凍魔術を施すだけあって、宮中にあがる肉・魚介類の料理はナギッサ=ボサツの口にはどれも美味しいモノばかりだ。水の国:アクエリーズの庶民や中級貴族ですら、口にするのは燻製された肉、もしくは干肉、干し魚なのだ。


 確かに燻製された肉や干し魚は、元の素材が良いので、美味いことは美味い。しかしだ。生魚の刺身など、宮中や産地以外では口にできるわけがない。ナギッサ=ボサツが将来、女帝の夫となるはずなのに、恥もかき捨てて、眼の前に広がる料理の数々に手をつけまくったのは、致し方なかったことであろう。


「はははっ。ナギッサはよく食べるナリ。これは世継ぎも期待できるナリ」


 ナギッサの豪快な食べっぷりに眉をひそめるどころか、褒めたたえるのは、シヴァ帝本人であった。シヴァ帝は自分の血筋に近しい彼にすっかり気を許していたのである。彼は土の国:モンドラで育成された最高級モーモーのサイコロステーキを食し、それを赤ワインで流し込みながら、近い将来、自分の義理の息子となるナギッサと歓談するのであった。


「あなた? まだ婚約を済ませたばかりですわよ? 世継ぎの話は結婚式に続く披露宴で言ってほしいのですわ?」


 そうシヴァ帝を諫めるのは、彼の右隣りに座る、彼のきさきであるテリア=フランダールであった。彼女は病に患っていたのだが、やはり娘のめでたい席である以上、出席せねばならぬと、自らの身に無理を強いて、長大なテーブルの一席に座っていたのである。しかし、彼女が食するのはもっぱら、モーモーの絞り乳や、消化に良いフルーツ類、そしてクリームたっぷりのケーキであった。


 シヴァ帝としては、無理に出席せずとも良いと彼女には言っていたが、彼女は頑なにそれを拒み、酒宴の席についている。


「シヴァさま。テリアさまのことは拙者に任せてほしいのでゴザル。もし、何かあれば拙者が対処するのでゴザル」


 そんな彼女の右隣に座り、シヴァ帝に向かって発言するのは、このポメラニア帝国の大将軍の地位に昇り詰めた半狼半人ハーフ・ダ・ウルフのドーベル=マンベルであった。彼はテリアの兄である。シヴァ帝の右腕でありながら、同時にみかどきさきの右腕と言える存在であった。


「にょほほ。さすがは大将軍殿でおじゃる。きさきさま。体調が悪化したら遠慮なく、大将軍殿に頼るのでおじゃるよ?」


 大将軍:ドーベル=マンベルの対面に座り、嫌みを含んだ発言をするのは、彼の政敵と言っても過言ではない半猫半人ハーフ・ダ・ニャンの宰相:ツナ=ヨッシーであった。彼はふくよかな腹をぽんぽんと左手で叩きながら、右手にグラスを持ち、グビグビとその中身である白ワインをたらふく飲んでいた。


「ふんっ。貴殿に言われるまでもないのでゴザル。それよりも宰相殿はこの国のかなめなのでゴザル。少しは自分の不摂生を戒めるべきなのでゴザル」


 武人であるドーベル=マンベルと文官であるツナ=ヨッシーの体型は、相反するものであった。ドーベル=マンベルの身体は鍛え上げられた筋肉に包まれており、まさに半狼半人ハーフ・ダ・ウルフを象徴しているとも言えた。


 対して、ツナ=ヨッシーの身体はぶよぶよの脂肪に包まれており、いくら、ぽっちゃり体型になりやすい半猫半人ハーフ・ダ・ニャンでも、醜い容姿だといわざるをえないのである。


 どこの国でも武人と文官は仲違いしやすいモノだが、ドーベル=マンベルは、ツナ=ヨッシーのしまりのない身体自体を嫌っていたのである。もちろん、ツナ=ヨッシーも脳みそまで筋肉で組成されていそうなドーベル=マンベルのことを嫌っている。犬猫の仲という言葉は、この2人のために生まれた言葉なのかとさえ思えてしまうのである。


「まったく……。我が愛娘とナギッサのめでたい席ナリ。政争を酒宴の場に持ち込むなと常々、言っているナリ」


 2人のやり取りを見ていたシヴァ帝が、やれやれといった表情になる。酒が不味くなるから、酒宴の場だけは取り繕えと言っているのに、この2人はあいも変わらず、こうなのだ。どうしたものかとシヴァ帝が悩むところに、場の空気を読まずにナギッサが発言をする。


「へへっ! 宮中は色々と大変だとは父上からは聞いているッスけど、酒宴の場も大概ッスね! 俺っちも将来、悩まされるんッスかね!?」


 ナギッサは酒が回り、上機嫌なのか、つい軽口を叩いてしまう。女帝の夫となる男とは思えないほどの失言に値するモノだ。しかし、これが功を奏したのか、険悪だった大将軍:ドーベル=マンベルと宰相:ツナ=ヨッシーは毒気を抜かれてしまうことになる。


「にょほほ。宮中は魑魅魍魎ちみもうりょうが溢れかえる場所なのでおじゃる。なんなら、今からでもマロがナギッサ殿に処世術をレクチャーするのでおじゃるよ?」


「ははっ! これはありがたいッスね! 俺っちとチクマリーンさまとの結婚式が終わるまでには、処世術のベテランに仕上げてほしいッス!」


 ナギッサによって、言い争う相手を奪われたドーベル=マンベルは、手持ち無沙汰になり、それを補うかのように、眼の前の料理の数々に手をつけていくことになる。


「ふむっ。これは美味い肉なのでゴザル。拙者としたことが、せっかくみかどが用意してくれた料理に手をつけていなくて、申し訳ない気持ちになってしまったのでゴザル」


「ハハハッ。半狼半人ハーフ・ダ・ウルフであるお前のためを思って、土の国:モンドラから最高級モーモー肉を取り寄せたナリ。水の国:アクエリーズの赤ワインも堪能するナリよ?」

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