始 動 二〇一七年七月 1/2


けい! いつまで寝てるの。遅れるよ!」


 乱暴に扉が押し開けられた。ポニーテールの少女が目を怒らせている。片手にスクールバッグ、もう一方の手にこんうわき袋をたずさえていた。服装は真っ白なセーラー服、胸元を茶色のスカーフで飾っている。


(ああ女子高生だ、女子高生がいる)


 とんの中でのんな感想をらしていると少女──明華ミンホアまゆり上がった。


「編入初日から遅刻とかありえないし。早く着替えて、昨日ちゃんと持ち物準備したよね?」


「あー……うん、多分」


「多分?」


「いや、準備できてる。問題ない、すぐ起きるよ」


 部屋に押し入ってこようとする彼女を危ういところで押しとどめた。せつかく身体からだの痛みが治まってきたのだ。いらぬ取っ組み合いでを悪化させたくない。


「五分で行く。それならある程度余裕持って出かけられるだろう? 朝飯もちゃんと食べるから」


「そう言って二度寝したら許さないからね」


 不信もあらわに言って扉を閉める。軽い足音が階段を駆け下りていった。


 やれやれとたんそくし立ち上がる。関節がきしむ。はだがどこかに触れるたび、思い出したように痛みが走った。


(あれから三週間もたっているんだけどな)


 グリペン搭乗の後遺症だった。思い出すのも恐ろしい。10G以上の圧力にさらされた身体は見るもざんなくらいぼろぼろとなっていた。あざ、打ち身、すり傷、関節痛。後遺症がないのは奇跡だとさえ言われた。何が起こったのか、祖父母や明華に説明することもできず一週間ベッドでもがき苦しんだ。挙げ句、編入の予定までずらしてもらい今日七月十八日に至る。さすがにこれだけようじようすれば大丈夫だろうと思ったのだが。


 ……まだ無理は禁物だな。


 怪我の場所に気をつけながら学生服に着替える。地元高校の夏服はシンプルな白のはんそでだった。二の腕のあざが見えてしまうがまぁ仕方ないだろう。なんといってもこの町は先月せんに巻きこまれたのだ。たいがいのことは妙に思われないはずだった。


 一通り準備を整え部屋から出ようとする。忘れ物がないか確認、最後にもう一度室内を振り返った。机の上に一冊のテキストを認める。むらさきいろの背表紙に書かれたタイトルは──自衛隊航空学生・試験問題集。


(別にあきらめたわけじゃないけどな)


 地元普通科高校への編入。明華のようせいを受け入れた時、周囲はずいぶんおどろいていた。頑強に抵抗・拒絶されると思っていたのだろう。当の明華もきつねにつままれた顔をしていた。


 実際航空学生へのあこがれはまだ残っている。空への最短経路、自分の手で中国の空を取り戻す道筋。あまりにもりよく的なせんたくと言えた。簡単に捨てられるはずもない。


 だが今の自分にとってまつの町はひどく貴重な場所となっている。


 彼女のいる町。


 彼女と出会い、思い出を積み上げ、ともに戦い守りきった土地。その記憶が両足をくさびのごとく大地に打ちつけていた。見る景色、人、ものすべてがみずみずしく思える。しばらくは、そうもうしばらくはここでの生活を味わいたかった。


(大丈夫、空は逃げない。待っててくれるさ)


 自分に言い聞かせるよう独りごちて扉を開ける。下から明華ミンホアの呼ぶ声がひびいてきた。




 編入先の高校は自宅から徒歩十分ほど、市立図書館の北側にあった。古い城跡の公園を望みながら通学路を歩いていく。銀杏いちよう並木があさを浴び青々と輝いていた。周囲を行くのは同じ学校の生徒達か。彼らに混ざり歩いていくと、ここ一月の騒動がうそのように感じられる。自分達が普通の学生であることをいまさらながら思い起こされる気分だった。


「そういえばバイトはもういいの?」


 かたわらの明華が問いかけてくる。ポニーテールを揺らしのぞきこむような角度だ。白いうなじとセーラー服のえりが目にまぶしい。あまりぎようしないよう気をつけつつ「ああ」と答えた。


「もともと短期の話だったしな。学校が始まると言ったら普通に抜けさせてもらえたよ。まぁまた余裕があれば行くかもしれないけど」


「そうなんだ」


「うん」


 実際はグリペンの処遇が決まるまで待機させられている感じだった。


 あの日、無断出撃の果てにグリペンは敵機を撃退した。ミサイルも銃弾も全て撃ち尽くし小松の空を守りきった。結果、市街の被害は飛行場を中心としたわずかなエリアにとどまっている。まぎれもないだいしゆくんしやというべきだった。


 だが彼女はすでに運用中止の決まった身だ。民間人との共同飛行という説明困難な事象も相まりその処理は引き続きグレーなままだった。


しろどおりと二人で東京に行っているらしいけど……)


『あまり期待するなよ』


 去りぎわに、白衣の男はすごくいや台詞せりふを残していった。


『お役所ってのはな、動かすのも大変だが一度動いたものを止めるのも一苦労なんだ』


 実際あれから何週間もたつのにおとはない。まさかいきなりはい連絡が来たりはしないだろうが、いい加減待つのも限界となっていた。


 不安なことはもう一つ、ドッグファイトの最後に感じたグリペンとの一体感。あれを八代通に話したところ言下に『ありえない』と否定された。


『人間の脳は神経融合インタフェースNFIに対応していない。アニマやドーターの感覚が共有できるはずないんだ。仮にシールドが甘く信号がれていたとしても人間には理解不能だ。ピリリと感電した程度にも感じないだろうよ』


『じゃあなんで、あんなこと』


『失神して夢でも見たんだろう』


 言われてみれば最後の方、記憶がない。実際着陸後はストレッチャーで運び出されたし、げんかくと断じられても仕方がなかった。


 にしたって風も陽光の熱さも、燃焼するガソリンのにおいさえ覚えているというのに。


 ちくしよう、早く帰ってこいよグリペン。帰ってきてあの時の会話が夢じゃないと証明してくれ。おれ達二人で空を駆け巡っていたと証明してくれ。


 だが切なる願いもむなしく彼女からの連絡はなかった。


 ──あまり期待を持ちすぎるなよ。


 しろどおりの忠告がいまさらながら胸を刺す。


 あきらめた方がいいのか、考えない方が楽になれるのか。


 ゆううつな思いにさいなまれていると明華ミンホアが「あ、あのね」と声を上げた。


「自衛隊のバイトがないならあたしと一緒にやれる仕事、探さない? ショッピングセンターの店員とかファミレスのウェイターとか」


「ああ……」


 そういうのもありなのか。気分転換で、心にいた空白を埋めるために。


「まぁ、悪くないかもな」


「本当? じゃあ今日バイト情報誌買いに行こうよ。それ見て二人でできる仕事探そう」


 えらく積極的だ。


 いや、でも編入初日に仕事探しとかどうなんだ? この学校、バイトOKかもまだ分かっていないだろうに。


 疑問に思いつつも一方で彼女のづかいが身にしみる。知らず知らずのうちに心配をかけていたのか。明華なりに自分を元気づけようとしているのだろう。


 だめだな、しっかりしないと。いつまでもほうけていたらだめだ。


 たんそくを一回、背筋を伸ばし前に向き直った時だった。


「……あ」


 声が漏れた。


 目が吸いつけられる。


 並木の下にワンピースの少女が立っていた。折れそうに細い身体からだきやしやな手足、ミルク色のはだに木漏れ日が淡い光を落としている。


 背中を向けているため顔は分からない。だが流れ落ちる長い髪には見覚えがあった。きらきらと内側かられ出すペールピンクの光。温かな暖色の輝き。


 まさか、まさか。


 心臓が高鳴る。抑えていた感情がこみ上げてきた。息が苦しい。乱れた呼吸を整えぶるいした。


「おい」と呼びかけようとして、だが彼女の方が先に振り返った。ワンピースのすそが揺れる。舞い躍る髪が陽光をはじいた。


 灰色のひとみがこちらを見つめる。あめ細工めいたくちびるほころんだ。日だまりのような笑みをたたえたまま少女は静かに告げてきた。




 ただいま。




 そして──止まっていた時間がまた動き出した。

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