*Ⅴ* 9/9


「グリペン! カナード直立!」


「え?」


「いいから頼む!」


 スロットルのエアブレーキを操作し叫ぶ。直後、つんのめるようなしようげき身体からだを揺らした。エンジン推力と空気のかべがぶつかり合い機体をきしませる。背後からガラス細工の機影が飛び出してきた。モニタに大映しになるザイの姿、無防備な背中をさらしたことに気づいたのか、一気にスピードを上げにかかる。


 だが。


「カナード戻せ!」


 前にシミュレータで失敗した時とは違う。今度はスロットルを絞っていない。エアブレーキをゆるめたしゆんかん、機体の速度が戻る。ザイの尾部をレティクルの中央にとらえ射撃ボタンを押した。


 激しい発射音。マウザーBK27リヴォルバーカノンが秒速一キロ超えの勢いで砲弾を射出する。敵機のつばさが折れた。ガラス細工の機体が一瞬で分解し爆散する。そのまま長い黒煙を引きちていった。


 やった……うまくいった。


 あえぐようにつぶやき脱力する。


 ある意味かけだった。通常のグリペンはカナードの動きをコントロールできない。機体の安定をコンピュータで自動制御しているためだが、だいしようとして着陸時のようにエアブレーキとして用いることもできなかった。だが目の前の少女は機体そのものだ。彼女なら自由に翼の動きを制御できるのではと思ったが。


「な、何をしたの?」


 グリペンが動揺した声でたずねてくる。今見た光景が信じられないのだろう。座席からずり落ちかけぼうぜんとしている。


「人間には人間の戦い方ってものがあるんだよ。何も鹿正直に相手のひようで戦うことはない」


「……」


 ありえない、ありえないと繰り返しつぶやかれる。よほど衝撃だったのか。心ここにあらずな様子となっていた。が、いつまでもほうけていられては困る。「で」と口調を切り替えた。


「作業はどうだ? まだ終わらないのか」


「もう……ちょっと」


 長い髪が輝きを増した。空気が帯電したように緊張をはらむ。ややあってグリペンは深呼吸、頭を揺らした。


「完了」


 たん機体のエンジン音が明らかに変わる。微細な振動が消失し安定感が戻ってきた。気づけば操縦かんからごたえが消えている。


「待たせてごめん」


 静かなつぶやき声がひびいた。小さく息継ぎして宣言。


「あとは全部──私がとすから」


 ぞくりと身体からだふるえる。普段の無気力さがうそのようにすごみのある口調だった。


 機体が横転する。深いバンク角で旋回に入り180度方向転換した。全周囲モニタに敵の姿がマークされている。基地しゆうげき編隊の片割れだろう。こちらの様子が変わったのを見て取ったのか、ブレイクして態勢を立て直そうとしている。


「ターゲット・ロックオン」


 マーカーが赤色に輝く。


「FOX2」


 シュンっと空気を切りよつのミサイルがリリースされる。四枚羽根のしようたいまたたく間に白い点と化しザイ機をつらぬいた。


 よくから炎がほとばしる。安定を失った機体はネズミ花火のように回転し墜ちていった。


 あつない。あまりにも呆気ない勝利だった。


けい、覚えてる? 私が前に言ったこと。私には何かが欠けているかもしれないって」


 突然の問い。「え? ああ」とまばたきして顔を向ける。


「ずっと分からなかった。でも今は理解できる。私に足りなかったのは多分、慧。私は慧と一緒に飛ぶために生まれてきた」


「……は?」


 何、今なんて言った? いや、確かに自分と彼女の脳波がついになっているような話をしろどおりはしていたが。だけど、だからといって。


 だがそれ以上質問する余裕はなかった。機体が加速する。ディスプレイパネルの速度メーターがものすごい勢いで上がっていった。


 びりびりとほおの筋肉がけいれんする。風圧がキャノピーを透過しおそいかかってくるようだった。


くね」


 気圧の急変が翼端に白いきりを生み出す。ぎようけつした水分が航跡となり尾を引いていった。


 気づけば戦場が近づいている。展開する護衛艦と自衛隊機、そしてザイ。全周囲モニタのマーカーがそれらをしゆんに識別しロックオンする。ターゲット1、2、3、そく。ミサイルを発射……キル。機関砲が火を噴き対艦攻撃中の敵機をなぎ払う。返す刀で急上昇、直上の敵にレーダー照射した。


 あとはもう認識が追いつかなかった。光と爆音がはじけ空と海の青が混ざり合う。今自分が上を向いているのか下を向いているのかさえ分からない。ロールとピッチアップ、ダウン、ヨー、異なる機動が秒単位で入れ替わっているように思えた。へいこう感覚など保ちようもない。正面ディスプレイのデジタルメーターもでたらめに数字を変化させていた。


 常識外のGに身体からだが悲鳴を上げる。骨と肉がちぎれそうだ。Gスーツが下半身を締めつけるも視野のきようさくは治まらなかった。脳から血液が失われていく。思考が途切れていく。ちくしよう、もう少し、もう少しだけもってくれおれの頭、俺の身体。


 めいもくし歯を食いしばる。操縦かんを握りしめうずくまり……しゆんかん


 意識が拡散した。


 音が消える。無重力状態のように身体が軽くなった。周りには……何もない。ぼうぼうと広がる青空だけが視界を満たしていた。座席もディスプレイもヘルメットも消えせている。まるで自分一人だけが生身で空を飛んでいる感覚。


 これは……これはひょっとして。


 いつの間にかかたわらにグリペンがいた。自分と同じくなんの支えもなく空にいる。彼女はやさしくまなじりゆるめた。


「一緒に飛ぼう、けい


 ああそうか、理解できた。これがおまえの見ている世界なんだな。おまえ達の住んでいる場所なんだな。


「ああ」と答えて手を握る。吹きつける風と陽光に身を任せた。


 認識の境界が崩れる。五感と知覚が解放され空の果てまで広がっていった。


 水平線に向け速度を上げる。


 今度ははっきりと戦況が理解できた。正面に敵編隊の中核がいる。大型の機影は多分重爆撃機タイプだ。数にして四、五。大きくつばさを広げた怪鳥のようなフォルムを見せている。おそらくまつくうしゆうの主力だろう。周囲を護衛機が飛び交っている。F─15Jが近づこうとするが、そのたびに軌道をねじ曲げられていた。


「あれをやる」


 グリペンの意志がダイレクトに伝わってくる。無論いなはない。息を詰め敵影をにらみつけた。


 その視線を感じ取ったように敵編隊が乱れる。数機が直援を中止しこちらに向かってきた。


 アフターバーナー全開、飛来するミサイルをバレルロールでかわし突進する。残弾も限られているからいちいち相手をしていられない。白煙が上下左右に飛び抜けていく。すれ違ったザイはすぐさまこちらの追従に入るが構うことなく直進した。体当たり覚悟で突っこんでくる敵を機関砲で爆砕、炎と煙を切りいた先にターゲットが……いた。


 残りのミサイルすべてを怪鳥のようなシルエットに振り分ける。発射音、対EPCM補正のほどこされた弾頭はせんの軌道をえがき敵機に迫った。


 信管作動。立て続けに生じた火球が怪鳥の過半を押しつぶす。だがまだ残存機がいる。炎を引きながらも前に進み続けていた。


 グリペンがほうこうする。


 機関砲が狂ったように炎を吐き出した。ちろ、墜ちろ、墜ちろ、墜ちろ、墜ちろ!


 気づけば一緒になって叫んでいた。怪鳥の表皮に火花がぜ、破片が飛び散る。たなびく火煙は徐々に数を増し、やがて決壊した。弾倉が空になるのと怪鳥が爆散するのはほぼ同時だった。巨大な翼が真っ二つに割れ沈んでいく。


 ……。


 墜とした。墜としきった。


 守るべき対象を失った護衛機が迷走気味に周回している。明らかに混乱した様子だった。統一した指揮命令系統を失ったのか、自衛隊の迎撃にも反応が鈍い。


「……けい?」


 グリペンが心配そうにこちらをのぞきこんでいる。


 どうした? と答えかけるも声が出ない。


 いつの間にか意識が薄らいでいた。全能感が弱まり急速に視界がすぼまっていく。ああ……悪い、どうやらおれはこのへんが限界らしい。


 ノイズが走る。重力がよみがえなまりのような疲労がおそってきた。そうくうが遠ざかり世界が暗転する。


 ちくしよう……もう少しこのままおまえと飛んでいたかった──な。


 コールタールのようなやみに思考を侵されながらけいは意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る