*Ⅴ* 7/9


 天井が揺れている。


 プレハブ造りの執務棟は甲高いきしみ声を上げていた。床に書類や筆記具が散乱している。一体何が起きたのか、けいは頭を振りながら立ち上がった。


 モニタルームはひどい有様になっていた。ラックの中身がこぼれ、ディスプレイのいくつかは傾いている。額をおさえているスタッフはでもしたのだろうか。そこかしこからうめき声が聞こえてきた。


 直前の報告を思い出す。新たな敵編隊が接近と言っていたか、では攻撃されたのか? グリペンは、しろどおりは無事なのか。


「被害状況、報告!」


 張りのある声がひびく。巨体が立ち上がっていた。乱れた髪を直すこともなくしろどおりが周囲を見渡す。


「直撃したらこんなプレハブ、いつしゆんで吹き飛んでるぞ。外れ弾相手にいつまでも寝てるやつがいるか。とっとと仕事しろ!」


 室内の空気が引きしまった。オペレータがインカムをつけ直す。攻撃前のけんそうがモニタルームに戻ってきた。


 八代通が眼鏡めがねを直す。視線を正面に向けたまま。


「すまんがこれ以上相手している余裕もなさそうだ。とっととグリペンを連れていけ。正門には連絡しておく」


「いいんですか」


「最善手だ。分かってるだろう」


 話は終わりだとばかりに歩き出す。瞬間。


「私、飛ぶ」


 澄んだ声が聞こえた。


 よくように乏しい、だが決然とした口調。振り向けばグリペンがこちらを見ていた。灰色のひとみに強い意志が宿っている。


「何を言っているか分かってるのか?」


 八代通の目が細まった。


「上がれば間違いなく死ぬんだ。片道飛行どころか離陸直後についらくするかもしれない。そんなの悪いかけに自分の命を使うのか。みすみす生き延びるチャンスを捨てようっていうのか」


「死にたくは……ない」


 わずかに白いおもてが揺れた。だがすぐまっすぐに八代通を見つめ返す。


「でも私の存在意義は人間を守ることだから。今救える命があるならそのために全力を尽くしたい。あとの一億のために今の何十万を捨てるとかは考えられない」


 それに、と彼女は続けた。小さく顔を伏せ。


「この町にはけいとの思い出があるから」


 え……。


 胸を突かれた。自分との思い出? そんなもののために町を守ろうとしているのか。わずか二週間かそこらの話だぞ。商店街や神社など思いつきのスポットを回っただけだ。なのにまるで宝石のようにその記憶を扱っている。


 ふるえが走った。


(……ああ)


 ああちくしよう、この戦闘機ときたら、本当に。


「だがな」


 しろどおりが再度異議を唱えようとする。しゆんかん、手を上げていた。


おれも行きます」


「何?」


「俺が近くにいる限りこいつは無事なんでしょう? だったら一緒に飛べばいい。座席の後ろにでも押しこんでもらってグリペンの意識を安定させる。生還の可能性はずっと高まるはずです」


 虚を突かれたようにそうぼうまたたく。「ドーターに人を乗せる……だと?」つぶやき声で言ってかぶりを振る。


鹿を言うな。こいつらの機動に人間が耐えられると思っているのか? 耐Gスーツを着ててもあっという間にブラックアウトしてあの世行きだぞ」


「それでも……ギリギリまでこいつの戦闘力は保てます」


 少なくともドッグファイトが始まるまでは。


 最悪二人そろって討ち死にするとしても決戦前についらくという結末だけは避けられるはずだった。


 それに上海シヤンハイ脱出戦時、彼女の挙動がよかったのはなぜかという話もある。シミュレータやテストフライトの時と明らかに異なる、稲妻のような機動。あれが仮に自分がそばにいた効果だとすれば。


(試してみる価値はある)


 ペールピンクの髪の少女がぼうぜんとこちらをあおぎ見た。


けい……」


「言っただろう、おまえを一人で放り出したりしないって」


 小さな手を握る。彼女の意志が、思いが体温とともに流れこんできた。それ以上の言葉はもう必要ない。二人揃って八代通を見つめた。


 しばらくして舌打ちの音がひびく。


「どいつもこいつも……死にたがりだな」


 あきれ果てた声。たんそくした後、胸を反らす。


「だが上等だ。俺も博打ばくちは嫌いじゃない。君のプランでグリペンを戦力化できるなら多少のリスクは無視させてもらう。一応もう一度いておくぞ。こいつらの機動はくうの戦闘機パイロットでも耐えがたいしろものだ。普通に乗っているだけで死の危険もある。そこを分かった上で飛ぶと言っているのか? こいつに付き合うと言っているのか?」


「くどいですよ」


 八代通は薄く笑った。肩越しに振り返り声を張り上げる。


「おい、グリペンを出すぞ! 外、行けそうか」


 さきほどから小規模な地鳴りが何度か響いている。戦闘が収まっているわけではないのだろう。オペレータが硬い表情で首を振る。


「だめです、敵は滑走路破壊用と思われる特殊爆弾を使用。広い範囲にクレーターが生じています。現在ヘリ以外の離着陸は一切不可能!」


 な……!


 一気に気持ちが冷える。滑走路がやられた? 飛び立てないということか。であればどれだけグリペンが安定していても意味がない。


 だがしろどおりは不敵に笑った。


「まぁ心配するな」


 肉づきのよいほおゆがむ。状況とはあまりにり合いな、たのしげな表情だった。


ちよういい、北欧仕こみのてんを連中に見せてやろうじゃないか。滑走路をつぶしたくらいでいい気になってもらったら困るとな」

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