*Ⅴ* 5/9


 ペールピンクの髪の少女が座っていた。小さな身体からだを一層縮こまらせやみに沈んでいる。いつしゆん眠っているのかと思う。それくらい彼女は静かだった。呼吸の気配さえ感じさせることなく周囲の風景に溶けこんでいる。


「グリペン」


 久しぶりに出した声はかすれていた。ごくりとつばを飲んでもう一度、はっきりと彼女の名を呼ぶ。


「グリペン、おれだ」


「……」


 灰色のそうぼうが開く。白いおもてが持ち上がりこちらを見つめた。初めはぼんやりと、だがすぐにきようがくの色が取って代わる。彼女は大きくまばたきした。


けい?」


 力強くうなずく。こぶしを握りしめアーチの奥に進んだ。グリペンは夢から覚めたようにくちびるをわななかせた。


「なんで……」


「おまえに謝りに来た」


「謝りに?」


 深呼吸を一回、声を振り絞る。


「あの時食堂でかばってやれなくて悪かった。一番大変な時そばにいてやれなくてすまなかった。手紙の返事ができなくて申し訳なかった。おまえの不安に気づいてやれないで、本当にひどいことをした」


「……」


「許してくれとは言わない。言う資格もない。だけど誤解だけはといておきたかった。俺はおまえを嫌っちゃいない。いなくなってくれとか思っていない。つまり……だから」


 あふれ出る言葉をいつたん押しとどめて息を吸う。


 ぼうぜんとする少女を見つめ、強い口調で。


「おまえはおまえだ、ザイじゃない」


 ……!


 細い肩がふるえる。彼女はあえぐようにくちびるを開いた。しばらくしゆんじゆんした後、ささやく。


「それを……言いに来たの?」


「ああ」


「わざわざハルカにお願いして?」


しろどおりさんには何も言っていない。おれが勝手に来たんだ。もちろん基地に入る許可ももらってない」


 グリペンはあからさまに混乱した様子となった。「変」と首を振る。


「なんでけいがそこまでするの、私みたいな欠陥品のために」


「おまえは欠陥品じゃない。ただちょっと調子が悪いだけだ。時間をかければきっと普通に飛べるようになる」


「根拠は?」


「必要ない。どうせそれ以外の可能性なんて考える価値もないんだ。だったら一番いい結果だけ見てればいいだろ?」


「……無茶苦茶」


 グリペンのまゆが下がった。困ったように口元をゆがめる。ただ言葉と裏腹に彼女の持つふんやわらいでいた。心なしごうないやみも薄らいだように思える。


「ここで何してるんだ?」


 周囲に人の姿はない。彼女は本当に一人で来ていたようだった。


「お別れ」とグリペンが答える。視線の先にたんぱつのプロペラ機があった。


ほんの人が五時まで好きにしていいからって」


「五時」


「六時に出発。工場ではい処分に入る」


 淡々とおのれの運命を告げる。その冷静さが無性に腹立たしかった。


「おまえは……それでいいのかよ」


 押し殺した声でたずねると彼女は目をらした。


「役立たずだから……仕方ない」


「人間の都合で生み出されて人間の都合で消されて、少しはじんに思わないのか? おまえだって別に死ぬのが平気なわけじゃないだろう」


 返事はない。白いおもてが無言のままうつむいている。ぎりっと歯ぎしりして詰め寄った。


「逃げよう」


 強い口調で告げる。


「基地の外に連れていってやる。かなざわの難民街なら一人や二人よそ者が来たって怪しまれることはない。ほとぼりがさめるまで隠れて、その間に俺と八代通さんとでなんとかする。おまえがもう一度テストを受けられるようにしてやる。だから」


 逃げよう。


 もう一度、目線を合わせて訴える。グリペンは雷にでも打たれたように固まっていた。突然示されたせんたくに動揺を隠しきれないのか、そうぼうを揺らしている。ややあってくちびるが開いた。


「無理」


 かすれた声。


「私は……ここ以外で生きていけない」


「そんなの……やってみなきゃ分からないだろ!」


 細い肩をつかみ揺さぶる。


あきらめるなよ。まだできることを全部試したわけじゃないだろう? どうせ死ぬならもう少しあがいてみてもいいはずだ。それともなんだ? おまえ、もううんざりだと思ってるのか。身勝手な人間達にはこれ以上付き合ってられないと」


「違う!」


 予想外に激しい否定。グリペンは強いまなしでこちらを見返した。


「私は……まだ飛びたい。必要とされたい。けいのいる世界で生きていきたいと思ってる」


「だったら」


 彼女の手をつかむ。


「精一杯おうじようぎわ悪く立ち回ろう。上の連中が考え直すまで逃げ回ろう。大丈夫、おれも付き合ってやる。おまえを一人で放り出したりしない」


「……慧」


 灰色のひとみに光が戻ってくる。少女の顔からていかんが少しずつ薄らいでいった。


 しばらくして薄い唇が引き結ばれた。こうを広げ何ごとかを告げようとする。その時だった。


 とうとつに激しいサイレンがひびき渡った。


 ……!?


「なんだ!?」


 外からだ。こんなところまで聞こえてくるということはかなりの大音量なのか。不安をあおるメロディが繰り返し響いてくる。グリペンは顔を引きしめビニールシートにしゃがみこんだ。積み上がった雑貨からハンディー受信機を発掘、操作する。


『……こちらまつ管制塔。スクランブルが発令されています。空港内の全機体は移動を中止しその場に待機してください。繰り返します、スクランブルが発令されています。全機体は──』


 続けて早口の英語が交わされる。専門用語が多いため耳がついていかない。だがただごとでないのは伝わってきた。


「どうしたんだ」


「ザイ」


 簡潔極まりない答え。グリペンは視線をもたげた。


「かなり多い。じゆうばくクラスを中核とした戦爆連合ストライクパツケージ、最低でも二十機以上」


「二十機!?」


 たった数機のしゆうらいでも上海シヤンハイ脱出船団は壊滅しかけたのだ。それが二十機、冗談じゃない。やつら日本海沿岸を灰にする気か。


 直後、無線機とは異なる呼び出し音が鳴る。グリペンの携帯端末だ。彼女は硬い表情のまま応答アイコンを押した。二言三言交わした後、顔を上げる。


「ハルカから」


「なんだって」


「すぐ戻ってこいって。今、基地に帰ってくる途中みたい」


 いまさらかよ。全然連絡がつかなかったくせに、よりにもよってこんなタイミングで。


「どうするんだ」


 基地から逃げ出すのなら今をおいてほかにない。スクランブルの対応で警備も混乱しているはずだ。すきを突いてグリペンを連れ出す。町にまぎれこんでしまう。普通に脱走するよりはるかに成功率が上がるはずだった。


 だが。


「私、行く」


 迷いのない口調で言い切られた。ガラス玉のようなひとみちゆうちよはない。彼女はまっすぐに前を見つめていた。


「捕まってそのままはいされるかもしれないんだぞ」


「でも、『』って言ってくれたから」


 あのデブ親父おやじ、今グリペンが一番欲しい言葉を使いやがって。


おれも行く」


 しかめっつらで告げる。ここまで来た以上、どこまでも付き合うつもりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る