*Ⅳ* 8/9


 しろどおりは小さくせきばらいした。


「お涙ちょうだいついでにもう一つ聞かせてやろうか。あいつのたいの話だ」


「素体?」


 ドーターのベースとなった機体のことか。評価用に自衛隊で購入したグリペンと聞いていたが。


「シリアルナンバー492803、D型ダービッドの後期モデルだな。今輸出されているのはE/F型だからちよう一世代前の型になる。不遇な機体でな、南米のぼうこくに売却されたが折からの反政府運動で武装勢力にだつしゆ、かつての味方にきばを向けさせられた。大分民間人も殺したらしい。どんな気持ちなんだろうな、守るべきはずの存在を自らの手であやめるというのは」


「それは」


 絶句する。想像もつかない、あまりにせいさんな光景だった。


「結果的に反政府運動は泥沼化、こくせき軍の介入を招いた。武装解除の一環でグリペンも回収され生産国に返却。まぁそのあと色々あって我々が購入したわけだが、あいつの中には内戦時の記憶が残っているんじゃないかと思う。人間を守る、みんなのために戦う。あいつがよく言ってる言葉だが、それは自分がかつて果たせなかったことのしよくざいでは、とな」


「……」


 八代通はやや決まり悪げに視線をらした。


「あまり真に受けるなよ、半分はおれの想像も混じってる」


 どうとも返すことができず口ごもる。彼女の内面を知れば知るほどおのれの対応がざんこくに思えてきた。だが今この場でこうかいしても仕方ない。謝罪するなら直接、彼女に会ってからだ。


「テストはどうなってるんですか」


 八代通があごをしゃくった。話に集中して気づかなかったが、ディスプレイのいくつかにしんの戦闘機が映っている。JAS39グリペン、彼女のつばさ、いや彼女そのものか。誘導路を地上移動タキシングして滑走路へと向かっている。垂直よくのストロボ灯が明滅していた。排気炎が大気を陽炎かげろうのごとく揺らめかせている。


まつタワー、BARBIE01、レディー・フォー・ディパーチャー』


 無線越しに少女の声がひびく。数秒おいて管制塔が答えた。


『BARBIE01、ランウェイ06、クリアード・フォー・テイクオフ』


『ラジャー・BARBIE01、ランウェイ06、クリアード・フォー・テイクオフ』


 離陸準備完了。たん、エンジン音が凶暴さを増す。ノズルがすぼまりオレンジ色の光をはらんだ。


 機体の速度が上がる。エレボンとカナードが上向き、つられるように機首が持ち上がった。主脚が地上から離れてしよう。あとはもう突き上げるような勢いで空に向かっていく。


 飛んだ。


 しろどおりがふんと鼻を鳴らした。


「少し強引だが無理矢理こんすいさせてかくせい間隔を調整した。さっき回復したばかりだからあと一時間はもつだろう。テストフライトの間くらいはせるはずだ」


 実戦じゃ使い物にならんがな、とちよう気味に付け加えられる。


 確かに強引極まりない手法だった。とはいえなんとかなりそうというのはろうほうだ。少なくとも無策でテストにのぞんだわけではないらしい。


 八代通の指がモニタ上の地図を示した。


「テストコースはどがしま上空を回り戻ってくるルートだ。途中無人標的機二機が配置してあるからそいつをげきついすればミッションコンプリート。まぁ同じところをぐるぐる回ってるだけのバルーンだし外す心配はゼロだがな。普通にやっていれば絶対失敗はしないはずだ」


「普通にやっていれば」


「さすがにこれ以上おぜんてはできん。ただでさえやつに肩入れしすぎと疑われてるんだ。度を越すと元も子もなくなりかねない」


 テストフライトの内容について上層部とかけ合ってくれたのか。感心する一方でなぜそこまでという疑問が浮かぶ。まさか八代通のような男が感傷やれんびんの情だけで動くはずもない。


「前にも聞きましたけど、『単純に費用対効果だけ考えるなら、あいつは見捨てるべき』なんでしょう? なんでそんなに色々気にかけてやるんですか。おれみたいな民間人まで巻きこんで」


「俺は分からないことがあるのが嫌いなんだ」


 ぜんとした表情。


「あいつだけがなぜ不調におそわれるのか、なぜ君と一緒だと復調するのか。理由が分からないうちにはいとか無様すぎる。失敗の原因を探らずやみくもに次のせんたくを試すのはさるのやることだ。俺達は猿じゃない」


 予想外に気高い姿勢だった。技術者としてのきようが、覚悟がひしひしと伝わってくる。いつしゆんまばゆさにも似たものを感じてけいは目をすぼめた。目の前の男がいつもより大きく見える。


「ポイントアルファ通過」


 オペレータの声に注意を引き戻される。地図上を三角形のシンボルが移動していた。表示はBARBIE01、グリペンのコールサインだ。現在地は半島の北六十マイル、白色の航跡が弓なりに佐渡島を目指している。


「バイタルチェック、心拍・呼吸・血圧・体温ともに正常。EGGパターンも許容レンジ内」


自己診断装置BITEからのデータにもエラーなし。ドーターとのダイレクトリンク良好、SNRは理想値の+20%をキープ」


「よーし、いいぞ。悪くない」


 しろどおりが無線機を取り上げる。正面の飛行画像を見ながら語りかけた。


「BARBIE01、落ち着いて行け。あせることはない。とにかく着実に目標をこなすことだ」


『分かってる』


「もうすぐ一つ目のターゲットが確認できるはずだ。まずは射撃ミッション、いいな」


『了解、一撃で決める』


 交信終了。赤い機体がバンクした。


 八代通は舌打ちした。


ちくしよう、気負ってやがる。焦るなと言ってるだろうに」


 確かにいつもより性急な感じがした。プレッシャーが彼女の心理に微妙な変化を与えているのか。口調に余裕がない。


「あの……おれ、あいつと話せませんか。せめて一声かけるだけでも」


 悩んだ末の提案に、だが八代通は首を振った。


「悪いが無理だ。今日の無線は関係各所に伝わってる。民間人を立ち会わせていると知れたらまずい」


「そう……ですか」


 見守るしかないということか。歯がみして視線を戻す。オペレータが声の調子を上げた。


「BARBIE01、ターゲット01に接近します。接触まであと十秒」


 いつの間にか地図上に黄色のシンボルが表示されていた。△を○で囲ったようなマーク。明滅しながら徐々にグリペンへ近づいてくる。


「七、六、五、四」


 コクピットビューの画面、進行方向のカメラ映像に黒点が現れていた。青い空にぽつりと一つ、それがものすごい勢いで大きくなる。バリバリと空気を切りく音がひびいた。砲撃だ。砕け散るバルーンが視界を満たし、あっという間に後背へと消え去る。



 すごい、いつしゆんねらいをつけ砲弾をたたきこんだのか。出会いがしらいつせん、まるで居合いのようだ。


 八代通はぶつちようづらのまま無線機をつかんだ。


「次は空対空ミサイルAAMでいく。目標ターゲット02、接触まであと三十五秒」


『了解、ターゲット02を優先目標に登録、接触まであと……三十秒』


 再び地図上に光点が生まれる。今度は高度差があった。スロットルを開き上昇、陽光がカメラにまばゆいハレーションを生み出した。黒点が見えロックオン、グリペンの声が『FOX2(発射)』と告げかけた時だった。




 けたたましいベルの音が無線に割りこんできた。




 室内がざわめく。スタッフが手元のコンソールをのぞきこんだ。飛び交う指示と確認の声。何ごとか、硬直するけいの耳に切迫したアナウンスが飛びこんできた。


『オールステイション、まつタワー、ホットスクランブル。タイムアット・ツー・フォー』


 !?


「スクランブル?」


 予想だにせぬ単語だった。


 緊急発進ということか? 一体なぜ、何に対して。


『TYLER01、ベクター030・クライムエンジェルス25・バイバスター、コンタクト・エブリゲート・チャンネル7』


 別カメラがアラートハンガーの様子を映した。開いたかくへきからそうはつの戦闘機が進み出てくる。グリペンとは全然違う大柄でどうもうなシルエット。民間人の自分でもさすがにその機種は知っている。F─15Jイーグル、航空自衛隊の主力戦闘機だ。


 巨大なもうきんは滑走路にたどりつくともうれつな勢いでしようしていった。続いてもう一機、あとを追うように飛び立っていく。


「何が」


 あつに取られているとしろどおりが鼻をすすった。


「心配するな。ロシア機だろう。よくあることだ」


「よくある……ことなんですか?」


くうの基地じゃスクランブルなど大して珍しくもない。中国が元気なころは年に五、六百回対応してたくらいだ。二日に三回だぜ。いちいちおどろいていたら身がもたん」


 そうなのか。なんだよ人騒がせな。今日は大切な日なんだ。余計なじやを入れるなと言いたかった。


「とはいえ」と八代通が付け足す。


「テスト空域に接近されるとやつかいだな。おい、地図の縮尺上げろ。アンノウンはどこだ」


 ディスプレイの地図が切り替わる。大陸沿岸を含んだ広域図が映し出された。


 不明機アンノウンは……いた。どがしまの北方、あき県の西側を飛行している。南方から向かう二つのシンボルはF─15か。ターゲットに向けまっすぐに突き進んでいる。


 八代通が無線に語りかける。


「BARBIE01、ベクター010にアンノウン。スクランブル機が対応に向かっているが近づいてくるようならテストを切り上げて帰還しろ。ロシア人におまえの姿を見せてやる必要はない」


『了解、テストは続行?』


「状況に注意しながら継続しろ」


『分かった』


 交信が終了する。重ねるように男性の声が『ターゲット視認インサイト』と告げてきた。イーグルのシンボルが不明機に接近している。


『小型機だ。Su─27か? ……いや違う、見たこともない機種だ。鏡みたいに光って……つばさが──』


 しゆんかん無線が途切れた。地図上のシンボルが二つ、同時に消滅する。


「TYLER01、02、ロスト!」


 悲鳴のような声が上がった。身の毛がよだつ。恐怖の記憶がぞうを締め上げた。これは、この光景は。


 オペレータがヘッドセットをつかみ振り返った。


「ザイ確認! 制空戦タイプ、機数一!」


鹿な!」


 しろどおりこぶしが机をたたく。口角をり上げ歯ぎしりした。

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