*Ⅳ* 3/9


 軍用シミュレータの体験という予期せぬ役得もあいまり、気づけば基地で過ごす時間が増えていた。明華ミンホアには「無事バイトに採用された」とだけ告げてある。朝は八時から夜は六時までのシフトという設定。ほぼ丸一日家をけている計算だ。生活の過半を自衛隊で費やす日々。必然グリペンといる時間も長くなっている。そのせいかどうか分からないが彼女は日に日に安定度を増していた。急な意識障害もなく順調に試験をこなしていっている。


 シミュレータ試験から二日、彼女は実機で空を飛んでいた。基地上空を一周し着陸するだけの簡単なフライト。だが空をしんつばさは、慧の胸に上海シヤンハイ脱出戦の高揚を呼び起こした。大丈夫、今のまま飛び続ければきっと本番テストをクリアできる。また戦場に戻っていける。そんな期待が心を満たしていた。


「今日はこんなところだな」


 しろどおりがバインダーを置く。モニタルームの空気がかんした。画面には飛行中のグリペンが映っている。彼女はちらとカメラに視線を向けた。


『戻っていい?』


「いいぞ。気を抜いて民間ターミナルに突っこまないようにな」


『そんなへまはしない』


 ぜんと告げてグリペンが視線を戻す。すまし顔で管制塔と交信、着陸の許可を求め始めた。


「ちょっといいか」


 飛び交う航空無線に聞き入っていると肩をたたかれた。八代通が手招きしている。片手を白衣のポケットに入れ部屋から出ていこうとしていた。


「はい?」


 離席していいのか。疑問に思うも八代通はどんどん歩いていってしまう。仕方なくあとに続いた。廊下を歩き休憩スペースにたどりつく。八代通はながに腰かけると煙草たばこをくわえた。


ずいぶん熱中してるみたいだな」


「? なんの話ですか」


「シミュレータだよ、ひまさえあればいじってるそうじゃないか」


 私的利用がまずいと言っているのか、反射的に身構えてあごを引く。


「スタッフの方に許可はもらっています。勝手に使ったりはしてないはずですけど」


「ん? いや、別に責めちゃいないさ。色々試行さくしてるみたいだから何か発見でもあったのかと思ってね」


 発見。


 実戦で使える知見を見つけたか、と問われているのか。


「残念ですけど今のところないですね。ザイにとされてばっかりです」


 結局カナードを使ったエアブレーキはうまくいかなかった。あのぜんよくコンピュータFCSによって制御され機体の安定を保っている。マニュアルで直立させて空気抵抗を生み出すのは難しそうだった。


 試みにFCSをオフにしたところ、カナードはかざどりのようにふらふら動きまわり制御不能になった。どうやら風任せで機体の安定を取り戻す仕様らしい。安全面ではごく正しいのかもしれないが、こちらのやりたいこととはずいぶん違う。


 しろどおりは「ふん」と鼻を鳴らした。


「そうか、まぁ子供に戦術指南してもらうほど困ってないから気にするな。豪華なアーケードゲームだと思って楽しんでればいい。おれ達は君がグリペンの近くにいてくれればいいんだからな」


 相変わらずとげのある言い方をして八代通はプリントを差し出してきた。


「本題だ」


 どうやら今までの話は雑談だったらしい。「はぁ」と答えてプリントを受け取る。複雑な波形のグラフが記されていた。縦軸は電圧、横軸は時間、波形の橫にαだのθだの数学で見るような文字が並んでいる。二枚目も、三枚目も同じだ。


「なんですか、これ」


「なんだと思う?」


「数学の宿題ってわけじゃないですよね」


 現地校の編入手続きが終わっていないため、今の自分は日々学習カリキュラムから取り残されている。それを彼がサポートしてくれる……とはさすがに思わなかったが、ほかの可能性も思いつかなかった。


 八代通が煙を吐き出した。


「グリペンの好調な理由が分かった」


 !


 一気に意識がクリアになる。息をみ詰め寄ると八代通に押しとどめられた。


「いや、すまん。正確に言うと『何が起きてるか』は分かっただ。原因や仕組みは相変わらず不明なまま。とはいえ結構な進歩には違いないがな」


らさないでください。どういうことですか?」


「説明の前に一個確認だ。君、あいつと上海シヤンハイ脱出戦前に面識があった──とかないよな」


「はい?」


 あいつってグリペンのことだよな。彼女と以前に知り合っていたか? 鹿な、ありえない。


「質問の意味が分かりませんけど」


 えんきよくな否定にしろどおりは「そうか、そうだよな」と独りごちた。


「まぁおれもわけの分からないことを言ってるとは思う。だがなかなか普通でない結果が出ててな」


 手元のプリントを指さす。


「これはグリペンの脳波グラフだ。アルファ波、ベータ波とか聞いたことあるだろう。まぁ正確に言うとやつは人間じゃないから脳波とは別物だがな。似たような波形だと思ってもらっていい。で、左から右に見ていくと……かなり乱れてるのが分かるか」


「ええ……」


 最初はある程度なめらかなしんぷくだが、時間がたつにつれて不規則になっていく。振動の間隔が短くなり針山のようになっていた。


「今までの経験上、これが一定期間続くとあいつの意識は失われる。ブレーカーが落ちる感じだな。制御不能になった脳処理を無理矢理断ち切るイメージ」


「原因は」


「分からん。が、そこは大した問題じゃない」


 八代通の指がプリントをめくった。二枚目のグラフ。ごく規則的な波形で安定した様子を見せている。


「これは同時刻の君の脳波グラフだ」


「はぁっ!?」


 いつの間にそんなものを、と叫びかけてふっと思い当たる。一昨日おととい、参考情報ということで簡単な検査を受けさせられた。あの時取られたのか。って、そんな検査項目聞いてないぞ。


 非難の視線を送るも八代通はすまし顔でグラフをなぞった。


「ま、なんてことはない、標準的な人間の脳波だな。で、だ。このグラフをさっきのグリペンのグラフにかけ合わせてみる。するとどうなるか」


 三枚目、最後のプリント。


「……」


 波形はれいな振幅をえがいていた。妙な乱れも揺らぎもない。なめらかな曲線。


「どういうことですか?」


「グリペンの脳波は君の脳波を受けて安定する。同調とでもいうのかな。だいたい十メートル圏内に君が近寄ると波形の合成が始まり次第にこの三枚目のグラフに近づいていく。離れると逆だな。しんぷくが乱れ始め一枚目のグラフに戻っていく。これがあいつの安定化のメカニズムだ」


「なんで……そんなことが」


「知るか、おれきたい」


 しろどおりは投げやりに手を振った。


「いいか、人間の脳波なんてのは常に変化していく。目を閉じたり睡眠しただけでも出力成分が異なってくるんだ。なのにコンマ一秒のズレもなくだれかと同調できるとか、ありえない。ありえるとすれば、そいつはもう『事前にそう設定されていた』以外に考えられない」


「設定されていた……」


「だから訊いたんだよ。あいつと上海シヤンハイ脱出戦以前に面識がなかったかって」


 眼鏡めがねの奥の目がすぼまった。刺すような視線がこちらに突き刺さってくる。


「アニマの動作は研究途上だからな。一度会った人間の脳波をメモリしてその相手用に自分を調整する、なんてこともかいとは言えない。意味不明だがな。だが君はあいつと会ったことがないと言った」


「……ええ」


「ならその線は捨てよう。であれば残された可能性は一つ。あいつは君と二人で動くように作られていた。あらかじめ、最初からな」


「ちょ、ちょっと待ってください。あいつを作ったのって八代通さんでしょう?」


「そうだ。そして俺はそんな機能を組みこんだ覚えはない」


「じゃあありえないでしょうに」


 八代通は舌打ちした。いらたしげに視線をらすと。


「そうとばかりも言えないのがややこしいところでな」


 ……?


 何を言っているのだろう。


 開発者が設計内容をあくしていない? どういうことだ?


 白衣の男性は「まぁいい」とつぶやいた。


「とにかく状況は今説明した通りだ。君が近くにいる限りあいつは安定する。あとはかくせい間隔をきっちり調整してテストフライトの時間に合わせることだな。いくらなんでも君を空までは連れていけないし」


 確かに、ドーター操作中のグリペンは一人だ。自分との距離も十メートルは超えるだろう。であれば安定化のメカニズムは失われる。いつ意識そうしつが起きてもおかしくなかった。


「大丈夫なんですか」


「まぁ法則が分かったからな。状況は好転したと思っていい。やつとの面会時間はかなり管理させてもらうことになるがかんべんしてくれ」


「それはかまいませんけど」


 なんともすっきりしない話だった。しろどおりが席から立つ。時計をいちべつし。


「そろそろ昼飯だな。あいつが戻ったら食堂に付き合ってやってくれ。君の分もおごらせる」


「え、いいですよ」


 あいつ金ないみたいですし、と抗議する間もなく八代通が携帯を取り出した。


「ああおれだ、すぐ戻る。了解」


 幅広の背中が遠ざかっていく。相変わらずあわただしい人だ。言いたいことを言い消え去ってしまう。残された方はぽかんとするしかない。


 だが冷静に考えれば今日の話はろうほうだった。


 何せフライト成功の道筋が分かったのだ。自分とグリペンが近づきさえすれば彼女の脳波は安定しかくせい時間が延長される。あとは効果が失われないうちにテストフライトを終え帰還させる。単純極まりない話だった。


 まぁ、なぜ自分と彼女の脳波がえいきようし合うのかは分からないが。


(あいつに言って安心させてやろうかな)


 ずいぶん不安がっていたからさっきの話をすればほっとするだろう。


 携帯端末の時計を確認。そろそろグリペンが戻ってくる時間だ。けいは端末をしまい立ち上がった。

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