*Ⅳ* 1/9


『バッテリーオン、APUスタート、操縦系統……チェック、レディオ……チェック、各種電子機器……セッティングすべて正常』


 スピーカーからグリペンの声がひびいてくる。


 周囲の空気はぴんと張り詰めていた。作業着姿の男女がモニタを注視している。淡い照明のもと、無数のインディケーターがまたたいていた。


 画面の一つにコクピット内の少女が映し出されている。長いまつに縁取られた目、流れ落ちたペールピンクの髪、両手を左右のコントロールパネルに置き正面ディスプレイを見つめている。


『エンジンスタート』


 別モニタでCG製の機体がふるえ始める。ややあってパーキングブレーキを解除したのだろう、ゆっくりと滑走路を移動し始めた。移り変わる景色はまつ飛行場のものだ。彼方かなたに管制塔がぼんやりと浮かんでいる。


 グリペンがカメラに視線を送ってきた。


『行ける』


「よし、飛べ」


 しろどおりがマイクに告げる。機体がスピードを増した。V1(離陸決定速度)からVR(ローテーション速度)、エレボンが上がり機首が上向く。主脚のタイヤが滑走路から離れた。


『V2(安全離陸速度)』


 機体の背景が空の青に満たされる。離陸成功、モニタルーム内の空気がほっとかんした。


「順調ですね」


 けいは声をはずませた。ガラス窓の外、倉庫とおぼしき空間にドーム状の物体が見える。周囲を黒のリングで支えられ上下に動いていた。


 八代通は「ふん」と鼻を鳴らした。


「当たり前だ。いくらなんでもの段階で失敗されたら困る」


「でも平均かくせい時間を超えたあとの操縦ですよ? なのに全然ミスがない。意識も安定してるみたいですし」


「まぁな」


 いつになく素直な反応が返ってくる。実際拍子抜けするほど好調に実験は進んでいた。


 安宅あたか海岸でのやりとりから一晩明け、慧は再び小松基地を訪れている。目的はグリペンのストレステスト。平均覚醒時間を超えた彼女に各種タスクを与え観察する試みだ。簡単な質疑応答から非言語テスト、運動などを経てシミュレータ操縦に移行した。この結果がうまくいけば実機搭乗に取りかかる予定だ。


 八代通がマイクを取り上げる。


「よし、シナリオ2Aに移る。グリペン、飛行モードを戦闘ヤクトに変更。三十秒後に会敵、EPCM発生」


『了解、飛行モードを戦闘ヤクトに変更。EPCMえいきようのため自律判断で行動する』


「状況開始」


 状況開始とオペレータが復唱する。


 戦域マップに激しいノイズが生じた。グリペンを取り囲むように複数の光点が出現する。しきべつはアンノウン01、02、03。いずれも小刻みにちようやくするかのごとくマップ上の位置を変えていた。


会敵マージド


 ひびき渡るミサイルアラート。ブレイクするグリペンのそばを光の矢が複数突き抜けていく。やじりを思わせる機体が急上昇、逆落としに敵編隊の姿をとらえる。


『ザイ確認、アンノウン01から03の呼称をボギーに変更。FOX2、ドーター誘導補正開始』


 よくたんのミサイルが発射される。煙を吐き出しつつ敵編隊に、うち一機のレーダー表示が消え……なかった。


「ボギー01から03健在」


 オペレータの声が無情に響く。グリペンは顔をゆがめた。


『再演算、EPCM影響度を修正。ターゲットロックオン』


 FOX2。


 再度ミサイルが放たれる。だが今度も当たらない。敵編隊は複雑に軌道をこうさくさせながらグリペンに向かってきた。あとはどちらが優勢かさえ分からないドッグファイトが延々と繰り返される。


(なんで)


 上海シヤンハイ脱出戦の時とは明らかに異なる、鈍重な機動だった。ミサイルのターゲッティング一つとってももたついている。まるでつばさおもりをつけられたようだ。


 まさか意識障害? と思ったしゆんかんしろどおりがマイクにえた。


「おいこらへたくそ。何をやってる。とっととげきついしろ」


『無理』


 ぜんとした声が返ってくる。


『このシミュレータ、全然ドーターと感じが違う。こんなのじゃまともに飛べない』


「予算がないんだ。そんグリペンシミュレータFMSの改造品だから勝手が違うのは当然だろう。つべこべぬかすな」


『貧乏人、ケチハルカ』


「なんだとポンコツ娘」


 人目もはばからずけんし始める。あまりに大人おとなげないやりとりだった。


 スタッフがあきれ顔でシミュレーション設定を変更する。敵の数が三から二、EPCMのノイズが半分近くに減った。


 そのあと二度ほど難易度の調整を行ってようやくグリペンはミッションをかんすいした。


 しろどおりが髪をき混ぜた。


「データチェックするぞ、三十分後にシナリオ3Bを実施。手のいた連中は休んどけ、次は二時間ぶっ通しでいくぞ」


 声を張り上げモニタルームを横切っていく。ガラス向こうでシミュレータの背が開いた。グリペンがほおに張りついた髪を払い、降りてくる。くちびるとがらせふてくされた表情だ。仕切り扉が開放されスタッフがシミュレータのチェックを開始する。


 ……おれは休憩していいんだよな。


 殺気だったモニタルームを出てグリペンのもとに向かった。極力平静をよそおい「お疲れ」と告げる。


 彼女はぶつちようづらでこちらをにらんできた。


「不本意」


「そ、そうか」


「こんなものを私の実力と思われたら困る」


「……」


 ずいぶんとご機嫌斜めだった。意外と負けず嫌いな性格らしい。白い頬がふぐのようにふくれあがっていた。


 シミュレータの中をのぞきこむ。球状のきようたいに戦闘機の前部胴体が埋めこまれていた。コクピットはディスプレイやスロットル、操縦かんを備えたせいなものだ。筐体の内側すべてに外の景色が表示されている。いわゆる全視界スクリーンというやつか。


「すごい設備じゃないか、何が気に入らないんだ?」


「操縦系統が全然違う、反応が鈍い、外部刺激のフィードバックがない」


「……えーと」


 もう一度筐体内を見つめる。確かに言われてみれば上海シヤンハイ脱出戦で見たコクピットと違う。あれは内部にほとんど計器類がなかった。いや、レバー・ペダルのたぐいもなかったように思う。グリペンはあたかも眠るように座席に腰かけていた。両手は……どうしていたっけ、座席の橫に置いていたような。


「おまえ、どうやって操縦してたんだ?」


 疑問をぶつけるとグリペンは小走りに近づいてきた。


「あれ」


 座席の左右にアクリル板が埋めこまれている。ほかの部品と違い、やや日曜大工的な造作だ。さきほどモニタで見た時は何かのコントロールパネルかと思ったが、表面にボタンの類は見受けられない。


神経融合インタフェースNFI、あれでドーターの制御系と自分の感覚器をつなげる」


「繋げる?」


「ニューラルネットワークを機体の末端まで拡張する」


「……」


 専門用語はよく分からない。が、つまり。


「考えるだけで飛行機を動かせるってことか?」


「ちょっと違う。別に考えなくてもいい。人間が自分の腕や足を動かすのと同じ。右旋回したければラダーが動作するし減速したければエンジン出力が下がる」


「すごい話だな」


 想像を絶する。人類の科学はいつの間にそこまで進歩していたのか。いや、今の話こそしろどおりが天才たる証左かもしれない。


 ともあれようやく不調の原因が分かった。電卓の計算に慣れていた文明人がいきなりそろばんを渡され戸惑っている感じか。まぁ「なんとかゆうごうインタフェース」の取りつけなどドーターの操縦系に近づけているのだろうが、にしても実機とは全然動作が違う。だからやりづらいと。


 ん?


 あれ? っていうことはつまり。


「おまえ、普通に飛行機操縦させたら意外にってこと?」


「……!」


 きようがくの表情で見つめかえされた。あまりの心外さに息もできない様子だ。


けいの無理解にきようたん


「驚嘆……って」


「想像以上の無知にいきどおりさえ覚える」


 彼女はシミュレータを指さした。


「そこまで言うなら実際に操縦してみるべき。いかにこのシミュレータが欠陥品か理解できるはず」


「いや、実際に操縦って」


 許されるわけないだろう、自分みたいな外野がと思ったのだが。


「別に構わんよ」


 作業中のスタッフがのんびりと口をはさんできた。さきほどから自分達のやりとりを見ていたのだろう。ひげにおおわれた口元をにやつかせている。胸元にはふなの名札がある。そういえば周囲からフナさんとか呼ばれてたな。顔立ちはフナというよりナマズっぽいが。


「どのみち一回セッティングリセットするしな。二、三回フライトする時間はあるだろう。あんた、セスナは飛ばしたことあるんだろう?」


「……」


 また個人情報がれている。自衛隊内のプライバシー保護に深刻ないだいているとグリペンが腕を伸ばした。


さいは投げられた」


「いや、それなんか使い方違うし」


 とはいえ軍用シミュレータを操作できる機会などめつにない。興味を引かれないと言えばうそになる。「本当にいいんですか?」とふなに確認、肯定のうなずきを見てきようたいに向き合う。


「じゃあお言葉に甘えて」

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