*Ⅲ* 10/11


 飛び散ったタレをナプキンでぬぐっていると、頭上からくぐもった音楽がひびいてきた。テレビが報道番組に切り替わっている。アナウンサーとコメンテーターが向かい合うように座っていた。


『ここからは識者の方にコメントをいただいていきます。ナガサキさん、激化する中国の内戦に対し我々日本はどう対処するべきでしょうか』


 白髪のコメンテーターが『そうですね』とうなずく。


『在中邦人の安全を守るのが第一ですが、混乱終息後の外交関係もこうりよしていくべきでしょう。反政府勢力……一般的にザイと呼ばれていますが、彼らの主張を理解し柔軟に対話の姿勢を示していくことも重要ですね。もちろん内政かんしようは厳につつしむべきですが、どちらの政権を支持するかは結局中国国内の民意なわけですから』


『反政府勢力との外交チャネルを持つべきだと?』


『これだけ勢力が拡大しているわけですからね、いたずらにテロリスト扱いし続けるのも無理があるでしょう。少なくとも先方の指導部とコンタクトは取っていくべきかと』


 は……。


 あつに取られた。


 ザイと外交チャネルの確立? 対話の準備?


 何を言っているんだこの人達は。いやあまりテレビを見ないから知らなかったが、日本じゃ中国の状況をただの内戦だと思っているのか? そういえば第七艦隊出撃のニュースでも『反政府勢力』という言葉を使っていたな。ありえない、平和ボケにもほどがある。


 あいつらは組織でも軍隊でもなんでもない、ただのさいやくだ。国も人種も関係なくすべてを破壊し尽くすだけ。それが分かっていないのか。


「これ、どうなんだろうねぇ」


 店主が湯切りを振った。


「週刊誌じゃエイリアンの侵略みたいなことも書かれてるじゃないか。アメリカ軍も出撃したようだし、まつにも攻めてきたりしないのかね」


「大丈夫」


 強い口調で答えたのはグリペンだった。はしを置き思い詰めた表情になっている。


「もしそうなっても私が町を守るから」


「……え?」


 あわててグリペンの口をふさぐ。さすがに不審がられかねない。店主に向けてあい笑いを浮かべた。


「すいません、こいつ漫画とかアニメの見すぎで」


 店主はとくしんした様子でそうごうを崩した。ちようその時、チャイムとともに客が入ってくる。


「へい、らっしゃい!」


 景気のよい声を上げて店主は接客に向かっていった。


 ほぉとあんしてグリペンをにらみつける。


「あんまりうかつなこと言うなよ。ここは基地じゃないんだから」


「でも大事なこと」


 珍しく強硬に反発された。整った顔がきつく引きしまっている。


「人間を守る。みんなの町を守る、そのために私は作られた。たとえ調子が悪くても最後の最後まで戦って敵をとす」


 ──仮に、そのために私がついらくすることになっても。


「……」


 ひとみの内に宿る意志にはっとなる。


 ただ状況に流されているだけかと思ったが、違う、この子はしんの部分にひどく強い覚悟を持っている。


 おのれの命をしても使命を果たす。自らの存在意義を証明する。目の前の少女がひどく気高い存在に思えた。


けい


 な表情のまま彼女はこちらを見た。くちびるを結び真剣な口調で告げてくる。


餃子ギヨーザ、おかわりしたい」




 結局、夕刻まで散策に付き合った。


 グリペンの興味はとどまることなく、ドラッグストアからファストファッション店、果てはコンビニまで連れ回された。サークルKに寄った数分後にファミリーマート訪問とか、何が楽しいのかさっぱり分からない。だが彼女はじやに楽しんでいた。漫画週刊誌を読みふけり、ゲームセンターのけんそうおどろき、魚屋の鮮魚に目を見張っていた。


 午後五時、かけはしがわにかかった橋の上で自転車をめる。


 いつの間にか大分郊外に来ていた。今のまま進んでいけば空港にたどりつくルートだ。


「どうする? このまま基地まで戻るか?」


「もう?」


「もうったって、それなりにいい時間だぞ」


 明華ミンホアや祖父母の用事もまさか夜まではかからないだろう。帰ってきた時に留守だと色々せんさくされかねない。


 ぐっとシャツのわきが引っ張られた。グリペンがすがるようなまなしを向けてきている。


「もう少し」


「でも」


「あとちょっとだけ」


「……」


 たんそくしてうなずく。


「分かった、じゃああと一しよだけな。そうしたら戻ろう」


 地面をりこぎ出す。彼方かなたき上がる白雲をながめつつ大通りから外れた。右手を赤塗りの路線バスが追い越していく。狭い路側帯と歩道を往復しつつ北上、高速道路の高架をくぐった。


 四百メートルほど走ると一気に視界が開けた。道路が川の土手にぶつかる。陸地が途切れ水平線が現れた。河口だ。日本海にたどりついた。


「海」


 グリペンがあえぐ。帽子をおさえながら熱い息を吐き出した。


「海!」


「ああそうだ」


 下り坂をラストスパート、ぼうていの角に自転車を停める。ぶわりと海風が吹き抜けた。左右360度、至るところに空が広がっている。灯台と防災放送塔が西日に浮かび上がっていた。


安宅あたかせきっていうらしいな」


「え?」


「ここのこと。何か歴史的に有名な場所らしいぜ。よく知らないけど」


 おまえのデータベースにないのか? とたずねるとグリペンはかぶりを振った。相変わらずどういう基準で知識を習得しているのかよく分からない。


 彼女の手を引き砂利道を上っていった。ぼうていのコンクリートを越えると広大な砂浜が現れた。海水浴場だ。季節外れのため人影は少ない。ウェットスーツ姿のグループがウインドサーフィンを楽しんでいた。近所の住人とおぼしき老人が犬を連れ散歩している。


「あ」


 グリペンが息をんだ。ちよう日没間近なせいだろう。うなばらこんじきに輝いていた。ゆうが砂浜に複雑な陰影を作っている。さざ波が空気をやさしく揺らしていた。


「きれい」


 ワンピースのすそを揺らし走り出した。はずみで帽子が取れペールピンクの髪が広がる。だが気づいた様子もなく砂浜に下りた。吹きよせる潮風を全身で受けとめて彼女は回った。ジャケットが、ワンピースが花のように広がる。


 しゆんかんどきりとどうが高鳴った。


(な……)


 体温が上がる。呼吸が苦しくなり胸の奥が痛みを訴えた。


 落ち着け、落ち着けおれ。あれは人間じゃないぞ、兵器だ。ときめいてどうする、しっかりしろ。


 深呼吸を一回、巡らせた視線が自動販売機をとらえる。ああそうだ、冷たいものでも飲んで頭を冷やそう。


「おい、グリペン!」


 大声で呼びかける。


「飲み物おごってやるけど、何がいい?」


「え」


 グリペンは肩越しに振り返った。


「またごそうしてくれるの?」


 そういやラーメン屋でも二千円近く散財したな。今日一日でづかいの半ばが飛んでいっている。が、いまさらけちっても仕方ない。


「おう、なんでもいいぞ」


「じゃあ」


 と言ってグリペンは口ごもった。まゆしわが寄っている。何にするか本気で悩んでいるらしい。


「適当に缶コーヒーでも買っておこうか?」


 たまりかねてたずねると「苦いのはちょっと」と返ってくる。


「じゃあ紅茶」


「苦い」


「炭酸飲料」


「舌が痛い」


 思ったより好みがうるさい。


「分かった、おれのセンスで買うよ」と告げて自販機に向かう。自分用のアップルジュースともう一本を購入し砂浜に下りた。


「ほらよ」


 350ml缶を手渡すとグリペンはまばたきした。


「ヨーグルト?」


「苦くないしパチパチもしないだろ、それもいやだって言うなら俺のと替えるけど」


「ううん」


 即座に否定されヨーグルト飲料をうばわれた。プルタブを引きみずみずしいくちびるをつける。吐息がれた。


「おいしい」


「そうか、よかった」


「好物」


「じゃあ最初から言えよ」


 ほっとして自分の飲み物を開ける。まぁこいつ大分発育不良だし乳製品をたくさん飲む方がいいよな。アニマが成長するかどうか知らないが普通に飲食はできるみたいだし。平板な胸をうかがいつつ果肉を味わっていると、グリペンが小首をかしげた。


「どうした?」


「ちょっと嫌なこと思い出した」


「嫌なこと?」


「『おまえは発育不良だから、いっぱい乳製品補給した方がいいぞ。甘いのが好きならこのヨーグルトでも飲んどけ。胸が大きくなるから』ってある人に言われた」


「……」


「とても失礼」


 だ、だよな。すみません。って俺は言ってないけど。


だれに言われたんだそれ。しろどおりか」


「えっと」


 記憶を探るように中空をながめ、彼女はじゆうめんになった。


「忘れた」


「忘れた?」


「思い出せない」


「大丈夫かおまえ」


 さすがに不安になってくる。動作どころか記憶まで不確実なのか。まじまじ見つめていると彼女は「ヨーグルト飲んだの、今日初めてだったかも」とまで言い出した。好物なのに? いくらなんでもおかしすぎる。


「分かった。もういい」


 あまり混乱させても仕方ない。自分と行動していたためより不安定になったとかしやにならなかった。


 ジュースの残りをあおり立ち上がる。


「これ捨ててくるからおまえはゆっくりしてろよ。日没までは付き合うからさ」


「うん」


 砂浜に背を向け駐車場へ続く階段を上っていく。えーっと、ゴミ箱はと視線を走らせた時だった。


 背後でどさりと何かの倒れる音がした。

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