*Ⅲ* 9/11


 まつの町を当てもなく巡る。


 駅前のアーケード、デパート、ひなびた飲み屋街に古い街道沿いの町並み。


 グリペンは何を見ても素直におどろいてくれた。私用で外出することなどなかったのだろう。物珍しげに周囲を見渡していた。幸い初夏の町は人通りも多く、慧達の姿が目立つこともなかった。次は左、次はあの道をまっすぐ、あ、あれは何? なんで人が集まってるの? グリペンの望むまま市街を走り続けるうち気づけば昼時になっていた。


「食事どうする?」


 そもそも三食きちんと食べさせる必要があるのかいぶかしみつつたずねる。


 グリペンは目を輝かせた。


「食べたい」


「何がいい?」


「日替わりBセット」


「は?」


「Aセットより一皿多い、げ物もついていてお得」


 ……。


 何を言い出したのか、き返しかけてふっと気づく。ああ、ひょっとして。


「それ、自衛隊食堂のメニューか?」


「うん」


 やっぱり。


「悪いけど……多分この町にBセットはない」


「……!」


 灰色のそうぼうが大きく見開かれる。グリペンはうめくように「Cセットは?」とつぶやいた。


「Cセットも……ない」


「そんな」


 絶句される。ほおふるわせがくぜんとした表情だ。おどろきすぎだろう。まぁずっと基地内で暮らしていたならそこの食事がすべてになっていても仕方ないが。


「安心しろ、もっとうまいものがあるから」


 頭の中で地図を検索する。せつかくだから普段食べられないものを味わわせてやりたいが、かといってあまりお金はかけられない。


 そうだ。


「ちょっと遠くてもいいか?」


「? 構わない」


「じゃ行こう」


 荷台に彼女を乗せ走り出す。細い路地を抜け東西の幹線道路に戻った。水路沿いに西進、ロードサイド店の建ち並ぶエリアにたどりつく。


「あった」


 赤い看板に「らーめん」の文字が書かれている。北陸を中心に展開するラーメンチェーン店だ。


めんるい、ダメとかないよな?」


 こくこくとうなずくグリペンを連れ中に入る。たん、もわっとした空気が吹きつけてきた。


「いらっしゃい!」


 禿はげあたま親父おやじが元気よく迎えてくれる。「二人」と答える間もなくカウンター席を勧められた。


「え……っと?」


 固まるグリペン。片手でIDカードのストラップを握りしめている。どうやら精算機のリーダーを探しているらしい。「いいんだよ」と告げ着席させる。


「ここから選ぶんだ、精算は事後、現金払い」


 大判の品書きを渡した。塩・しよう・とんこつというおなじみのメニューが記されている。ちなみに全部野菜ラーメンなのはこのチェーンの特徴だ。


「分からなければおれが適当に頼むけど」


「いい、自分で選ぶ」


 まゆが寄る。小さなこうふくらんだ。


「今こそ初期学習の成果をかす時」


 おおついに本領発揮か。OK、お手並み拝見といこう。


 グリペンは小さく深呼吸、正面から店主をえ。


前菜アントレ魚料理ポワソンチーズフロマージユ赤ワインウンヴアンルージユ、シルブプレ?」


「ちがーう!」


 まさかのフレンチだった。というかそんなややこしいの頼めるならラーメンくらい普通にオーダーできるだろうに。一体どういう基準で知識習得してるんだ?


「すまないねぇお嬢ちゃん、うちそういうのやってないんだ」


 店主が申し訳なさそうに頭を下げてくる。


「代わりに大盛りサービスするからかんべんしてくれないかな、なるともいっぱいつけておくから」


 不安そうにこちらをうかがうグリペン。彼女に代わって「じゃあそれで」と返答する。塩ラーメン二つ、あとサイドメニューに餃子ギヨーザで。


「私、失敗した?」


 しようぜんとした様子でたずねられる。


「いや、おれが最初から難易度上げすぎたかも」と一応フォローしておく。正直予想外の外しっぷりだったが。


「おまちどお!」


 大して待たされることなくラーメンが出てきた。グリペンの分は確かに野菜が多い。なるとも普通の倍くらい載っていた。


「よし、食べよう」


 がつしようしてはしを取り上げる。かたわらのグリペンも見よう見まねでレンゲをつかんだ。


「最初にまずラーメンをよく見る」


「見る」


「湯気を吸いこみつつどんぶりを鑑賞」


「鑑賞」


はしの先でラーメンの表面をなでて」


「なでて」


「おもむろにめんをすくい……食べる!」


「食べる!」


 二人そろってラーメンをすすった。ああ、なんかほっとする。特にパンチの効いた味ではないが食べていて安心できる。かたわらでグリペンが「んん」とうなった。すすりかけの麺をほおり一息。


「おいしい」


「気に入ったか?」


「Bセットよりうまい」


「その評価基準はどうかと思うけど」


 まぁ喜んでもらえたならよしとするか。


親父おやじがここの味好きでさ、わざわざ通販で取り寄せて家にたくわえてたんだ。だから半分家庭の味みたいになっちゃってて、今でも食べると落ち着くんだ」


「お父さん、まつの人なの?」


「ああ」とうなずき半眼になる。


「とはいっても大学で上京してそのあとはほとんど帰ってなかったみたいだけど」


 とにかくひとところにいつかない人、という印象だ。自分が物心ついてからも出張や単身にんでほとんど家にいなかった。母親の事件があった時も、今回のような非常時においても同じ。正直何を考えてるのかよく分からない。我が親ながらつかみどころがなかった。


「はいもう一品、おまちー!」


 黒い鉄板に載せられて熱々の餃子ギヨーザが出てくる。ねる油と蒸気が香ばしい。って。


「あれ、おじさん、これ十二個入りだけど」


 通常メニューは六個のはずだ。オーダーを間違えたのかと思ったが。


「サービスしとくよ、お嬢ちゃんわいいから」


 満面の笑みでウィンクされる。


「仲がいいねぇ、妹さん?」


「えー、まぁ」


 あいまいにうなずくとグリペンが胸を張った。


けいは私の先生」


 先生。


「色々と外の世界のことを教えてくれる」


「ははは、いいお兄ちゃんだなぁ」


 話を理解しているのかいないのか判然としないまま店主は相づちを打った。まぁはたから見ればそう思えるのか。確かに、恋人同士っていうにはこいつじやつかん小さすぎるしな。


けい


「ん?」


「これも食べ方ある?」


 しかつめらしい顔で餃子ギヨーザを指さす。ない。いや、別にラーメンも作法なんてないが。


「結構熱いからゆっくり食べること。中の汁が飛び出さないよう慎重にな。タレはお好みで」


「お好み」


「ちょっとずつつけて、味が濃すぎると思ったらやめる」


「了解」


 にうなずいてはしをつける。勢いよく口に放りこんだしゆんかんほおふくれ上がった。けんしわを寄せ一言。


「熱い……」


「だから言っただろう、ゆっくり食べろって」


「でもおいしい」


 涙目になりつつ次の餃子をつつく。火傷やけどしないだろうな、見ていて心配になってくる。とりあえずお冷やをぎ足し差し出してやった。ううん、本当に保護者の気分だ。目が離せない、放っておけない。

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