*Ⅱ* 1/4


 鉄と油のにおいがする。


 けいひざをつきまえかがみにさせられていた。床は硬くひんやりと冷えきっている。ずいぶん広い空間のようだ。時折聞こえるはんきようおんが遠い。倉庫か、あるいは工場のような場所にいるようだった。


 どうがする。不安が止めどなくき上がってきた。一体自分はどうなるのか、明華ミンホアは無事なのか、目隠しのせいもありさっぱり状況がつかめない。


 車から降ろされてどのくらいたっただろう。おそらく十分か十五分くらいのはずだ。その間、一言も声をかけられていない。かといって放置されているわけでないのは背後に人の気配があることで分かる。背中に筒状の物体が押しつけられていた。冷たく重い鉄の感触。


 は……ぁ。


 あえぎ声が必要以上に大きく聞こえる。背中やわきの下がじんわりと汗ばんでいた。


「いいぞ、取れ」


 不意に低い声がひびいた。


 頭をおさえられ目隠しが外される。しゆんかん、激しいこうぼうが目をいた。


 サーチライト……いや、ヘッドライトか? 大型のオフロード車がこちらを照らしている。その正面に人影が一つ立っていた。逆光で細部はよく分からない。が、ひどく横幅が広いのは見て取れる。かなりの肥満体だった。


 明華は。


 あわてて周囲を探すも少女の姿はなかった。振り返ろうとした瞬間、首筋を小突かれる。「前を向いていろ」ということらしい。なすすべもなく凍りついていると今度はさるぐつわを外された。


「さて」


 さきほどの声がもう一度響く。肥満したシルエットが眼鏡めがねを直していた。どうやら男性らしい。白衣とおぼしきすそが揺れる。


「単刀直入にこう。一体どこの手の者だ。だれに頼まれた」


「は?」


「何を探っていた? どこまで予備知識を持たされている?」


「な、何を」


 言われているのか。わけが分からない。ただとんでもないかんちがいをされていることは理解できた。自分達はおそらくひどい誤解の果てにじんもんされている。


 ガチャリと金属音が響いた。銃の撃鉄めいた音。


「とっととしやべれ。おれは気が短いんだ。だんまり決めこむつもりならこの場で射殺するぞ。それとも日本語が分からないのか。なら仕方ないな、俺は日本語以外分からんからやっぱり殺そう」


「ちょっ、ちょっと待ってください!」


 必死で制止した。


「な、何かの間違いです。おれ達はただ散歩してただけで、飛行場の周りを走って家に帰ろうとしてたんです」


「ただの散歩、だと?」


 男はうめくように言って額をおさえた。


「言い訳にしてもセンスがないな。最近のちようほう機関はじんもん対策も満足にできとらんのか。なっとらん、まったくもってなげかわしいな」


「ちょ、諜報機関?」


「いいからどこの所属か言え。モサドかFSBか、それとも雇い主さえ知らされてないチンピラか」


「だから!」


 かんちがいだって言ってるだろう! と叫びかけた時だった。男がすっと手を上げた。てのひらをかざすように見せつける。


「あと五秒だ」


「!?」


 ゆっくりと親指が折られる。


「四秒後に引き金を引く。これはおどしじゃない。言っておくが逃げようとしてもだぞ。銃でねらってるのは一人じゃないからな。おかしなところを撃ち抜かれて苦しむくらいならヘッドショット一発でくたばる方が楽だ」


「お、俺は」


「もう一度くぞ。おまえの雇い主はだれだ」


 そんなものいない、と答えても相手は聞く耳を持たないだろう。かといってたらを答えてどうなる? 次かその次の質問でボロを出すだけだ。迷っているうちに男の指が折られ始めた。


 残り三本。


 二本。


 一本。


「まっ……!」


 男の口が開く。その声が死刑宣告を伝えようとした時だった。


 背後で光がはじけた。続けてすさまじいモーター音、何か重いものの動く気配がする。撃たれた……のか? いや、様子がおかしい。空気が動揺していた。背中から銃口の感触が消えている。よく見ると見張りとおぼしき人物が後ろを振り返っていた。


「ふん」


 ただ一人肥満体の男だけがたいぜんと胸を反らしている。面白くもなさそうに鼻を鳴らした。


「なんだ、やっぱり動けるんじゃないか、このなまけ者め」


 その言葉はけいにかけられたものではない。もっと向こう、ヘッドライトの届かないやみの奥に向けられていた。


 恐る恐る振り返る。


 巨大なほろの山が動いていた。すその部分がひるがえり前脚とタキシー灯があらわになる。前進に合わせて幌がすべり落ちた。丸みを帯びたノーズコーンとキャノピー、つのを思わせる先尾翼カナード。そして……しんの、内側から発光するようなカラーリング。


 あいつだ。


 心臓がねた。


 赤いつばさ


 正体不明のデルタよく機。


 再びモーター音がひびく。機首右下、メンテ中なのか?き出しの機関砲が振動していた。その銃口が肥満の男に向けられている。冷たくすごみのある殺気が銃の先端から放たれていた。


 男は肩をすくめた。


「分かった分かった。悪ふざけはこの程度にしておく。おい、とっとと片づけるぞ。姫がお怒りだ」


 はい、あーい、と返事が響いてくる。


 電気がついた。広い……格納庫だ。こうじようの骨組みが頭上をおおっている。かべぎわに整備車両や資材が並べられていた。


 作業着姿の男女が荷物をオフロード車に載せていく。何人かは赤い飛行機に取りつきチェックを始めていた。銃のたぐいだれも持っていない。きつねにつままれた思いで振り返るとながのマグライトが床に置かれていた。


(マジか)


 これだけ大騒ぎしてただのおしばだった、悪ふざけだった、と?


 だとして一体なんのために、何を目的として行ったのか、意図が分からない。あの赤い戦闘機が普通に存在している状況も混乱をぞうふくした。


「おい」


 呼びかけられて振り向く。照明の下、肥満体の中年男性がこちらを見下ろしていた。目が細く鼻の低い、醜男だ。白衣のポケットに手を入れごうぜんと立っている。


 男は小さくあごをしゃくってみせた。


「君、少し時間あるか。付き合え、色々話したいことがある」

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