*Ⅰ* 4/5


 午後九時、夕食の片づけを終えて家を抜け出した。


 物音を立てないよう後ろ手に扉を閉める。ジャージの前を閉め慎重に自転車を出した。


 昼間とは打ってかわり空気はひんやりとしていた。人通りは少ない。遠くから車の走行音がまばらに聞こえてくる。


 携帯端末のマップで小松基地に目的地をセットする。ルートは国道360号を西に、まえがわを渡り基地北東からアプローチする形だ。


 もちろん中に入れるとは思っていない。だが外から滑走路の様子くらい確認できるだろう。昼間の機体が本当に例の戦闘機ならもう一度その姿を見ておきたかった。


 見てどうするかって?


 別に、何ができようはずもない。子供のように胸をときめかせフェンスにしがみつくくらいだ。だがとにかくあの時の光景が夢でないと確認したかった。自分の中にともった炎がげんえいによるものでないと確かめたかった。


 本当なら昼に目撃した際トレーラーを追いかけていきたかった。だがあの時は買い物中だったし、何より帰りが遅くなると明華ミンホアがうるさい。痛くもない腹を探られ、くどくど説教されるのはごめんだった。


 とりあえず今回は「体調が悪いので早めに寝る。起こさないで」と告げてきている。念のためベッドに詰め物もしてきた。よほどのことがない限りバレる心配はないはずだった。


 はっ、はっ、はっ。


 ギアをトップに、立ちこぎでスピードを上げていく。


 じようなんまち西にしの交差点で左折、アーチ形の橋を抜けると彼方かなたに光の群れが見えてきた。やみの中鮮やかに輝く灯火は間違いない、小松飛行場のものだ。


 このあたりまで来ると周囲にほとんど建物はない。目に入る明かりは道路の照明と飛行場のものだけだ。あたかもゆうとうに群がる虫のようにけいは空港を目指し続けた。


 だが。


(うわっ)


 予想外の光景に立ち止まる。


 背の高いコンクリートが基地外周をおおっていた。左右切れ目なく視界の届く範囲までかべが続いている。手前には幅広のそつこう、あからさまに部外者の接近を拒絶していた。


 中、見れないのかよ。


 考えてみれば当然だった。ここは軍事基地だ。民間人がほいほい内部をのぞきこめるはずもない。とはいえせつかく何キロも走ってきたのだ。ああそうですかとあきらめたくなかった。


(どこかに境目とかないのかな)


 見ればかべの状態も一様ではなく、あるものは新品同様、あるものは黒々と風化していた。工事中などで欠けている部分があればと気持ちを立て直す。どっちに回りこんでみよう。右か、左か。


 迷った末、右手に進む。無人の道路は灯火もなく真っ暗だった。ぞうばやしが黒々としたシルエットをわだかまらせている。吹き抜ける風が枝葉をざわめかせた。


 走り続けること十数分。前方、サイクルライトの生み出す光にゆるいカーブが浮かび上がった。携帯端末の地図をのぞきこみ舌打ちする。どうやら基地の東端にたどりついてしまったらしい。ちくしよう、やはりだめなのかと毒づきかけたしゆんかん


 コンクリート壁が途切れ白いフェンスに変わった。


(!)


 つんのめるように動きを止める。スタンドを立てるのももどかしくフェンスに駆け寄った。中は……見える。といっても一面の野原だ。目立った建築物や飛行機はない。滑走路の端だからか、ひどく殺風景なながめだった。


 いや。


 左手奥に倉庫めいた施設が確認できる。黒一色の……格納庫だろうか。同じような建物が四つ並んでいる。入り口部分のシャッター? がやたらと分厚いシェルターのような造りだった。


 かくへきの一つが開放され中に機影が見える。こうよくの翼配置にるいてき型のキャノピー……戦闘機か? 人影が動いているから整備中なのかもしれない。畜生、双眼鏡でも持ってくるんだったな。興奮もあらわに背伸びしていると不意に背後の空気が動いた。


けい!」


 全身が凍りついた。


 張りのある声音、刺すようなふん。恐る恐る振り向くと案の定明華ミンホアが立っていた。道路わきに自転車をめ、きつい表情でにらんできている。


 ハーフパンツにパーカー、スニーカーという動きやすい格好。恐らく全速力で走ってきたのだろう。荒い息づかいで肩を揺らしていた。


「何してるの」


「何って」


「こんな時間に飛び出して、調子悪いんじゃなかったの?」


 きつもんめいた口調にかちんとなる。思わずけんごしで返していた。


「明華こそ何してるんだよ。おれのあとつけてきたのか」


「そうだよ」


 悪びれることなく胸を張られた。


「昼間から様子が変だったし心配してついてきたの。そうしたらうそまでついて自衛隊の基地に向かうとか、わけ分かんない。何考えてるの?」


明華ミンホアには関係ないだろ」


「あるよ」


「なんで」


けいは危なっかしいもん。あたしが見てないとすぐやつかいごとに巻きこまれるし、無茶ばかりするし」


 相変わらずのおせっかい。じようなまでのかんしようはおそらくまったき善意から出たものだ。だが今はその好意が息苦しい。航空学生の一件もある。いつきよしゆいつとうそくを監視され口出しされている思いだった。


 たんそく


「……もうさ、そういうのやめてくれないかな」


「そういうのって?」


「保護者みたいな顔するの」


 明華は突きとばされたような表情をした。だがこのくらいはっきり言わなければ伝わらないだろう。胸にたまっていたもやもやを吐き出していく。


「ここは日本だ。中国じゃない。言葉は通じるしかんだってある。おれだっていつまでも昔の小便くさいガキじゃないんだ。放っておいてくれ」


 明華の助けは必要ない。


 強い口調で告げると彼女は息をんだ。だがまたすぐ顔をこわばらせる。


「無理」


「無理!?」


「慧の意志とか関係ない。あたしはあたしが必要だと思うから心配してるの。ここが日本でも中国でも北極でも、たとえ月面だって話は同じ」


 無茶苦茶だった。ほとんどストーカーの理屈だ。


「おまえ、ちょっと変だぞ」


「変なのは慧、あたしは普通」


「自分で普通と言うやつほど──」


 お決まりの突っこみを入れる間もなく詰め寄られた。二の腕を強い力で引っ張られる。

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