*Ⅰ* 3/5


「自衛隊の……航空学生?」


 明華ミンホアがぽかんと口をあける。


 午後一時、昼食を終え片づけも一段落ついたころだ。祖父母が自室に引きげるのを待って話を切り出してみた。


 本屋の紙袋からテキストを取り出す。ガサガサと乾いた音が茶の間にひびき渡った。


「ああ、すごいんだぜ。やまぐち県のしものせきってところに学校があって、そこでパイロットになる訓練を受けられるんだ。学費も寮費もいらなくって給料まで出るんだってさ。びっくりだろ」


「えー、あー、ストップけい、ちょっと待った」


 ちやわんを食器棚に戻し両手をぬぐう。明華は硬い表情で歩み寄ってくるとしゃがみこんだ。


「何? 学費がタダだからなんだっていうの。日本の軍隊は気前がいいねって相づち打てばいいわけ?」


「違うだろう」


 分かってるくせに、と口元をゆがめる。


「この制度を使えばおれみたいなガキでもパイロットになれるんだ。もちろん乗る機体も学校が準備してくれる。飛行クラブに入る必要もない。夢のような話だろ」


鹿


 言下に切り捨てられた。かぶりを振り腰を浮かせる。


「馬鹿ってなんだよ」


「馬鹿は馬鹿」


 冷えた視線で見下ろされた。


「自衛隊の学校? それって兵隊になるってことでしょ。戦闘機に乗ってザイと戦うの? 死ぬ気?」


「死なねーよ」


 くちびるとがらせはんばく


「明華もあの赤い飛行機見たろ。圧倒的だったじゃないか、ばったばったと連中を倒して。多分自衛隊の秘密兵器だぜ。あんな機体が百機もあればすぐに戦争は終わるさ。俺達も大手を振って中国に戻れる」


ちちゃったじゃん、あんたの言う秘密兵器も」


 痛いところを突いてくる。沈黙する慧に明華は鼻を鳴らしてみせた。


「まったく、馬鹿なことばかり考えて。慧に戦闘機のパイロットなんか務まるわけないでしょ。うで相撲ずもうだってあたしに勝てたことないのに」


「腕の力は関係ないだろ……」


「かけっこも幅びも視力検査もあたしの勝ちだった」


「……」


 九年分の劣勢はなまなかなことでくつがえせそうにない。歯ぎしりして会話の方向性を切り替える。


明華ミンホアは分かってくれると思ったんだけどな」


 低いつぶやき声。


「この二年間、おれがどんな気持ちでいたか」


「それは」


 明華は胸を打たれたような表情になった。けいの母親のことを思い出したのだろう、やや気まずげに視線をらす。


「分かってるけど、だからって兵隊とかありえない」


「一番近道なんだよ。それにソンおじさんやおばさんも助けに行ける」


 逃亡中にはぐれた彼女の両親、自分にとってもしんせきのような人々。


 だが明華の心はわずかな間にへいこうを取り戻したようだった。鉄のように硬い面持ちで首を振る。


「とにかくだめなものはだめ。おさんおさんにも言っておくから。慧が鹿なこと考え始めたんで止めてくださいって」


「お、おい明華」


「あたしまだ家事残ってるから」


 断ち切るように言い歩み去っていく。取りつく島もなかった。ややあって低い掃除機の音がひびいてくる。細い背中がそれ以上の対話を拒否していた。


 くしゃりと手の中の紙袋がゆがんだ。




          *




 またたく間に日々は過ぎた。


 まつの空気はかんしている。終わりなき日常のていたいが町を包みこんでいた。ともすれば海の向こうで戦争が続いていることなど忘れそうになる。実際ここしばらくは中国がらみのニュースもなかった。


 ドラッグストアに続く交差点で自転車をめる。歩行者信号が青表示までのカウントダウンを始めていた。日差しが強い。汗ばむ陽気とアスファルトの熱がいらちをぞうふくする。


「明華のやつ


 低い声で毒づく。


 一昨日おとといの祖父母との会話を思い出す。案の定というべきか航空学生の話は即座に却下された。事前に明華ミンホアが言い含めてあったのだろう、けんもほろろな対応だった。


 未成年者が航空学生を受験する場合、保護者の同意が必要となる。父親不在の今、祖父母の協力を得られなければスタートラインに立つこともままならなかった。


 あとのせんたくは防衛大学校に入るか一般大学卒業後、幹部候補生採用試験を受けるか。どちらもかなり気の長い話だ。しかも純粋なパイロット養成課程でないため、戦闘機搭乗員への道はかなりせばまるらしい。


 夢の実現に至るハードルは予想以上に高かった。新たな可能性を探ってはくじけ、くじけては探っていくうち気づけば時間を空費している。上海シヤンハイ脱出の記憶は確実に薄らぎつつあった。


 あの飛行機、本当にいたんだよな。


 ふっと不安がよぎる。まつに来て以来、何度となくくだんの戦闘機の素性を調べてみた。本、ネット、地元の航空博物館。だがどこに行っても目当ての機体は見つからなかった。そもそも自衛隊にデルタよくの戦闘機など存在しない。いずれもこう退たいよくのスタンダードな機影ばかりだった。


 先尾翼カナードにデルタ翼、たんぱつのエンジン。


 ひょっとして海外の飛行機だったのか。ふと思いついて携帯端末で検索してみる。わずかなラグをはさみ結果が表示された。


 イスラエルのクフィル。


 フランスのダッソー・ラファール。


 中国の殲撃ジヤンジ十型。


 どれも似ているようで微妙に異なる。クフィルはややきやしやすぎるしラファールほどのっぺりとしていない。殲撃十型はエアインテークの場所などディテールが違うように思えた。


(アメリカやロシアの試験機とか)


 条件を変え検索し直そうとした時、視線が一枚の画像をとらえた。


 うん?


 指でスクロールする。海外の軍事情報サイトか、編隊飛行中の戦闘機写真がアップされている。細身の胴体、長く突き出したエンジンノズル、カナードとデルタ翼を組み合わせたやじりのごときシルエット。


 !


 見つけた。


 かぶりつくようにして説明文を読みこむ。Saab JAS39 Gripen……グリペン? サーブってスウェーデン、ヨーロッパの会社か。一体なぜそんなところの戦闘機が。


 一九九六年運用開始。分類的にはマルチロール機。生産国のスウェーデンを始め南アフリカやハンガリー、チェコなどで使用されているらしい。当然ながら自衛隊への供給実績はなし。一度かんこくにも提案したようだが不採用に終わっている。いずれにしろ東シナ海で見かける可能性は限りなく低かった。


(やっぱり違うか)


 探せば探すほど答えから遠ざかっていく感じだ。いっそ自分のかんちがいと割り切った方が楽かもしれない。戦場のショックや混乱で普通の中国軍機を見間違えただけだと。


 不意に信号の誘導音が途絶えた。あっ、と思った時にはもう遅い。歩行者信号が点滅している。いつの間にか青になっていたらしい。ペダルに足を載せる間もなく赤に変わる。


(マジか)


 がっくりと肩を落とした。


 ここの信号、結構待たされるんだよな。矢印の時間も長いし。


 いまさらながら日差しの強さが意識される。しやへいぶつ一つない交差点がうらめしかった。暑い。せめて電柱の影に隠れようとサドルから降りた時だった。


 ごうっ。


 時ならぬ震動が地面を揺らした。


 真っ黒なかべが視界をおおう。大型のトレーラーが交差点を左折していた。車輪が大量に連なったムカデのようなシルエット。深緑色のほろが荷台を覆っている。かなりの重量物を載せているのか、幌は何重ものワイヤで固定されていた。


 何を運んでいるのだろう、ひどく厳重なこんぽうだ。


 首をかしげつつ、だがあまり身を乗り出していると巻きこまれかねない。トレーラーの圧迫を避けるように一歩下がった、しゆんかん


 幌の一部が風にはためいた。


 暗がりの奥に赤い光がきらめく。内側から発光するような鈍い輝き。


 !


(あの色合いは)


 忘れるはずもない。そうくうつらぬしんの軌跡、燃えるような純色の赤。


 あいつだ。


 あの戦闘機だ。


 とっさに追いかけようとするもトレーラーはもう左折を終えていた。うなりを上げて車体が加速する。へんぺいなシルエットが見る間に遠ざかっていった。


 どうが高鳴る。


 白昼夢? 見間違い?


 いや、あんなカラーリングの機体、ほかにあるものか。何を忘れたって忘れようもない。記憶の底でたぎるれんの炎。


 一体どこに向かっているのか。携帯端末のマップをスクロールする。確かあっちは空港のはずだが、まさか一般の旅客機と混ぜて駐機させることもあるまい。であれば空港以外のどこかが目的地なのか。


 しばらく地図をぎようして息をむ。


 まつ空港の南側には航空自衛隊小松基地の表記があった。

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