二年後 二〇一七年六月 上海沖百五十キロ 2/2


 ──一瞬、死を覚悟した。破壊とそれに伴う苦痛を予測した。だが最期の時はいつまでたっても訪れない。船は揺れ窓の外に火の雨が降っている。しかし船室にはわずかなきずも見当たらなかった。


(何が)


 ぼうぜんとして空を見上げる。煙と炎におおわれ視界は悪い。だがかろうじて落ちていく光は確認できた。ガラス細工のようなつばさがバラバラに砕け海に落下していく。


 ザイが……ちた?


 ありえない光景だった。かいそうが始まって二年、彼らがついらくするところなど見たこともない。一体何が起きたのか。必死で視線を走らせると天頂にしんの光がよぎった。


(飛行機?)


 やじりのようなシルエットだった。細身の胴体、長く突き出したエンジンノズル、りようわきに広がる巨大なデルタよく。ザイのものとは明らかに違う、だが人民解放軍のそれとも異なる形状だった。


 赤い。いつしゆん機体が燃えているのかとさえ思う。が違う。そういろどられているのだ。どういう仕組みか分からないがフレーム全体がに発光していた。


 所属不明機は急角度でバンクすると旋回、降下中のザイに追いすがった。翼端のミサイルが切り離される。数秒慣性でへいそうした後、ロケットモーター点火。ザイ機は速度を上げ逃れようとした。ジグザグに方向転換し急降下、海面すれすれまで高度を落とす。だがミサイルの追撃はむことがない。ほとんど直角と見まがう機動で変針すると、そのまま半透明の尾翼に突き刺さった。


 れつおん。と同時に火球が生じる。黒煙が四方に広がり海面へ落ちていった。


 今度は疑うべくもなかった。ザイが撃墜されている。事故でも同士討ちでもなく人類の武器によって打ち倒されていた。


(は……ぁ)


 熱い吐息がれた。しようげきが過ぎ去ると忘れていた感情がよみがえってきた。押し殺していた思い、意識して持たないようにしていた希望が。


 ……いいぞ、いいぞやっちまえ。連中に好き勝手させるな。一機残らずたたき落としておれ達のくつじよくを晴らしてくれ!


 赤い戦闘機は軽やかに身をひるがえすともう一機のザイと格闘戦に入った。複雑な航跡雲をえがきながら機関砲弾を叩きこむ。


 圧倒的だった。たった一機で所属不明機は制空権を取り戻しつつある。夢でも見ているのか。だが現実に空からガラス細工の機影は失われつつあった。


「すごい」


 口に出した言葉はふるえていた。窓枠をつかみ視線をらし赤い救世主の姿を少しでも目に焼きつけようとする。が。


「隈,这有点不对劲吧。(おい、なんかおかしくないか)」


 りんせきの男性が声を上げる。戦闘機の機動がよれていた。排気炎が不規則に明滅し機体が傾く。あっと思う間もなくバランスが崩れた。ひだりしゆよくを下げかんこうに入る。その軌道がゆるくカーブをえがき船の進路と重なった。


「飞下来了!(ちてくるぞ!)」


 きようこうが船内を満たした。後部頭上の操縦席で「左满舵,左满舵!(取りかじ! 取り舵!)」と怒声が上がる。よこなぐりのGに備える間もなくすさまじい水しぶきが窓の外を満たした。天地がひっくり返ったような光景。視界が真っ白になり大量の海水でガラスが洗われる。


 すうしゆんの沈黙。


 気づけばげん前方にしんの機体が見えた。機体の底を波間に沈めただよっている。一応無事着水したのか。だが主翼の付け根部分から幾筋もの煙がたなびいている。キャノピーは……開いていない。操縦者がまだ中にいるのか。


(助けなきゃ)


 しようそうに駆られるも船は徐々に遠ざかりつつあった。船員が「要爆炸了(爆発するぞ)」「快逃啊(早く離れろ)」と叫び合っている。いや待て、見捨てるのか。自分達を救ってくれた相手を。単機で敵集団に突っこんだ英雄を。


けい?」


 げんそうな明華ミンホア身体からだを押し戻す。安全ベルトを外し船尾に向かった。タラップに片足を預け操縦席に呼びかける。


「不去救他们吗?(助けにいかないんですか)」


 面食らった表情で見下ろされる。こわばった顔に「何言ってるんだこいつは」という感情が透けて見えた。


「多亏那架飞机,我们才得以平安呢。(あの飛行機が来たおかげでおれ達無事だったんですよ)」


 いらち混じりに続けるも相手は肩をすくめただけだった。


 だめだ、らちがあかない。


 こうしている間にも戦闘機との距離は開いていく。今以上離れれば近づくことも難しくなるだろう。


 どうする。


 迷いは瞬時に断ち切られた。タラップから離れ後部ハッチに向き直る。上下の開閉レバーを操作し力任せに押し開けた。


「隈! 你干什么啊!(おい! おい何してるんだ!)」


 きようれつな海風が顔に吹きつけてくる。船内とは比較にならない爆音、波の音がこんぜんいつたいとなり押し寄せてきた。熱い、炎とガソリン、煙のにおいを感じる。改めて自分が戦場にいることに気づかされた。飛行機は……どこだ。進行方向右手の……いた。


 一瞬、明華の制止が聞こえたように思えた。だが立ち止まらない。深呼吸を一回、海に飛びこむ。波をき分けるようにして懸命に両手足を動かした。どのくらい泳いだだろう。ようやく赤いつばさにたどりつく。機体の揺れが激しい。波に突き上げられたはずみで身体からだをぶつけそうになる。流水ですべり落ちそうになりながらなんとかして翼の上に身を引き上げた。筋肉がなまりになったような感覚、だが休んではいられない。もしこの飛行機がダメージを受けているならいつ爆発してもおかしくなかった。


(一体何をやってるんだ、おれは)


 せつかく助かった命をして見ず知らずの戦闘機パイロットを救おうとしている。戦闘の恐怖で頭が変になっているのか? あるいは博愛主義にでも目覚めたか。


 違う。


 自分はこの戦闘機に希望を見たのだ。ザイにじゆうりんされてきた人間が、また立ち上がり巻き返していく未来を。中国の空を取り戻し、死んでいった人々の無念を晴らす光景ビジヨンを。そのこうみようをこんな形で失いたくなかった。


(せめてパイロットだけでも助けられたら)


 機体の背に上り中腰で進んでいく。しゆんかん、翼のこくせき記号が見えた。白い縁取りに赤の円。日の丸、ライジングサン。


 自衛隊機なのか?


 日本の飛行機がたった一機で中国近海に飛んできた。いまいち理解しがたい状況だ。しかも全体が赤に発光する奇妙な機体、救援にしては不可解すぎる。


 そしてまたキャノピーもおかしな形状だった。ガラスではなくしんの装甲板でおおわれている。数しよにスリットや開口部が設けられそこからカメラのレンズがのぞいていた。


 本当に人が乗っているのか、ひょっとして無人機ではないのか、不安になりしゃがみこむ。非常用の開閉コックを探すもそれらしきものは見当たらなかった。


「おい!」


 たまりかねてこぶしでキャノピーをたたく。


「救命ていが来てるぞ! 脱出しろ!」


 返事はない。歯ぎしりしてもう一度、装甲板をなぐりつけようとする。


 瞬間、あしもとから蒸気が噴き出した。


 爆発かと思い後じさる。だが続いてひびいたのは重々しい金属音だった。モーターがうなりキャノピーが開き始める。継ぎ目から白い蒸気がれ出してきた。陽光が機内のやみちくしていく。完全に開放されたコクピットの中にいたのは。


(え?)


 一瞬自分の見ているものが信じられなかった。


 人形のような少女が横たわっている。ミルク色のはだあめ細工めいたくちびるきやしやほおからあごのカーブはわずかなゆがみもなく陶器のような質感を放っていた。服装はパイロットスーツとほどとおい両腕のしゆつした簡素なものだ。およそ戦闘機の操縦士とはかけ離れた外見。だが何より特徴的なのは髪だ。まとめもせずぞうに流れ落ちた髪は薄い桃色ペールピンクだった。機体と同様、内側から発光しているようにも見える。果たして人間なのか、ひょっとして本当に人形でも置かれているのか。だが彼女は小さく胸を上下させていた。生きている。小柄な少女はそうぼうを閉じたまま浅い呼吸を繰り返していた。


「おい……」


 息をみ呼びかける。触れていいのか、おっかなびっくり手を伸ばすと少女のまつふるえた。


 灰色のひとみが現れる。しんえんたたえたまなしがこちらをとらえた。まばたきを一回、徐々に焦点が合っていく。小ぶりなくちびるが震えるように開いた。


「あ、おれは」


 怪しいものじゃないと告げかけた時だった。


 ──!?


 気づけば少女の顔がすぐ前にあった。柔らかな感触が口元に押し当てられている。キス……されたのか? 胸元にしがみつかれ唇を重ねられている。事態を認識できたしゆんかん、激しい混乱がき起こった。なぜ、なんで、どうして。


 ややあって細い身体からだから力が抜けた。少女の背中がずるずると崩れ落ちていく。あわててわきに手を入れき起こした。せつ、低いささやきが耳元でひびく。熱い吐息混じりの言葉。




 ……時代をエラ




 え?


 き返す間もなく彼女は完全に気を失っていた。


 遠くからヘリのローター音が聞こえてくる。熱気をはらんだ風がペールピンクの髪を軽やかに巻き上げた。

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