指先にチェリー

指先にチェリー

都合の悪いことは全部忘れてしまうとしよう。

 俺も例外じゃない。例えば、誰かが取っといたプリンを食べてしまったとか、ふっかけた喧嘩の理由とか、最近言われた悪口の理由とか、部活の人たちに嫌われた理由とか、そのほか諸々。

でも、大体何かをしていれば忘れる。そう、俺の元気の源は、おいしいお菓子。あと綺麗なもの。あ! 俺の彼女とか。つまり、彼女に会えばすべて解決。平和的解決。能天気ともいう。

俺の元気の源、彼女である夏希はそこら辺がうまくできない。何というか、いつまでも細かいことを引きずってしまっている。先輩に嫌われた理由、部活の同期が仕事をしないこと、仲良しのあの子が言っていたらしい悪口エトセトラ。俺からしたら、そんなもん杞憂だぜと言いたいが、本人はいたって真剣だし、今日も真面目な顔でおいしいと噂のチェリーパイを突いているので茶化さないでおく。お口チャック。

「さては、話を聞いていませんね」

 同じように運ばれてきたブラックチェリーパイ。包まれたパイ生地をフォークで二つに割るとドロドロした砂糖漬けのサクランボがあふれ出てきた。甘くてうまい。コーヒーによく合う。

「いや、聞いてるよ。聞いてるって」

 夏希は神経質だ。何というか、本当に細かい。細かいうえに、手抜きもできないからこんな苦労ばっかりしてんだろうな。女の人間関係とか、夏希の交友関係なんか俺の知ったことはないけど。ほら、そこまで首を突っ込むのは野暮ってことでさ。彼氏とは言えども、あんまり人間関係に首突っ込んじゃいけないと思うんだよね。ポリシーポリシー。よく意味わかってないけど。

「ああ……。私、どうしてあなたと付き合ったのでしょう」

 これは口癖。どうしようもない、神経質な彼女の口癖だった。俺に言われてもなあ~。どうにもならない気持ちを、コーヒーで紛らわす。砂糖も何も入れていないコーヒーは苦い。

「なんでだろうな」

 これもお決まり。いつも通りに返すと、少し不満そうに悲しそうに、彼女は頼んでいたクリームソーダの溶けたアイスを沈めた。グッバイ、クリームソーダのクリームの部分よ。

「ま、いいんじゃね?」

 クリームソーダはドロドロに溶けたまま、ついに飲まれることはなかった。



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