89.曰く、期待膨らむ夕暮れ。


 お互いの無事を確認し合い、オークの死体処理を終わらせた後。白銀の糸アルゲントゥム一行は、助け出した──襲われていた幌馬車ほろばしゃのもとへと向かった。


「丁度、アプロトリに向かうところだったみたいよ。ほら、古代王の霊廟れいびょうよりも下の方の、港町」

「感謝もしてたが、お前らの無事を気にしてた。終わったら、一言声かけてやったほうが良いだろうと思ってな。向こうで待たせてるよ」

「そうでしたか。それなら、一言ご挨拶しておいたほうがいいかもしれませんね。もう一匹もいませんとお伝えしたほうが、道中不安になることもないでしょうし」


 向かった先は、一本の大きな木の陰。

 街道からは見えにくいそこに、一台の馬車がぽつんと停まっていた。


 魔物避けの魔法がかけられた幌馬車の中で、壮年の男性が、やや緊張した面持ちで馬の手綱を握っている。

 握る手は、余程力が篭っているのだろう。真っ白になっていていて、彼の緊張と心労具合が窺えるようだ。


「──解除リベロ


 エレノアが手を振り払えば、幌馬車ほろばしゃを包んでいた威圧を含んだ魔力が霧散する。

 悠々と戻ってきた一行を見て、男は心底安心したと言わんばかりに顔をほころばせた。


「良かった……! 無事でしたか……! えぇ! 助かりました!」

「出てきていたオークは全て討伐しました。お一人ですか?」

「えぇ……二人護衛がいたのですが……」

「そうでしたか」

「オークが突然現れたときに私を逃がして……あの数では……えぇ……おそらく、もう」


 仕入れた荷を運ぶ道中。突然現れたオークを倒したところ、次から次へと湧き出した……というのだから、群れに当たってしまったのだろう。時折、そういうことがあるらしい。


 護衛にと雇った冒険者二人を犠牲にしながら、とにかく道の整備された街道をひた走っている所だったのだという彼は、アプロトリで迷宮品を扱う店を構えているのだという。


 どうやら、冒険者界隈ではそれなりに名の通った店らしく、テオドールが「おっちゃんダラムさんか!」と嬉しそうな声を上げていた。


「空から人が降ってきたときは、トワ様のお迎えが来たのかと思いましたよ。えぇ。お陰様で、こうして助かっているわけですがね」

「突然シキミを連れてダイブするんだもの。心臓が飛び出すかと思ったわ!」

「リーダーの行動一生読める気しねぇ」


 きゃらきゃらと笑い合う彼らの間に、戦いの名残は微塵みじんも無い。やがて夜闇が忍び寄る街道に、シキミ達の長い影が並んで揺れた。



「助けてもらった身でお願いというのも厚かましいのですがね……えぇ。野営できるような場所まで、連れて行ってもらえないでしょうか?」

「良いですよ。俺達も野営はするつもりでしたから」

「おっちゃんアプロトリまでだろ? 俺達が行くのは古代王の霊廟れいびょうだし、入り口まで送ってやろうか?」


 そう言われて、男──ダラムは、しばし考え込んで首を振る。


「申し出は、えぇ、ありがたいのですが。グリフォン持ちを、荷の積んだ馬車に付き合わせるというのはなかなかに心苦しい。……それに、遠回りになるでしょう?」

「あら、私達冒険者は貴方のお店に散々お世話になってるから、別にいいのよ? でもまぁ、無理して付き纏う必要ないわね」

「商人たるもの、貸しを作っているばかりではならない!……と申しますから。えぇ」


 ダラムという商人は、どうやら冒険者達の間では有名らしい。申し訳なさそうに微笑む男は、人の良い近所のおじちゃんといったところなのだが、人は見かけによらないものだ。


 やがて、静かだった木々の向こうから、ちぃちぃと鳥の鳴き交わす声が聞こえるようになってきた。

 ようやく、この辺りも落ち着いてきたということだろう。


「せっかく御一緒するのです。心ばかりのお礼は、まず今晩のお食事で。えぇ。……商人なんてやってますがね、料理の腕には自信があるんですよ」


 ダラムは、作ってみせた力こぶを叩いて、豪気に笑う。

 今晩の夕食には、随分と期待できそうだ。



 街道から少し逸れ、木々の疎らな開けた場所に、幌馬車を停める。どうやら、ここを今夜の拠点にするらしい。


 再び魔物避けの魔法がかけられ、虫も鳴かぬ、静かな空間が作り上げられる。

 空間収納から取り出された、真っ白な布といくつかの機材で、円錐形のテントが、あっという間に組み立てられた。


 ジーク達の手際の良さに、新参のシキミが入り込む隙間は無く。ほんの少し布の端を抑えた程度で、シキミの仕事は終わってしまった。


「……これ、ちっちゃすぎませんか」


 完成したそれは、どう見積もっても一人分。──あるいは、それ以下。

 円形の底も相まって、外で寝たほうが幾分か気持ちが良さそうだ。


「お嬢さん、コレを見るのは初めてですか? 良い品ですよ。えぇ。迷宮品だ」

「あー……中に入ったら、広い。……とかですか?」

「大当たり! 寝るだけだから、ベットが占拠しちまってるけどな。寝心地はいいぞ」


 入り口をめくったテオドールが、「どうぞ、お嬢様」と、執事のようにうやうやしく腰を折る。

 誘われるまま中に入れば、思っていたよりも広々とした空間が広がっていた。

 そこそこ大きなベットが三つ、人が通り抜けできる程度の間隔を開け、横にズラリと並んでいて。なんだかホテルの一室のようだ。


「う、わぁ……!」

「どぉ〜? 広いでしょ。テオが迷宮の宝箱から出したのよ! ちょっと面白くなあい?」


 エレノアの言葉に、テオドールが宝箱の中から、謎の布を引っ張りだす光景を脳裏に描き出して、シキミは思わず吹き出した。


 宝箱から! 布! 「は??」と言ったっきり固まるテオドールさんなど想像するに容易く。かつ、めちゃくちゃオモシロイ。


 中のベットも、迷宮でテオドールが発見したというのだからもう訳がわからない。迷宮。恐るべしである。


「あ……、ベットが三つならもう一人はどこで寝るんですか……?」

「私達いつも時間交代で不寝番ねずのばんをするから。終わったら、交代の人が寝ていたところに入る方式で行きましょう! 解決ね!」

「ねずのばん……!」

「まぁ、薪番たきぎばんみたいなものだからそう難しく考えなくても大丈夫だ……というより、それは楽しみにしている声だな」

「初めてなので……!」


 静かな異世界の夜と、薪の爆ぜる音。

 そういうものが、実は少し楽しみだったりする。


 シキミはニコリと微笑むと、ひとつ大きく頷いた。

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