90.曰く、あなたのちから。


 炎が揺れ、暗闇の中でシキミの影が浮かび上がる。

 上を見上げれば、今にもこぼれ落ちそうな星空が世界を覆っていた。


 不寝番ねずのばん。……誰かが起きて、拠点付近を見張っておくのは、冒険者の旅の常識で必須事項だ。


 下手を打てば、いつだって死ぬ。

 シキミたちが悠々と空を飛んでいる間、命を散らした冒険者。──立場が違えば、その冒険者ぎせいしゃになっていたのはシキミの方かもしれなかった。


 冒険者の生き方は、賭け事に似ている。

 命を掛け金ベットに、運と頭脳、あるいは力。持てる全てを使って、よりスリルと報酬の高い方を目指してゆく。

 今回はシキミが、死神との勝負に勝った。──それだけだ。


 思わずほう、と息を吐く。

 静かな森の向こうから、夜鳥の鳴く声がした。



 ダラムの自己申告通り、彼の料理の腕は大層なものだった。

 焚き火にかけられた鍋の中で、夜食にと用意されたスープが、空きかけの腹に効く良い香りを漂わせている。


 用意されていた椀にすくって、一口すすれば、野菜のうまみが口いっぱいに広がる。

 生姜しょうがに似た香りがして、腹の底から温まるものだから、思わず眠ってしまいそうだ。



 そんな風に気が緩んでいたから、魔力の栓を締めるのが遅れた。……というのは、言い訳になってしまうだろうか。


「この馬鹿ッ!!! つくづく馬鹿だとは思っていましたが! 本当に! 救いようのない馬鹿ですね!!!」

「ッわぁ!? っご、ごめんなさ──」

「ごめんで済んだら神様なんていらないんです!!!」


 あなたに何かあったら、私は──!! と、悲痛な叫びが木霊する。

 今が好機とばかりに現れたのは、神器──断罪の大鋏ウィスタリア

 押し倒すように、シキミを地面に押し付けた手が、小さく震えている。酷薄な笑みを浮かべることの多い彼の、その口の端は大いに歪んでいた。


「どうして魔力止めあんなことをしたんです!?」

「そ……れは……」


 ──それは、自分で戦えるようになりたかったからだ。

 神器だれかの力を使ってではなくて。自分で、自分の力を使って立ってみたかったからだ。


 彼の背後に浮かぶ、大鋏。指穴リングまとわりつく炎が、彼の心を映すように、激しく揺らめき立つ。


「私たちを使えば良いと、あれだけ言ったではありませんか……! 私達は、!」

「で……でも、ずっと頼りっぱなしは無理だよ。……今は良くても、この先ずっと、それができるとは限らない」


 だって、魔力は有限だ。

 いくら高いステータスだからといって、無制限に神器を喚べつかえるほどの魔力があるわけではない。性能が良いということは、それ相応の代償もあるということ。


 加えて、彼らが使う技は、基本的に大魔法ばかり。

 消費する魔力は尋常のものではない。精々二発撃ち込めればいい方で、それが限界だ。


 もちろん、ゲームの中でなら神器の大魔法なり、必殺技なりで、一撃必殺。手軽に仕留めて「はいおしまい」で良かった。

 だが、ここはゲームの中ではない。少なくとも、フィールド上のこの場所に魔物は出ません……などという設定や、保証はない。


 戦った後、新しい敵が現れたなら?──例えば、そう。死んだ冒険者達が、オークの群れに襲われたように。後から後から魔物が湧いてきたのなら? その時、もう戦えませんではお話にならないのだ。


 魔力回復の回復薬もないではない。だが、数に限りのあるものを毎回使っていては、そのうち手詰まりになるに決まっている。


 神器は決して万能ではない。在り方としては切り札に近い。


 最初は──この世界を認識した一番最初の時は、「今」を考えるだけで良かった。

 だが、もうそれでは駄目なのだ。

 「今」の「その先」──それを考えなければいけなくなってしまった。


 ただ、強い武器に任せっきりの戦い方は嫌だと、ふと思う。

 それは、私の我儘わがままなのだけれど。


「私は、これ以上ステータスを上げられない。レベルが上がれば別かもしれないけど、呪いを解く手立てもない現状じゃあ、いつか解けるかも……なんて悠長なことを言っているべきじゃない」

「はぁ…………。まぁ、マスターの言い分は理解しました。……百歩ほど譲ります」


 ですから、ルールを決めましょう──と、堕天使あくまは、私を引き起こすとそう言った。


「ルール」

「はい。要は勝手に出て、勝手に魔力を使うからいけないのでしょう? しかし、マスターを守るのが私達の存在意義。……であれば、折衷案せっちゅうあんとして ”ボーダーライン” を決めればいいだけの話なのです」

「いや、私だけの力で……ですね……」

「救いようのない馬鹿ですね! 私もマスターの力の一つなのだと、そう言ったはずですが?」

「あっ……す、みませ……」


 わかればいいんです。そう言って、腕を組み、睥睨へいげいする視線。護るだなんだと言っておきながらこの扱い。


「意思を持ち、個としての姿が在りますから、マスターが私達を ”他” としてみてしまうのは仕方のないことではあるのです。でも、どうか忘れないで──」


 闇夜に浮かぶ月の双眸が、酷く優しくシキミを見つめる。

 また、胸が締め付けられるような感覚がして、戸惑う。


「私は、貴方のために在るのです。居るのではなく、のです。そのことを、どうかその心に留めておいてください」


 頬に手が添えられ、シキミはウィスタリアを仰ぎ見る。

 漆黒の翼は、焚き火の炎と、満点の星空を消し去って。私達は、世界でたった二人になった。


「”いる” と ”ある” は違うの?」

「似ているようで違います。大違いなんですよ。お馬鹿さん」


 まるで内緒話をするように。囁く声は、翼の中に吸い込まれてゆく。


「本当は、一撃でも食らったら出ていきたいところなんですが……」

「うっ……」

「何を『一撃ぐらいは簡単に食らってしまう』みたいな顔をしてるんですか? 止めてください心臓に悪いんですから」

「図星すぎる……」


 大きなため息が落とされる。幸福をごっそり持ち出していきそうなそれは、彼の心の荒れ方を如実に表していた。一〇〇パーセントシキミのせいである。


「……幸いなことに、一つの指標としてHPゲージが存在します。半分を切ったら、問答無用で手を出します。気絶しようがはらわたが飛び出していようが、関係なしに出ますからね! あとは喚ばれるまで大人しくしていましょう。……いえ、こうやって危険のない夜に勝手に出てくるのは許していただけますね? 拗ねる連中が多いに決まっていますから」

「ウィスターも拗ねる……?」

「当たり前のことを聞かないでください」

「……はい」


 よろしい、とその口元に微笑みを取り戻したウィスタリアは、翼を畳むと背を向ける。


 うなじから伸びた、一房の長い髪が夜風に揺れた。

 青と藤の混じった色は、傾く月夜に良く溶ける。


「そろそろ交代の時間でしょう? あと少しで夜が明けます」

「あ……ジークさん起こさなきゃ……!」

「では、また、マスター。おやすみなさい」

「おやすみ、ウィスター!」


 後ろ手に振られた手と、消える背中に別れを告げて、シキミはテントの中へと戻っていった。



゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚゚*.。.*゚*.



 ベットは三つしか無いから、交代する人の所で寝る。

 そう言われ、そう決まって。シキミが向うのはジークの寝る場所だ。


 一番右端、少し盛り上がった掛け布団に近づけば、まるで絵画のような寝姿に息を呑む。

 少し乱れた黒髪は、眠り姫のように広がり。静かな横顔が、穏やかな眠りを表しているような──なんというか、気安く触れてはいいものではないような、そんな感じがする。


 深呼吸を一つ。

 ゆっくり手を伸ばして、暫し、どこに手を置いたものか迷う。

 フラフラした右手は、着地点を見失ったまま宙に浮いた。


 やがて心を決め。その手を、彼の肩へ置こうとした──その時。パチリと開いた瞳と、シキミはしっかりと目が合った。


「ふふ、何をするつもりだったんです……?」

「!? い、や……お、起こそうと思ったんですけど……!」

「交代の時間ですね。お疲れ様でした」


 ぎし、とスプリングを軋ませて身を起こし、少し乱れた髪を手ぐしで揃えた彼は、イタズラが成功した子供のような顔で笑う。


「そう見つめられると、照れてしまいますよ」

「ぅぇぁ!? すみません……!」


 朝までゆっくり休んでくださいね、と言い置いて、幕の外へと出ていったジークの背を追いかけるように、シキミの瞳は出入り口へと固定される。

 心臓に悪い。


 肌寒い冷気に、ブルリと体を震わせて、シキミはようやくベットの中へと潜り込む。


 一転して、温もりの残る掛け布団。その暖かさにうつらうつらとしながら、まるで抱き締められているようだ──とまで考えて、シキミは一気に覚醒した。


 ジークさんの温もり。あとなんか、めちゃくちゃいい匂いがする。

 森のような、清らかな水辺のような……形容し難いのだが、とりあえずメチャクチャに良い匂いがすることしかわからない。


「ね……寝られるかッ!!」


 暖かな布団の中で、謎の衝動に打ち震えながらシキミは泣いた。

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