87.曰く、窮鼠猫を噛む。


 暗くなる視界に、残った意識が爪を立てる。

 シキミの中のシキミが、巫山戯ふざけるなよと叫んでいた。


 無骨な鉄の塊が、命を奪うためだけのモノが、無慈悲に振り下ろされる。もう、この状態で喰らえば、無事では済まされないだろう。


 正直、ほんのちょっぴり諦めた。

 だって、私はレベル1なのだ。遅かれ早かれこうなっていたかもしれない。……というより、ジークさん達に拾われていなければ、もっと早くこうなっていたかもしれないのだ。


 だが、シキミの中のシキミは──小さな反骨心と、勇気を引っ掴んだ心の片隅は──必死に打開策を探して走り回っていた。


 神器が無いと私は無能か?

 神器だけが私のすべてか?

 今後、この先一生。私は神器と、ジークさん達に頼りきって、任せきって生きるのか?


 寄生虫のように。ただ庇護されるだけの、赤ん坊のように。


 ──いな、断じていなである。


 私は──私自身の力で立ち上がりたい。


 ぐ、と奥歯を噛みしめる。泡立つ血の味が、今はただ悔しい。

 何かないか。……いいや、私には何があるのか。ぐるぐると回る思考に、霞む意識が縋りつく。



 そんな時。

 ふと、まるで天啓のように、脳裏に浮かんだ白い画面──ステータス。

レベル1がいやらしく、燦然さんぜんと輝くステータスの、その下。


「──ス、キル……!」


 今までろくに使ってこなかった。神器に任せっぱなしで、使う機会すら無かった

 ゲームの中では使い慣れた、欠かせぬ要素。何を持っているかなんて、逐一ちくいち調べずとも覚えている。


 おぼろになっていた意識は、今や明瞭はっきりと覚醒していた。



 身体強化を1から5まで。持っている全てを使う。

 頭の中で唱えればいいだけだった。なぞるように『身体強化を1から5まで』。それから、ダメ押しとばかりに『武器強化を1から5まで』。

 それだけで、ステータスの中の黒文字は赤に変更される。

 それは、一定時間ターン過ぎるまでは、再度使用不可になった合図。──つまりは、成功の合図に他ならない。


 ゲームの中で重ねがけなんてできなかった。でも──ここは、ゲームのままの世界じゃない。


 随分と軽くなった腕を持ち上げる。

 別のナイフを新しく出す。さっきのは、刃が折れてしまったから。


 頭上に構えた次の瞬間、地面にめり込むような衝撃が全身を襲う。

 だが、今度は押し負けなかった。


 小さなナイフが二つ。バカみたいに大きな棍棒こんぼうを受け止めて、小さく震えている。

 ほんの数センチ、顔の目の前で鍔迫つばぜり合いの、鈍色にびいろと銀。小さな火花が散って、まるで線香花火のようだ。


 拮抗する力と力。だが、今回はシキミにがあった。


 顔を背け、口に溜まった血を吐き出す。

 たん混じりの赤黒い塊は、地面に当たって、びちゃっと厭な音をたてた。


「チョーシに乗るなよ豚ヤロウ」


 ……相手に向けて、自分に向けて。一つ、短い罵倒を送る。

 意味を理解したのか、していないのか。濁った赤い双眸そうぼうが怒りに燃える。


 ぐ、と一際強い力で押されるのを感じた直後、化け物オークの首に朱線が走り、たける瞳がウロになる。

 ゆっくりとズレ始めたくびは、そのままシキミの真上に落ちてきた。

 避けられず、体を失った首級みしるしと、シキミは盛大に頭突きする。結構な衝撃と共に、流れ星が幾つか散った。


「無事ですか」


 吹き出す血飛沫ちしぶき。どう、と横に倒れた、大きな骸の向こう側。少しホッとしたようなジークの手には、濡れたように黒々としたやいばの刀が握られていた。


「ッたあ……無事、です……。ごめんなさい、ビビりました」

「慣れていないのだから仕方ありません。連れてきたのは俺の判断です」


 そう言ったジークをめがけて、シキミは手にしたナイフを投げつける。

 避けもせず、微動だにもしない彼の背後で、両目を潰したオークが一匹。不細工な声を上げて倒れ伏した。


「……ふふ、大丈夫そうですね。今度こそ、本当に」

「ッ……はい!!」


 まだ少し、ちらつく視界を振り払って、シキミの両足は大地を踏み締めた。

 空間収納インベントリから、両手剣を一振り取り出し、構える。


 まだいる。まだ、沢山いる。

 獣の臭気、敵意。シキミ達を取り囲む、無数の気配は減っていない。


 大きく息を吸って、吐いて。

 未だ、この期に及んで二の足を踏もうとする弱いシキミじぶん叱咤しったする。

 

「ちくしょー!! 目にもの見せてやるからな!!」

「元気ですね」

「はい! まだ!」


 ああ、そうだ。戦意は折れてない。まだ。──体は痛いし情けなくて泣きそうだけど、これっぽっちも折れてはいない。


 だから戦える。私は、私自身で。


「……ちゃんと戦える……!!」


 自分は弱い。自分で思っている程、度胸もないし根性もない。だが、それでも。


 弱いから負けたなんて、そんな言い訳をするのはいやだった。

 自分が、守られているだけのお荷物になるのも、同じぐらいいやだった。


 剣の切っ先が、真っ直ぐに己の敵を指し示す。

 シキミは小さく、鼓舞するように呟いた。


 ──私よ、私。


「……反撃の狼煙のろしを上げろ」


 言葉は胸に、溶けるように吸い込まれてゆく。

 心の奥で、くすぶる炎の煙が昇る。


 ──これがの戦い方だ。見てろよ、バケモノ。

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