86.曰く、無様。


 太陽が東から昇り、西に沈むように。これは言うまでもなく当然のことなのだが、シキミ達はそれなりの質量と衝撃で以て地面へと降り立った。──わけで。


 二人を中心に広がる、若干の地面の凹みを目の当たりにして、シキミは言葉を失った。

 シキミを横抱きにしたまま、何事もなかったかのようにジークは立ち上がる。

 こんな衝撃を受けても足腰が砕け散っていないとは、まぁなんとも頑丈な御人ごじんだ。ここまで来ると人であるかどうかも怪しい。


「ジークさん、ジークさん! 降ろしてください!」

「あぁ、すみませんでした。痛くありませんでしたか?」

「予想の一億倍ぐらい優しく穏やかな着地で驚きました。どんな足腰してるんです??」

「良かった。大丈夫そうですね」


 ガン無視をキメられながら、シキミの足は凹んだ地面を踏み締めた。

 ブーツの靴底が、湿っぽいものを踏んだ時の、何とも言えないいやな感触を伝えてくる。


 見回せば、辺り一面に散らばる赤と白とピンク色。

 敵のド真ん中に、上から突っ込んでやったのだ。恐らくは、ジークとミンタカの作戦通り。


 この最初の一手は、数減らしと、敵の注意を馬車かららすことこそが目的で。だからシキミ達は負けられない。


 まだ、周囲を取り囲む気配はある。少し遠巻きにした、人ではない、獣臭い臭気。

 うぅ、と唸る影が、広がる森の、木々の向こうから顔を出した。


「オークですね。人を襲うのは珍しくありませんが、街道の方まで出てくるとは」


 潰れた鼻に、尖った耳。苔色の薄汚れた肌と、下あごから上へ伸びた牙。どれをとってもヒトとは違う。正真正銘のバケモノだ。

 人間よりも、一回りか二回りかは大きい体躯たいくに、もはや服としては機能していないような襤褸ぼろまとっている。

 手には殺傷力と打撃力が強そうな武器、武器、武器。


 棘が出ていたり二又に別れていたり。良くもまぁこんなにおぞましいモノばかりを考えつくものだ。


「──来ますよ。いけますね?」

「はいッ! いけます!」


 どうやら、囲まれているらしかった。四方八方から姿を表す影を前に、シキミはジークと背を合わせ、深呼吸を一つする。

 手には、スカートの下に忍び込ませていたナイフを握る。


 ……大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせては、逸る心臓を抑え込んだ。

 ナイフのグリップが、ぎゅ、と鳴る。


 ふと上を見れば、三つの影は随分と低空で飛んでいた。

 馬車を誘導しているのだろう。魔法の光線レーザーが、逃げ道を示すように真っ直ぐ遠くへ伸びている。


 作戦は、どうやら上手い具合に行っているらしい。



「──ガ……アァ゛ア゛ぁ!!」

「──おぉ……オオ゛ゥ……!!」


 振りかぶられた大振りの武器──鈍重な棍棒こんぼうが、シキミの目前へと迫る。

 空間を殴りつけるような、風を掻き裂くようなそれに、ひゅ、と息が鳴った。


 ──どう、動けばいい。


 いける、いける、と口先だけで言うのは簡単だ。

 思い込むこともまた、ある意味では簡単だ。


 ──咄嗟とっさの判断に迷った。

 だから、辛うじて残った本能が。……身体を守る本能が。薄っぺらいナイフを盾に、攻撃を受け止めさせた。


 形容し難い、力の塊のような衝撃が、腕から全身を貫いた。

 抵抗するところではない。あっという間に


「──ッが」


 肺から空気が弾け飛ぶ。背中でミシリと音がした。

 鳴ったのが背骨なのか木なのか知らないが、痛いことに変わりはない。


 そのまま、ズルズルと無様にずり落ちる。

 背が──体の内側から全身が痛い。


「シキミッ!」


 焦ったようなジークさんの声が、膜を隔てた向こうで聞こえた。

 ああ、馬鹿だ。雑魚なんだから大人しくしていれば良かったのに。なんでこう、いきあたりばったり的なノリで調子に乗っちゃうかな。


 何が「戦える」だ。

 お前じゃない。んだ。


 泣きたくなってきた。いや、選択したのは自分だ。だから、泣くのは全くお門違いなのだけれど。


 ふと、魔力が漏れ出す気配がして、シキミは何故かそれを止めてしまった。

 何故できたのかはわからない。だが、栓を締めるように、魔力それと止まったのだ。


 朦朧もうろうとする意識の中。どこからか漏れ出す、不満げな神器の気配を感じて、もっと申し訳なくなった。


 ごめん、と声にならない声が漏れる。一体誰に向けたのか。ジークさんか、神器か。

 一体何処を傷つけたんだろう。口の中は血の味がした。


 ふ、と一瞬遠くなりかけた意識の向こうで、もう一度振りかぶられる鉄塊の影を見た。

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