84.曰く、三連星。


 ピィ──! と甲高い音が、広い平野を駆ける。


 しばらくして森の向こう、山から飛び出すように、三つの点が現れた。


 三人がもう一度、ピィ──と重ねるように笛を鳴らせば、キュイ、と木霊こだまのように音が返ってくる。


 あっという間に、三つの点は形を変え、金の翼の大きな体躯たいくが日に照り映える。

 やがて音もなく降り立った三匹は、まるでそれが当然のように、ジークたちの前へと並び進んだ。


 誰も声を出さない、草木を揺らす風の音だけが耳を撫でる。

 やがてグリフォンたちは、ほんの数歩離れた場所で、翼を畳み、主人に仕える騎士のように頭を下げた。

 真ん中の、一回り大きいグリフォンが、ジークの相棒なのだろう。


 もう一度、ざぁ、と風が鳴る。煽られて揺れる羽毛が、よく見えた。


 ワシの頭と上半身は黄金をまぶしたような輝きを持ち、獅子の下半身は一点の曇りもない、雪原の白。

 鳥の王たるワシの、鉤爪が鋭い前足と、獣の王たる獅子の、力強い後ろ脚。


 ──美しい生き物だ。


 ただひたすらに美しい。

 息を呑むような、思わず涙したくなるような、生命いのちの美しさがそこにあった。


「よく来てくれましたね、ミンタカ。また少し、翼を貸してください」

「……。主人の頼みとあらば」

「っしゃ、べっ……ッた!?」

「……ほう、主人。また何か拾ったな?」


 その声は、人とは違う、不思議な響きの音がする。

 ジークのグリフォン──ミンタカの、黄金の瞳がシキミを凝っと見据えた。


「……小さき子、我が主人の拾い物。……我らグリフォンは、時として知恵を司るもの。故に人語も容易い」

「ま、そうは言っても普通のグリフォンは喋らないわ。そもそも人とあまり関わらないもの。……ね? アルニラム」

「そうよ? アタクシ達、特別なの」


 同じ瑠璃色るりいろの瞳を通わせて、エレノアとエレノアのグリフォン──アルニラムはじゃれ合う。

 撫でられる度、アルニラムはカチカチと嬉しそうにくちばしを鳴らし、柔らかそうな羽毛をぶわりと逆立てていた。


 ジークさんは、魔法だ契約だと、縛るようなことを言っていたけれど、とんでもない。

彼らの寄り添う姿は、信頼と愛情で紡がれた絆のようなものを、確かに感じさせた。


「俺のグリフォンはアルニタク。素直でいいやつだから、シキミも仲良くしてやってくれ」

「へぇ、シキミって言うのか。オレっちアルニタク! ヨロシクな、可愛い子ちゃんバンビーナ

「素直……。あっいえ、あの、よろしくお願いします……!」


 ……思っていた "素直" とは若干ベクトルの違う素直のような気もするのだが。


 近寄ってきて、くちばしを寄せたアルニタクの瞳は、まるで紫水晶を嵌め込んだようで。藤紫に輝く瞳は曇りもなく、底抜けに明るい。


 そっと、金のくちばしに指を這わせてみれば、少しざらつく感触と「くすぐったいからやめろよ」という言葉が返ってきた。

 主人に似て、なんだか少し懐っこい。


「さて、ミンタカ。俺と彼女で二人分、乗っても大丈夫ですか?」

「……。問題ないだろう。主人が二人ならともかく、少女の重さであればな」

「シキミも、アルニタクにさわれるなら大丈夫ですね。……もっと怯えるかと思っていました」

「いや…………綺麗過ぎて怯えが消えました。グリフォン、こんなに綺麗な生き物だとは思ってもみなかったから……」

「美しいご主人様の相棒よ? 美しくて当たり前だわ! でも嬉しい。……ね、ご主人様。良い子ね、この子」


 そう言って近寄るアルニラムに、ほわほわした羽毛を擦り付けられながら、シキミは謎の多福感に襲われていた。

 もふもふは正義、つまりはそういうことである。


 空気を孕んだ羽毛の奥で、彼らの体温をじんわりと感じる。

 こんな風に慣れ親しんでしまうと、いざ野生の怖いグリフォンに襲われたとき、躊躇ちゅうちょしてしまいそうで怖い。

 いや、今後野生のグリフォンと、早々遭遇する機会があっては困るのだが。


「では、また手綱を付けさせてくださいね」

「……

あるじがやると痛ェしキツいからオレっち嫌だ! ジークさんやってくれよ!」

「は? お前……それは裏切りだろー!?」

「ほら見なさい! 乱暴に扱うからよ」

「ご主人様の手綱も時々痛いわ」

「……えっ!?」


 三者三様、ワイワイと旅の支度は進んでゆく。

 結局、騒ぎ立てる二匹に手綱を付けたのはジークさんで。なんだかこう、白銀の糸アルゲントゥムの力関係は、こういうところから来ているのかも知れないと、そっと胸の内で思った。



 首と上半身を繋ぐ手綱と、獅子の背中にくらが乗る。

 あぶみに足をかけ、手綱を握る三人の姿とは、なんとも絵になり様になる。


 ジークに手招かれ、乗りやすいように伏せるミンタカの側へ寄れば、差し出された手。

 黒い手袋におおわれたぬくいそれを強く握る。


 ぐっと引き上げられて、一瞬の浮遊感。

 腰を下ろせば伝わる少し硬い革の感触と、背に広がる人の体温。


「では、ミンタカ。向かいたいのは古代王の霊廟れいびょうです」

「……。遠出だな。……半日もせずに着く。しっかりと捕まっていろ」

「シキミも手綱を握っていてくださいね」


 身体の横で、ジークの右手が手綱を握る。

 左手は──シキミを支えるように胴へと回され、シキミの背はよりジークと密着する事になった。

 重なる面で、じんわりとくすぶる熱が渦巻く。


「ぅえ──!?」

「馬と違って空の旅ですから、少し窮屈かもしれませんが我慢してくださいね」

「い──や、えっ、ハイ……!?」


 ダイレクトに響く美声と、めちゃくちゃに近い芸術品のような顔と、何かよくわからないけどかおる良い匂いに脳髄のうずいが揺れる。


 これ…………死ぬ程恥ずかしいんじゃないか!!?


 火山でも噴火するかと言わんばかりに、顔に血液と熱が集まる。だって密着は恥ずかしい。その気がなくても恥ずかしい。


 きっと、今。二目と見られぬ百面相が、湯だったたこの如くに成っている。頼む、誰も顔を見てくれるな、そのまま飛び立ってくれ。そして二度と見るな。


 必死の願いは天に届いたか、行きましょう、という号令と共に、グリフォンの翼が広げられた。

 地を蹴る筋肉の動きを感じて、シキミ達は空へとのぼる。


 浮遊感と、冷たい風と、背中の熱。

 果たして半日も無事でいられるのか。


 それはもう、多分誰も知らないのだ。

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