32.曰く、はじめてのおつかい(イントロ)
眠い目を
今朝も目覚めは珈琲の香りの朝日であった。
昨日は一人だった黒い背中は、二色に挟まれて何やら談笑しているらしい。
エレノアの明るい笑い声が、差し込む朝日に煌めいて聞こえる。
「おはようございます……!」
お待たせしましたか? と慌てて駆け降りれば、すっ転ぶなよとテオドールが笑う。
おはようとかけられる声が日常になるかもしれない、なんて思えば異世界の朝とは悪くもない。
「今日は何するんでしょうか!」
「シキミちゃんはお留守番よ〜」
「え〜っ!?」
静かな通りにシキミの声が良く響く。驚いた鳥がピチチ、と鳴いて飛び立った。
朝から元気だねぇと女将さんに笑われ、湯気の立つ珈琲がそっと差し出される。
せっかく武器なり戦闘なりの話ができると思ったのに、突然言い渡された完全オフ。可愛い私を置いて、彼らは一体どこに行くというのか。
突っ伏しながら「なんでですかぁ」と聞けば「捨てないから大丈夫ですよ」という謎の返答が帰ってきた。
いや、そうだけどそうじゃない。
「元々行こうかと話していたダンジョンがあって、せっかく集まったのだし行こうかという話になったんですが」
「Aランク依頼ですか」
「Bランクです」
どっちにしろ無理じゃん! ともう一度突っ伏すシキミの頭に、隣に座るテオドールの手が伸びる。わしわし、と犬でも
「ああああああ何するんですか」
「なんだよ、髪は後で直せば良いだろ? 怒るなって。──ジークがお小遣いくれるって言うから、それ持ってココらへん見て回ってきな」
「このあたりは治安もいいですし、露店もたくさん出ますから時間は潰れますよ」
「さんざん振り回されて疲れただろうし、休息も必要よ。特に新人にはね」
口々にかけられるおちょくり半分の慰めの言葉と、さり気なく置かれた銀色のコイン。孫娘にあげるお小遣い並みのそれに、やっぱり強くなると金銭感覚が馬鹿になるのかな、と意識が逸れた。
「ちなみに何日ほど?」
「二三日のうちには帰ります」
「で、私は?」
「お留守番です」
ご飯はここで食べられますし、Dランクであれば依頼を受けても構いませんよ、と微笑まれてしまっては否とも言えず。──言ったとしてもどうしようもないのだから言わない、というだけでもあるのだが。
「おとなしくしてろよ!」と余計な一言を叫ぶテオドール。それから、こちらを振り返ってにこりと笑ったジークとエレノア。
そんな三人の遠ざかる背中を見送って、銀貨を片手に通りに出れば憎らしいほどに空は青く。シキミは一人行ってらっしゃいと手を振るのであった。
「シキミちゃん、もし良かったらお使い、頼まれてくれるかい?」
「──はぁい!」
店の中からかけられた声に慌てて戻れば、女将さんが籠を片手にシキミを待っていた。
観光のついででいいから、と渡されたメモを見ればパンや
「こだわりの場所とかは無いし、この付近はどこもよく使うお店だから。シキミちゃんの好きに回って、好きなところで買っていいわよ」
「門限は」
「夕御飯まで」
「イエス! マム!」
「あっはっは! なんだいそのかけ声。さっきまで
「ヤケクソ、っていうんですよう」
代金にはこれを使ってね、と渡されたピンクの蛙のがま口を受け取って、乱れた髪を手早く直す。
切り替えの早いシキミは、もう既に観光を楽しむことに決めていた。
金はある、飯もある、宿もある。モーマンタイ、というやつだ。
行ってきます! と駆け出した先。
朝もまだ早いというのに賑わう露店街が、人の波を揺らしてシキミを待ち構えていた。
──で、結論から言えば。
アイス片手に、よそ見をしていたのがまずかった。
道に居並ぶ露天商の姿はシキミにとっては全く馴染みのない珍しいものであって、目は幾つあっても足りないとばかりにキョロキョロと視線を彷徨わせていれば、向かってくる人影など目に入るわけもなく。
人混みの中、なんとなくで避けた先。どん、と真正面からぶつかった衝撃で、シキミはようやく目の前に人がいた事に気がついた。
胸元に当たる柔らかな金の髪に、細い手足を彩る繊細なレース尽くしの
ビスクドールが纏うような真っ白なその服に、茶色の染みが良く目立つ。
「──ご、ごめんなさい。お姉さん」
「こ、こちらこそごめんなさ──」
こちらを見上げる青空の色の大きな瞳とかち合えば、シキミはただ一つ。天使だ、と思った。
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