28.曰く、拠点名「鳩の巣」
「そういえば、ジーク達は何処に泊まっているの?」
「今ですか? 鳩の巣ですよ」
「えっ、あそこ鳩の巣って言うんですか」
嬢ちゃんマジか、と目を剥くテオドールに、シキミはなんかすみません、と小さく頭を下げた。
もはやこの一連の流れは様式美化しつつあるような気がする。──出会って間もないのだが。
太陽は地平に落ち、橙色の光が月にその役割を譲りだした頃。
今日、他国へ向かう依頼から帰ってきたばかりだというエレノアは、それはもう意気揚々と、シキミたちと同じ宿を希望したのである。
「あそこ小さいけど、四人泊まれるくらいの部屋はあったわよね」
「今は他の宿泊客もいなくて俺達の貸し切り状態ですし、部屋はあると思いますけど」
「あっ、俺も泊まるの確定なのか」
「嫌なの?」
「嫌じゃねェけども!」
あそこ結構いい値段じゃなかったか、というその言葉に、シキミは時が止まったかの如く固まった。
「そ、それ……! 私さっき聞こうと思ってたんです!! ほぼ無一文ですよ私! 宿泊費払えるかもわからないんです!」
「俺が払うからいいんですよ?」
「甘やかさないでください〜!!!」
甘やかしても良いことなんてないんですよ、とはシキミの本心である。
親しき仲にも礼儀あり。依存は大変よろしくない。
特にお金は、常にトラブルの元だ。
「そうは言っても、新人じゃあ稼ぐのは難しいわよ?」
「わかってはいるんですが……心苦しくて……!」
律儀ねぇ、と感心されながら、シキミは
街灯なのだろう。等間隔に設置された支柱の天辺が淡く光って、道行く四人の影を淡く照らし出し始めた。
冒険者の街の割に、ここアズリルはかなり治安が良いように見える。もっとこう、道端に酔った男女がゴロゴロしているか、喧嘩の怒号が聞こえるかだと思っていた。
「出世払いでいいんじゃねぇか? 返すタイミングはジークが決めりゃいいだろ」
「良いんじゃない? ジークがそれで良ければ」
「良いですよ」
「良いんだぁ……」
帰り道、あっさりと決まってしまった返済予定に、この緩さがジークさんだよな、などと勝手な事を考える。
カツカツと、靴の底が石畳を叩く音が四つ重なって鼓膜を叩けば、この音が聞ける幸福をシキミは噛み締めていた。
歩くこと
がやがやと聞こえる賑やかな話し声に、そういえばレストランも兼ねていたのだっけと思い出す。
「夕食もここでいいですか?」
「異議なし。席取ってていいか?」
「お願いします」
そそくさと店内に入ってゆくテオドールに、続いてジークが光の中へと姿を消した。
後に残った女二人。行かないのか、と見上げれば静かな青色がぼんやりとした光を
「お金を返すまで手元に置いてもらえる、って安心したかしら?」
「──え?」
平坦な声に、空気が冷える音がした。
否、血の気が引いた音だったかもしれない。
そんなこと、考えてもみなかった。
単純に、私の我儘だったのだから当然だ。打算もなければ計略もない。
それなのに、優しかったはずの瞳が、今は鋭く値踏みしているように見えて恐ろしい。
否、私は甘んじて
「か、考えてもいなかったことです! そんなつもりじゃ──」
ぐるぐると頭の中を巡るのは、意味をなさない言葉の羅列。取り繕おうとすればするほど、その言葉たちは嘘くさく、本心から
それでも必死に弁明の言葉を紡ごうと、口を開いた瞬間。
ふるふると肩を震わせだしたエレノアに、シキミの心が追いつかない。
「…………ふ、ふふ。ふふふっ。──冗談よ、ごめんなさい。ちょっと
厳しい視線とは一転、我慢できないとばかりに笑いだしたエレノアの姿に、半ば放心状態のシキミはただ無言で呆けるので精一杯だった。
全速力で駆け抜けたあとのように、心臓が喉元でバクバクと鳴っている。
「怖がらせちゃってごめんなさいね。疑っているわけじゃないわ」
あんまりにも素直だから、本当に揶揄いたくなっちゃったのよと美しい人は笑う。
「その幼い、無垢な素直さはあなたの良い所でもあるし、とっても悪い所でもあるわね。イジメたくなっちゃうわ」
「え…………えぇ……? お気持ちは十分わかりますけど、酷いですよう」
「ごめんなさいってば。お詫びにご馳走してあげるから、入んなさいよ」
とんとんと背中を押され、二三歩踏み出したシキミの頭に、たおやかな女性の手が乗せられる。
そのまま小さくかき混ぜられて、途端、血と泥でごわごわしていた髪の毛や服、全身が、綺麗さっぱり元通りになっていた。
まるで何事も無かったかのように、お先に、と言って光の中に入って行ってしまった彼女の背中を、シキミは慌てて追いかける。
──良く、わからない。わからないけれど。
多分、合格したのじゃなかろうか。彼女の中の、何かに。
ジークの目を確かだと認めた上で、それでも確かめずにはいられなかった、彼女なりの合格ライン。
私の合格を決めたのは彼女の魔法かもしれないし、スキルかもしれないし、本能かもしれないけれど。
「……えへへ」
なんだかよくわからない事ばかりで、慌ただしいばかりの日々。
これはこれでなんだか楽しいし嬉しいぞ、とシキミの単純な心は大歓声を上げていた。
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