24.曰く、大きさは力なり。

 

「そっち行ったぞ! 気張りな嬢ちゃん!」


 木々に反射し、よく通るテオドールの声はどこか楽しげに弾んでいる。


 そろそろご飯どきだな、お肉食べるのかな、なんて呑気に考えている場合ではなかった。

 手渡された細身の両手剣を構えながら、シキミは泣きそうな顔でこちらへと突進してくる物体いきものと相対している。



 ──てっきり昼食でも、と思ったのに。私は何故か森にいた。

 爽やかな緑の香りが、今はひたすらに忌々しい。


 Cランクからじゃなかったんですか、とはとてもじゃないが聞けない。

 "有無を言わさぬ無言の圧力"というやつは確かに存在するわけで、いろいろな意味で弱い立場の私が逆らえるわけもなかったのである。


 大型犬ほどの大きさの毛玉は、土埃と共に草の端切れを撒き散らしながら真っ直ぐこちらへと突っ込んできた。

 私が見えていない──のではない。テオドールの強烈な一撃に怯え、活路として私を選んだだけ。


 正しい判断だろうとは思う、同情もまぁ、しなくはない。私がお前だったら同じことをしてたよ、と声をかけてやったっていいぐらいだ。私と同じくらいヒロインならな!


「逃げんなよ! 背ェ向けたら死ぬぞ!──そのまま振り抜け!」


 叱咤され、引けていた腰にぐっと力が入る。

 それでも思わず閉じてしまった目蓋まぶたの向こう。獣臭い咆哮を、私は確かに感じた。



 追い立てられた可哀想な魔物と対峙たいじする少し前、突然渡された両手剣に戸惑いながら、シキミは言われるがままに素振りをしていた。


 毛皮とブロック肉は、目の前でジークの腰のていて。その質量をまるっきり無視した光景に、シキミはようやく「どうやらこの世界にはインベントリらしきものがあるらしい」ということを知った。──知ったが、それだけである。



 いち、に。いち、に。

 上下に振るたびに、ひうひうと間抜けな音がする。空気を裂くというよりは、いたずらに空気の流れを阻害をしている気分だ。

 刃物なんて包丁もまともに握った記憶がないのに、一体どう振るえというのか。


 足はこう、構えは低く、腰に重心を云々うんぬん


 習ったからといってできるわけがない。テオドールとの打ち合いに使った裏技が、そうそう何度も使えるわけがない。


 と、そう思っていた時期が私にもありました。


 記憶の底にこびりついた鈍重どんじゅうな現世の記憶。

 刃物を振るったとて、たかが知れている事は明白だった。

 だが、此度こたびこの身体は違うらしい。

 刃物を振れば、思った以上のスピードが出る。身体は軽く、世界を認識する速度は──遥かに速かった。



 ここに来て、存外自分が落ち着いていることにシキミは気がついた。視界に映る世界は、何故か酷く緩慢かんまんに見える。


 なんか、できそうな気がする。


 それはのものではなく、紛うこと無きの心から発露した根拠の無い自信だ。



 生き物は、小さい方が可愛い。どんなに元が愛らしかろうと大きくなれば恐ろしい。

 大きさは時にそれだけで暴力なのだ。


 まなこを開いて、ひたと見据えれば、真っ赤な穴は目前に迫ってきていた。

 大きく開け放たれた口の中は、小さな牙がのこぎりのように乱立している。

 何層にも重なったそれはうっすらと黄ばみ、上下をつなぐ唾液の銀色までがよくみえた。


 真っ直ぐ、小細工なしで向かってくる。それはある意味魔物の捨て身で、決死の作戦だ。

 正面から当たれば頭から呑まれるか、遠くに飛ばされて脳漿のうしょうを撒き散らすことになるだろう。


 一つ、蹴った足はしかと地面を捉えた。

 覚えのある、魔法が発動された感覚。

 シキミの身体はまるで弾丸が飛び出すように、それはもう恐ろしい速度で魔物へと向かっていった。


「ヤァァァッ──!!!」


 悲鳴のような叫びは、己の心を奮い立たせるものなのか。それとも、威嚇のものなのか。シキミにもよくわからない。


 水平に構えた剣に、腕ごと飛びそうな衝撃が伝わる。

 先には行かすまいぞと必死で抵抗するかのような重さは、生きようとする命の重さだ。


 押して、押し返されて、それを引きちぎって剣は進む。


 ふっと、抜けたように軽くなった剣を感じると、生暖かい液体──血が、まるで雨のようにシキミの全身をしとどに濡らした。



「……お、おわ………………終わりました…………?」



 一瞬の呆然とした間。口から上下、真っ二つに別れた死体の隣。

 生臭い臓物を頭に引っ掛けて、シキミは泣きそうな顔で笑った。


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