6.曰く、なんの肉かは聞かない。

 

「はぁ、記憶喪失……ですか」

 美男子というやつはどうしてこう茶碗を持ってるだけで絵になるのだろう。ずるいし不公平だしずるい。


 食事中だったらしい青年のご相伴に、いつの間にか預かっていたシキミはずるずるとスープを啜る。

 ハーブらしき香りのする透明なスープにはよくわからない肉が丁寧に一口大にカットされており、一口噛めば爽やかなスープの香りと肉汁が口内に一気に広がった。


「ほうなんれふ、気がついたらここにいて……はふ、おいひいれすね、これ」

「ありがとうございます。おかわりもありますよ」



 この森で一休みしていたという青年の前に無様に墜落したシキミは、感じ取るままに命乞いをするという奇行を披露した上に大いに(頭の)心配をされていた。


 歩けば花も綻ぶような絶世の美男子。

 日本人離れした造形をしていれば異世界人このせかいのひとであることは明白で、そんな人を前に「異世界から来た初心者なんですけど右も左もわかりません」と言うわけにもいかず。

「気がついたらここにいたのですが記憶が全くありません」と言うに留めたのは今考えても今世紀最大のファインプレーであった。



 あっという間に空になったお椀の中にスープが追加される。その無駄のない優雅な動きはただの動作ですら美しく、すっと通った鼻筋は彫刻のそれを思わせる。薄い唇は薄く笑みを浮かべていて、ともすれば冷たく見える表情を幾分柔らかくしていた。

 長い髪はまさしく射干玉ぬばたまの如く。三つ編みにされて流されているからだろうが、その姿はどことなく女性らしくも見える。

 美しさは性別を超えるなぁなどと魅入られたようにっと見つめていれば、長い睫毛に縁取られた黒曜石の瞳がシキミを捉えてゆるりと微笑んだ。


「見たところ随分と良い装備をしていますし、さぞ高名な冒険者だったのではありませんか?」

「はぁ、やっぱり冒険者っているんですねえ……。冒険者ならまだいいですけど、金に物を言わせて最高級の素材から作らせてた悪徳貴族とかだったらどうしましょう……?」


 本当に何も知らないようで、と言った彼はどうやら少しばかりカマをかけていたらしい。

 本当に何も知らないお馬鹿さんだとわかってくれれば良い、いや、これで俺は盗賊でしたというのも笑えないのだが。


「シキミ、というこの名前ぐらいしかわかることがないのです。持ってる物の使い方もまぁ、ご覧になった通りでして」


 ぺちぺち、と足元のブーツを叩けば青年は思わずといったようにくすりと笑う。

 どんなことをしても絵になるとかいっそ人生ズルしてるよな、と変な方向に思考が飛びそうなのをぐっと我慢したシキミはまた一口スープに口をつけた。

 美味しいものは心を穏やかにさせるものだ。


「シキミ…ですか。俺も冒険者の端くれではありますが聞いたことのない名前ですね。お役に立てずすみません」

「いえいえ!ご飯まで頂いてしまってこちらこそ申し訳ないです」

 美味しいですし、お腹も膨れましたし。ぐび、と椀を飲み干して一息つく。

 どうしたんですか大丈夫ですかと支えられて、口を開こうとした瞬間盛大に鳴った腹を私は生涯忘れないだろう。


「……警戒心皆無なあたりは、初心者っぽいですね」

「初心者も何も記憶ゼロですから……。やることなすこと全部初心者です……」

「記憶はなくても肉体に染み付いた癖のようなものがあるでしょう。俺が悪い人だったらどうするんです」

「命乞いですね」


 逃げてくださいよと冷静につっこまれ、シキミはいたく恐縮した。さっき念の為とステータスを覗き見たのだが、盛大に文字化けしていて何もわからなかった。そんな男に「神器でなんとかします」とは流石に言えない。

 なんとかできるわけがない。


 殺されるならもうとっくの昔に殺されているだろうし、いくらステータスが高かろうとレベル1のシキミに経験値としての旨味はない。

 装備はそれなりだが、目の前の青年が金やモノに困っているようには到底思えなかった。

 であれば本当に、親切からの世話なのだろうと半ば考えることを放棄していた。もともと熟考できるほどよろしい頭を持っていないのだからなるようになれの境地である。


 そんなことよりも、手際よく鍋に入れられてゆく乾飯ほしいいのようなものに目が釘付けなことを青年はちゃんとわかっているのだろう。ため息を吐いて困ったような顔をした。


「俺のこともきちんと警戒してくださいよと、アドバイスのつもりだったんですが」

「おいしいご飯を作れる人は悪い人ではないと偉いお方が多分仰ってます」

「聞いたことないですね」


 シキミはといえば「この世界にも米あるんだ」と思っただけで全く聞いていない。

 グツグツと煮える鍋の音と、時々爆ぜる木の音以外静かな森の中。穏やかな食事はゆっくりと終わりに向かっていた。

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