3.曰く、詰みゲー?

 ハイ詰んだ。


 異世界転生超絶イージートゥルーエンドは早くもその道を閉ざしていた。拝む暇すらなかった。


 ステータス欄に表示された「呪い──レベル上限1」の文字。

 呪いであれば、と解呪方法も所有のスキルで見てみたが、見られたのは「不明」の二文字。

 レベルが低いなら上げればいいじゃない。そう、レベル上げれば勝ち組なのでわ?と思った私の人生ツムツム大連鎖である。


 ベタベタした手を見つめながら「わが暮らし楽にならざり」と呟いてみた。大先生に失礼な話だ。



 きっかけは初めての討伐だった。


 たまたま運悪く出会ってしまった、茂みの影にいた猫ほどの大きさのスライムを楓――改めシキミは「このままでは殺るか殺られるかなのでは」と無闇に警戒してしまったのである。

 なんせこちとらレベル1。倒せばレベルは上がるだろうし、倒さなければ丸呑みエンドも目前だ。


 スライムと言えば冒険者御用達のモンスター。そうそう都合のいい敵に出会えるとも限らず、ならばやるべきことはレベリングだろうとその不定形生命体ファンタジーないきものをそこら辺に落ちていた大きめの石で討伐してやろうとしたのである。


 水たまりが小さく盛り上がったような中に、一か所色の濃い部分がある。きっと核だろう。

 スライムは不定形かつ柔軟であるために核を狙うのがセオリーのはずだ。


 足音を殺し、ゆっくり背後──彼らに背後があるのかは別として──から近づいて、振り上げた頭ほどの石を大きく振りかぶって振り下ろした。


 ぶん、と空気をかき分ける音がして、一瞬の後、手のひらに伝わる不快感。

 まるでそれは芋虫をつぶしたような、薄い皮を裂いて中身が溢れ出したような感触。

 所詮はローションの化け物と侮ったのが良くなかったのだろうか。

 今思い出しても身体中の変な毛穴が開きそうになる。


 結局、いたるところに飛沫を飛び散らせ、後に残った核らしきものまでゲットしたというのにレベルは上がる気配を見せなかった。

 慌ててステータスを確認すれば「呪い」の表示。

 なんだかもう、いやな思いをしただけだった。



 右も左もわからない森にアバター姿で立っているという事実でさえ最高に意味がわからないのに、足枷のろい付きのLv1。

 こちとら異世界初心者どころか異世界赤ちゃんなのだからもっと優しく対応してほしい。

 一体私が何をしたというのか。前世かゲームの外で何か悪いことをしただろうか。本当に意味が分からない。

 神様の不興を買ったのであれば幾らでも謝るからなんとかしてほしい。切実に。



 そっとため息を吐いて静かな湖畔に腰を下ろす。


 手や足にこびりついたスライムの残骸をどうにかしたい一心でふらふらと森の中を進んだシキミは、ようやくの思いで湖を発見した。

 遠くを見渡すようにしてよく見てみれば湖は考えていたより広く、向こう岸は薄っすらとぼやけて見えないのだから実質海のようなものだ。

 そのくせやけに静かな水面は、顔が映るほど波がない。

 富士山があればさぞ映える逆さ富士が見られただろうなと考えれば、そういうことは覚えているんだと謎の感慨が湧き上がった。


 水面を覗き込めば少し歪んだ己が映る。

 現実の、今となっては元私の"楓"とは似ても似つかない長い睫毛に縁どられた目は、少し垂れ目がちな杏仁形きょうにんぎょうの目。星雲を閉じ込めたような、宇宙のような色合いの虹彩に諦観が浮かぶ。

 卵型の輪郭にバランス良く収まったパーツと、すっと通った鼻筋。

 右目の泣き黒子にはそんな設定もあったなあ、ともはや懐かしささえ感じた。


 ここまでくればどうにでもなあれの心持ちである。もう、なるようにしかなるまい。

 ああ、本当に、私は。


 押さえていた手を放した先から、パラパラと前髪が顔にかかる。少しこそばゆいがそれもすぐに消えた。

 顔の上半分を覆う長い前髪。視界を邪魔して仕方ないようなそれは、設定の力なのか煩わしさを感じない。

 だからこそ、今までなんの不快感もなく歩いていたのだろうけれど。

 外側からはすっかり見えなくなった楓の瞳はしっかりと水面を見据え、表情の読みにくくなった己が顔を睨めつけた。内側こちらからは視界良好である。


 それは見れば見る程創世のアバターの設定そのものだった。

 見た目も、この体も、能力も。

 もはや楓ではない。わたしは本当にシキミになってしまった。


「いっそ泣きたいんだけど……」


 女の子だし涙が出ちゃってもいいよね? と思うだけで、残念ながら雫は一滴も出てこない。

 心ってとても素直にできている。

 泣こうにも、向こう側に置いてきたものが少なすぎるのだ。思い出そうとする度に、その執着をかき消すかのように朧気なかつての生活が一つ、また一つとその影を薄くしてゆくような心地がして恐ろしい。


 指先でかき混ぜた水面は、映ったシキミをあっさりと消し去った。

 沁みるような水の冷たさに、我が身のこれからを思う。


 この世界がどうかはわからないが、創世ではレベルというのは強さの最重要要素だった。


 ゲームのパラメーターで表示される要素は四つ。

 レベルと、HPMPや攻撃力などのステータス値。そしてスキルと技。


 HPやMPはレベルとともに上昇するが、攻撃力や防御力、素早さといったものは種族、役職によってあらかじめある程度設定され、最初のキャラメイクの際に与えられる数十のポイントによる加算、レベルアップの際にもらえるポイントでの加算、特別な素材を使った種族変更や役職変更によってしか変動しなかった。


 実際戦闘において作用する値はレベルとステータスをかけたもの。

 つまり100レベルのアバターの攻撃力が10あれば単純に1000の攻撃力で殴れるということ。

 レベル差によってはダメージの軽減が行われたりもしていたのだからレベル1という現状は本当にシャレにならないほどまずいわけで。y×1はいつだってもとの値だ。

 せっかく威力の高い大魔法だの剣技だのをもっているというのに、これでは宝の持ち腐れだろう。


 レベルの影響をほとんど受けないスキルはそれなりに沢山持っているのがせめてもの救いだろうか。

 それでもスキルなんてあくまでも補助のようなもの。技は技そのものの威力も持つが、レベルをかけたステータス値を加算するが故にレベルによって威力は変わる。これではお話にならないだろう。本当に戦って生き延びるなら、いつまでも弱いままではお先が知れている。



 とはいえ、まだ希望はある。

 ここが完全にゲームのシステムを踏襲した世界とは限らないのだから、ひょっとしたら攻撃力はレベルによらないかもしれないし、周りのレベルが低くて私が強かったりするかもしれない。

 技だって、レベルは低くとも使えれば威力は変わらない──なんてことも無きにしもあらずだろう。

 そうとなれば話も早い。


 暫くこの森の中で自分の持つ力がどの程度なのか確認しなければいけなさそうだ。


 なるほど本当にチュートリアルの"はじまりの森"であるらしい。

 呪い付きのレベル1で放り出す割に良心的な神様だ。多分。

 感覚が狂い始めたかもしれない。

 ──神様がいるなら、の話だけれども。


 知識もない、リアルかどうかも定かでない。頼れるのは"力"だけ。

 これじゃあ思考が世紀末じゃんね、という独り言は誰に聞かれるでもなく青々とした地面に吸い込まれていった。


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