ひとときの決着
魔導の籠手
魔導の籠手は強力であったが、便利なものではなかった。
中距離で一対多数の戦いであれば絶大な威力というものを発揮する。
しかし軍で運用となると、その攻撃が味方を巻き込むことから使い勝手が悪い。
高原において魔法を操るということは、世界に満ちた魔素を操ることであり、
部隊あいてに一人でちまちまと魔法を使用していたら、あっという間に取り囲まれて串刺しとなるであろう。
個人の才覚によるところの大きい魔法であるが、接近され直接攻撃を受けることには弱いのだ。
ヴァチェが羊を処分しろという要請を一人で行ったのは、軍隊の後ろにいるという安心感を彼がえているため、それを一時でも減らしたくなかったという臆病な精神からであり、一人で前線に立つ勇気が無かったからである。
味方を傷つけるのは、彼の憧れたシャーマンが語る古の傑物がする行動ではなかった。
しかしそこには敵が疲弊しながら自軍を抜けてきたならば、弱った敵なら楽に討ち取れるだろうという卑屈な自信もあったのだ。自分を守るだけであれば宝具をもったヴァチェは、間合いさえ取れれば敵に負けることはないと考えていたのだった。
ヴァチェはある疑念を抱いていたが、確信を得た。敵は自分を恐れて近づいてこないのだと。
その理由は、敵が虚言を用いてまでも、戦いを避けようとしたからであった。
◆◆◆
デイド達が作戦会議を開いた次の朝、各部隊のなかには早くも噂が流れていた。
ヴァチェが羊を皆殺しにしたということであった。かん口令が敷かれていたわけでもなく、事実は伏せられていなかった。様々な動揺と憶測はあった。
それは捕虜の間にも同様に話されていた。
いかに戦場となっていても、今は小康状態となっており草原に吹き抜ける風は平穏であり、人の営みというものは変わらない。
戦場で捕虜となり、戦わされるの身の上となっても生きている。小競り合いが一度だけあっただけで、逃亡を企てなければ殺されることはなかった。不当な暴力もなかった。しかし逃亡したものは須らく法は守るべきとバティに殺された。
己に降りかかるであろうことには敏感に話をし、そこに様々な考えがあった。
彼らは戦士であって、死の覚悟はできていたとしても、無駄に死ぬことにはためらいはあった。
高原の風が運んでくるのはいつも安らぎだけとは限らない。死の香りを運んでくることもあるのだ。
バティが愛馬に乗って風を切りながら、集められた捕虜たちの前に現れた。その姿は戦へ向かう出で立ちであった。
「聞け!」という言葉に捕虜たちは何事かと全員が目を向ける。
「知っているだろうが、貴様らの首長、ヴァチェがお前たちの羊をすべて殺した。
我らはこのような非道を許さん!
従って我らは敵本陣に突撃する。
我らは容赦しない。蹂躙する。
女子供であろうと邪魔するものは殺す。それは俺がお前たちにしたことを思えば近い将来現実となることは疑いようもないはずだ。
そして貴様らも突撃してもらう。うしろから槍で刺されたくなければ走り続けることだ」
残酷な通達であった。捕虜たちは一時の安寧がすぐに終わることはわかっていたが、それがいま来たのだと一様に思っていた。
彼らは来る時が来たと覚悟を決めた。
「しかし! 貴様らに機会を与える。お前たちの中から一人だけ開放し使者を選ぶ。
仲間が仲間を踏みにじりし、殺し合いをしたくなければ、引きこもっている臆病者のヴァチェに降伏を勧めよ。
愛しいものがいるなら降伏勧告が通らなければそのまま逃げる良いだろう――解放したのだからな。これはデイド様からお前達への慈悲である」
捕虜たちはざわめいた。最悪の全面衝突を避けることが出来るかもしれないという希望と、この捕虜という立場から逃げられるという希望であった。
戸惑いが見られる中、一人の青年が名乗りをあげる。心身とも鍛えられているような好青年であった。
バティは青年に名を聞いた。その名はサリドといった。
「お前は正直ものであるか?」
「はい!」
「恋人がいるのか?」
「愛しきものが居ます」
「だれかこいつを知っているものはいるか?」
バティは幾人かに話を聞き、このサリドという青年が信頼できそうな人物であると判断したのだろう、青年はデイドのものへ連れて行かれたのだった。
「サリドと言うのか」
連れてこられた青年の名を聞き、デイドは青年を真正面から見た。サリドもまっすぐと見返した。
条件は単純だと前置きをして、デイドが言った。
「囚われているクロガネ殿、モーカ、アーヴィ殿にレフタルもだろうな、その者たちを解放し、クロガネ殿の宝具を返しさえすればよい。我らは立ち去る」
「はい」とサリドは答えたのをみて、デイドは続けた。
「今日の昼、いつもの時間まで返答がなければ攻撃は続行される。捕虜たちも含め全軍で突撃がされるだろう――」
デイドの言葉には力がこもっていて、サリドはその迫力を前に竦んでいる。
「――そうなった時俺の下す命令は皆殺しだ。何もかも破壊されると思っておけ」
デイドがそう告げ終わると、サリドのために馬が用意された。
デイドはサリドをすぐさま出立させた。乗馬したサリドにバティが念押しをする。
「あの捕虜の仲間を助けたければ、死ぬ気で降伏を勧めるのだな。突撃は行われる。忘れるな」
「はい!」
サリドの胸には捕虜たちの期待を感じ、その思いがあふれていた。
サリドが立ち去った後、攻撃に出かける準備をしているデイドにソウエイが尋ねた。
「あの者は――」
ソウエイが言い終わる前にデイドが答えた。
「ヴァチェが受け入れればそれまでだ。それでよい。しかし、恐らくはバティの言う通りになるだろうな」
ソウエイはその言葉を聞いて顔を曇らせた。
◆◆◆
ヴァチェは苛立っていた。しつこくつきまとうみすぼらしい姿をしたままの帰還兵に嫌気がさしていた。
突撃が来るかもしれないという情報があって、さすがに前線まで行かない訳にも行かなかった。たった後一日で援軍は来る。そして勝利するはずなのだ。ヴァチェはたとえ突撃があっても守りきればよいと判断した。
「降伏だと? 馬鹿か。我らは圧倒的に有利なのだ。犠牲を出したくないとはデイドも臆病なものだな」
「違います! 捕虜による突撃もあり同胞を失うことになります!」
「ふん。捕まった奴らが愚かなのだ。そのようなもののために勝利を捨ててなるものか」
サリドは刻限まで懇願を辞めなかった。シャーマン達の後ろにいたヴァチェであったが、シャーマンのなかには要求を飲むように言う者たちも居た。
しかしヴァチェはそのもの達を、反乱分子だとして連行して監禁したため、それ以上の声が上がることはなかった。
ヴァチェも決戦を覚悟していたが、宝具を拠り所にして、今までどおり、突撃は来ないのではという一縷の希望ももっていた。
時限がくる。いつものように馬の足音が聞こえてくる。そして騎射がいつものように行われた。
「あぁっははっははは、なにが突撃だ! 敵は何もしてこないではないか。奴らは魔導の籠手の威力を見たのだ。恐れをなしたのだよ!」
サリドはなおも何かの間違いだと食い下がっていた。ヴァチェはあまりにもサリドがしつこい為、近衛に命じて取り押さえた。
そしてサリドを見下しつつ声を上げる。
「アジータの腰抜けなど、恐れるに足りん! 我が宝具の前に手出しすらしてこない!」
シャーマン達の冷ややかな目のなか、戦士たちは鬨の声をあげたのだった。
◆◆◆
翌日、デイドはバティ達を引き連れて捕虜の前に立っていた。
みな戦支度は整えていて、騎乗している。
その中からバティが前に出て、捕虜たちに言った。
「昨日の若者は降伏を訴える軟弱者だと見せしめに半殺しにあった。貴様らの首長がやったのだ」
「お前が突撃するなどと嘘を言ったからだろう!」
捕虜の集団のなかから声が上がった。
「誰が昨日突撃するといった? 突撃をするのは今からだ!」
バティが捕虜に向かって槍を突き出した。捕虜は黙るしか無い。
「実際ヴァチェは折れなかった。決戦は免れない。ヴァチェはソペニアを頼りに油断しきっている。今から突撃すれば簡単に崩れるだろう」
淡々と言うバティの言葉に、捕虜たちはそれが事実であると伝わった。
「すでに密告は多数上がっている。モーカ様達が囚われている場所はわれているのだ。そこを押さえれば後は蹂躙するだけだ」
バティの言葉は当たり前の言葉だった。実際に密告は多数あり、その褒美で金貨を貰った捕虜たちが居た。なかにはそれを見せびらかすものもいたのだった。多くの証言があった。デイド達はそこを一番に押さえれば勝利となる。遠慮のいらなくなったデイド達がやりたい放題できることを捕虜たちは理解していた。
「しかし本当の敵はだれだ? ソペニアだ! そしてそれに迎合したヴァチェだ! やつを倒せばソペニア派は瓦解する。既にシャーマン達はヴァチェに愛想を尽かしている」
バティの言葉に捕虜たちはざわめいた。
「聞け!」
デイドの声が大気を震わせた。皆だまり、一瞬の静けさが場を支配した。
「殺戮は俺の本意ではない! あそこに残ったものは皆殺しだ」
全く逆の言葉に捕虜たちは耳を傾ける。
「しかし逃げるものまでは追わぬ! 約束しよう! そして選べ!」
デイドはヴァームの本拠を指さした。
「あそこに居る貴様らの愛する者たちを逃したければ今すぐ行け。残ったものは俺と共にヴァチェを討て。そうすれば今までどおりの平穏が戻るであろう!」
彼らにとっての敵はデイドであったが、デイドはそれをすり替えた。
捕虜たちはあたりまえに守るべきものがあった。愛しい子どもたちであったり、孝すべき親であったり、愛する伴侶であった。
それらを奪おうとするデイドがそれらを守れという。
デイドは詭弁を弄して、二択をせまった。本来あるべき自軍もどり、デイドと決するという選択を忘れさせたのだ。
しかし捕虜たちの選択にそれはなかった。
本当の敵というものが、捕虜たちに見せられていたからであった。そこにヴァチェの言い分はなかったが、あっても身勝手な行動が目立った彼についていくものは居なかったであろう。
「悪いのはソペニアと、それに与するヴァチェだ!」
それはある面では真実であっただろう。
捕虜たちの前に大量の馬が用意される。
緒戦で奪った馬と、ワンユのもっていた馬全てであった。
「俺はソペニアと戦う!」ある捕虜が言った。
それに続くものもいた。もともと反ソペニア派の戦士もいたのだ。
「冗談じゃない。皆殺しにされるのを見てられるか、俺は子どもたちを逃がすぞ」
すぐそこにある死、奪われる恐怖に怯えるものもいた。
捕虜の三分の一は残った。義憤に駆られたものたちであった。彼らにも守りたいものはあった。そして先に逃げて行くものたちに口々に彼らの愛する者の名を言い聞かせて逃がすように頼んでいた。
デイドがそうするように仕向けたのだった。
「邪魔をするものは蹂躙する。あそこに残っているものは敵とみなす。それは女子供でも容赦はしない」
バティが追い打ちのようにかけた言葉で、彼らの行動は決まった。
馬を駆り守るべきものを逃がそうと我先にと行動した。
彼らにはもう戦うという意思は残っていなかった。
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