英雄への呪い

邂逅

邂逅 一

 霧のかかる湖を泳ぎきったデイドは辺りに味方が誰も居ないことに気がつく。

 霧のためにいくらまっすぐに泳ぐことが困難であっても、周囲に誰の気配もないのは不可思議である。

 信じてはいるが、クロガネが裏切っていて、ここが敵の陣中であったり、先回りをした敵が側にいる可能性もゼロではないので、大声をだして呼び掛けをするのも憚れる。様々な可能性の対処のためにバティを配置しているのだ。

 しかしそのバティは見当たらない。



 また不思議なことに、対岸にはルブの森林が広がっているはずであるが、その大木はおろか、草木の一つさえ見当たらない。いくら濃霧だといっても湖を背に歩いてなにも見当たらないのはおかしい。

 まさか曲がり曲がってUターンをしてしまうような間抜けなことをしてしまったのかと思ったが、クロガネから預かった羅針盤は上陸した方角を指している。

 しょうがないので右も左もわからない状態で、デイドは羅針盤の示す方へ歩きはじめた。


 とっくに日があがっていてもおかしくないのであるが、辺りはまだ薄暗く味方となってくれていたはずの濃霧は一向に晴れる気配がない。

 たまらず大声で誰かいないかと叫びたくなったところへ、デイドの視界にうっすらと人影が浮かぶ。

 デイドは注意深くその影に向かい歩いていった。しかし、ゆらゆらと動くその影の距離感が掴めず、いくら歩いても近づくことができない。そうしているうちに、いつの間にか影が消えてしまう。


「だれだ!?」


 不意に背後に気配を感じたデイドが振り向き様に叫ぶ。目の前には誰も居らず遠くに先ほどと同じような影が見えた。


「くそっ、なんだっていうんだ……」


 先ほどと反対側に見えた影へとデイドは走っていく。

 消える。

 また反対に現れる。


 デイドは、今度はその影が消えても同じ場所を目指し走る。


 何てことはないただの人影をした木の板がそこにはあった。

 いったい誰がこのようないたずらじみたことをするのだとデイドは内心思いながらも、その板を拾い上げる。やけにその人形ひとがたの板は頭部だけ厚みがあるようだった。


 とたん、それがゴティウの顔になる。


「あの時お前を殺しておけばよかった」


 まるで地獄の底から聞こえてくるような呻き声であった。


 思わずデイドはそれを投げ飛ばす。するとその顔が溶けていくように変化する。


「若。若のためにこの命差し出しましたのに……。投げ飛ばすなど非道ですぞ」


 それはズゼンの顔になり、ただの板であった人形が動き近づいてくる。


 思わずデイドは後ろに後退り、距離をとる。この世にこれほど気持ちが悪いものがあるだろうか。

 その顔は囮として犠牲となった兵たちのようにも、モーカやベーラーのようにも見えていた。


 デイドは自分がどこか黄泉の国にでも迷いこんでしまったのかと錯覚に陥りそうになった。しかし、これは幻覚であるとデイドのカンは告げていた。


「あっはっははっはっ」


 またいきなりデイドの背後から笑い声がきこえ、デイドは振り向いた。そこには奇妙とも奇怪ともいえる格好をしたものがいた。


「貴様がこの幻覚を創ったのか!」


「あー、可笑しかった。でも恐怖で我を忘れないのはいい根性だ」


「くそ、魔女か!? 貴様の姿は、十分恐怖に値するではないか!」


「酷いいわれようだが私はナレハテでもあるから、この姿は本来ではないのだよ」


「混沌のものか、竜の血が濃いとみえるが、その片腕で力比べをしようなどと思わぬことだな!」


 その魔女は片腕しかなかった。魔女は血気にはやったデイドにたいして、その爛れた片腕をヒラヒラとさせ 争う意志がないことを示した。殴り飛ばせば折れそうな腕であった。種族的にみれば、恐らくドラゴニュートであろうとデイドは思う。


 最上級のドラゴニュートはドラゴンになれるというが、その姿は様々な生物に変化する。

 この幻覚もその力を使ったのだとデイドは予想した。


 その魔女の身体からは幾つもの小さな炎が吹き出している。焼けただれながらも新たな肉が直ぐそばから生まれているようだった。体毛が焦げたような臭いがしてデイドは思わず顔をしかめた。

 よくみれば、その一つ一つの肉は何らかの生物の顔のようにもみえる。馬、羊、狼、人、そのように見えるものが、焼けては消え生まれては消えていた。



「目論みはなんだ?」


「ぬしに、なんといっていいやらな。待っていたのだよ」


 魔女は勿体つけているのではなく、本当に困っているようであった。デイドは待っていたと言う言葉に困惑している。

 初めはデイドを試すためにからかっていたが、魔女はデイドに説明する言葉を選んでいるようだった。


「誓約によりその左手を貰いに来たのだ」


「なんだと?」


「お前の父祖がわるいのだよ。我が呪いを解き放つ為とはいえ、私の左手を喰らったのだから」


 デイドはその姿が呪われているだろうというが、魔女は大笑いして言った、これで呪いは半分消えたのだと。そしてさらに魔女は続ける。


「我らの掟では、奪われたものは同じ対価を貰わねばならぬというものがある」


「わが父祖の左腕がなかったという言い伝えはないぞ!」


 その大祖父の生きた時代は、そもそも何百年たっているかも分からぬ大昔のことだ。高原にいるシャーマンの一族は、口伝で高原の全ての歴史を紡いでいるが、それがどれほど正確であるかはわからない。デイドはこの魔女が己を騙そうとしているのだと非難する。それが真実ならこの魔女は何百年と生きていることになるのだ。


 しかし魔女はさも当然であるかのように続ける。


「その通りなのだよ。やつは困るからと言って後にしてくれと頼んできた。だがやつが困らなくなるまで待つとなると、その年老いた手では対価とならない。そしたらやつはこう言ったのだ。俺の力を全て受け継いだ子孫にその対価をもらってくれと。私はそれを承諾した」


「それがなぜ、俺の左手だというのだ?」


「笑ってしまうが、死期を悟ったやつは我から奪った血の呪いを使い、その能力を五つに分けた。その一つが貴様のもっておった鎧であるよ」


「五大部族の秘宝か?」


「そう、貴様らがそう呼んでいるものだ。忌々しいことに五つに分けられた力をもつやつの五人の子供らでは、その対価に見合わなかった」


 力を全て受け継いだ子孫は分けられた宝具の一つを持ったと言われるその子供達では、不足しているということになる。それにしても、デイドはわけでは無いので、魔女の言うことは妙であった。



「わが大父祖がお前を騙したと?」


「そうとも言えるしそうでもない」


「どういうことだ?」


「その質問に答えると、貴様は対価を支払わなければならなくなるが、構わないな?」

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