小さな部族
「しかし、さっきのベーラーの顔は傑作だったな」
とデイドが言った。
百騎の兵をそばの丘で夜営の準備をさせて、デイドはズゼンとベーラーを供にし、ソウエイに準備をする間待っていてほしいと、来客用のラークへ案内をされていた。
デイドがいうのは、さきほど必死の形相でソウエイに剣をを向けていたことを指している。真剣な顔が一転して困ったような顔に変化したのが、なんとも間抜けであったのだった。
「そうですよ、ベーラー殿。私はデイド様が割って入ってくれなければ、どうしたものかと困っておりました。私と腕試しがしたいのであろうかと思案していたのです」
「いやいや、そんな余裕はなかったのですよ。我々は
「そうなのですか。我々の
しかし一度手合わせはしてみたいもだ、とベーラーは呟いたが、ソウエイはビクッと一瞬身をこわばらせただけでなにも言わなかった。
「ベーラーも武芸だけはデイド様をも越えるほどあるというのに……。もう少し状況や流れというものを読む力を武将として見習ってほしい。あの状況、わしであれば待ち伏せを怖れて引き返しておった。ベーラー、デイド様を少しは見習って――」
ズゼン説教が始まりそうになったので、それを遮りデイドが言う。
「爺、そうではないぞ。もし、俺の直感が外れてあそこに罠があれば、全滅の危険もあったのだ。爺ほど慎重であるほうがきっとよい指揮官なのではないか」
こればっかりは、デイドとズゼンの判断がどちらが正解ということもないので、ズゼンはそうですか、と一言答えるだけに留まった。
一行がそんなことを話していると、大きなラークの前にたどり着いた。
「デイド様、このラークで宴の準備までの間お待ち下さい。しかし他の兵達の受け入れもできるのですが、宜しかったのですか?」
「そこまで迷惑を掛けるわけにはいかないからな。兵達に夕食を振る舞ってくれるという好意だけで十分に有難い」
「わかりました。それでは私も宴の準備をして参りますので、しばらくお待ち下さい」
そう言い残してソウエイは去っていった。
デイドたちが案内されたラークは、デイドたちが所有するどのラークより一回り大きいサイズだった。
中央には暖をとるための大きな炉が置かれ、見慣れているより少し高い天井まで煙突が伸びている。調度品はデイドが見たことのないような細かな細工がしてあり美しかった。
デイドはしばしそれに目を奪われたあとに呟いた。
「客用のラークがあるだけでも、かなりの余裕があると思うがこの品々は素晴らしいな……」
「そうですな、よもや百名を受け入れることができるラーク全てがこのようではないと思いたいものですな」
「そんなことより、デイド様もズゼン様も立ってないで座りませんか? おお、これはなんとも柔らかく座り心地がいいですよ」
ベーラーはあまりそういった高価な工芸品に興味がないようで、早々と足のない一人用のソファーのようなものに深々と腰掛けてくつろぎ始めていた。
なんともまあ、と言うズゼンをデイドは宥めつつ同じように腰掛けて二人に問いかけた。
「彼らの目的は一体どのあたりにあると思うか?」
「わしはデイド様のお考えに従うだけで御座います」
そうか、と応えたデイドはベーラーの方に顔を向ける。
「支援をしてくれるって言うなら、ありがたく受け取ればいいと思います」
少し頭の痛くなったデイドはここにモーカの居ないことを残念がる。
デイドはモーカのことを自分以上に頭の回転が速いと思っていた。特に、言葉を発する表情や声音、行動や仕草といったものから、其の者がもつ裏の心理というものを読む力というものがあり、それを聡明な頭脳で分析することには敵わないと感じていた。だからデイドはモーカに嘘を言ったことは一度しか無いし、心配をかけないように、不安があればすべてを話して相談することにしていたのである。
ズゼンは思うところがあってもあまり口にしないし、ベーラーは思っていることが大したことがない。
移動スピードを落として、行程を長くしてでもモーカを連れてくるべきだったかとも思ったが、やはりワンユ族が完全な味方とは限らない状況下にデイドはモーカを連れてきたくはなかったのである。
先程包囲されたのは、恐らくワンユの索敵網に引っかかったからであろうとデイドは予想していた。彼らの遠吠えは遠くまでよく聞こえるし彼らは耳が良い。その特性を活かして連絡網があるのだろう。デイドには理解出来ないが、あの遠吠えにはいくつかのパターンがあって、意思疎通が図れるはずだと見当がつく。そこにソウエイが報告を受けてやってきたのであろうとあたりをつけていた。
なので、デイドは待ち伏せの可能性は低いと、一気に不利な地形を駆け抜けたのであった。当然その場に留まることは下策であったので、ズゼンは引き返すことを進言したのだ。
デイドはこれから始まる交渉の前に状況の整理をする。
『自分たちは呼ばれたから来た。彼らは俺を呼びたかったが、出発したことまでは恐らく知らなかった。しかし、自分たちを迎え入れる事前の準備はしている。ということはここに来たことは相手にとって想定の範囲内か。そしてなによりクロガネ殿と話し合うより先に宴会か……』
デイドは二人の顔を見つつ、はぁと一つため息を吐いた。相談相手の居ない思考に限界を感じた為であったが仕方がない。
どうかしましたか? とベーラーに問われたが、デイドは何でも無いと答えた。その後にすぐベーラーがまたも問いかける。
「デイド様はあのソウエイという若者をどう思っているのですか? やはり気に入った様子に見えましたが」
「そうだな、去年成人したばかりだと聞いたが、弟でもいたらあんな感じかと思ってな。お前の言う通りなかなか印象はいい」
「わしは好かんぞ。あのクロガネの息子だからな」
ズゼン静かな声で言ったが、デイドはその内心を推し量ることができなかった。
「そういえば、爺はクロガネ殿との面識があるのであったな」
「はい。やつも直接我らを裏切った訳ではない。じゃが、盟主の弔い合戦をするでもなく、自分の部族の保守に走ったこと、わしは忘れてはおらん」
「爺よ、ここを見れば、その判断は間違っていなかったのではないか?」
「若……。いえ、わしは若の判断に従うまでですぞ。ただ何かあったらこの老骨であっても、奴ら幾人も道連れにできましょうぞ」
「馬鹿なことを言うでない。ここには戦いに来たのではないことを忘れるな。この高原で敵でないものは貴重な存在となるはずだ」
そんなことを話しているうちに、宴の準備が済んだのか、ソウエイが失礼しますと言ってラークへ入ってきた。
「デイド様。宴の準備ができましたので、こちらにいらしてください」
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