愛馬ツーチャ

 西へ向かい、六つの丘と三つの山を越えてデイドたちはワンユ族の本拠地に向けて駆けていた。



 高原の馬は体格のいい鬼人オーガに劣らず大きく、持久力も高い。三刻ほど全速で走り抜いてもまだ余力を残すくらいである。



 デイドの愛馬であるツーチャはその中でも一回り大きい体躯である。立派な鬣から尾の先まで、漆黒の毛並みが美しく太陽の光を浴びて輝き、草原を蹴り出す度にその輝きが不規則に動いている。



 ツーチャは不動の鎧を着たデイドを乗せて、騎馬の集団の先頭を誇らしげに走っていた。



 部族内ではもちろん高原においても、そうはいない名馬であるツーチャをデイドは仔馬の頃から可愛がっていた。アジータでは成人したときに馬を与えられるが、デイドが成人したときに族長であった父親から与えられたのが、ツーチャであった。



 それ以来デイドはツーチャの世話を毎日欠かさず行っていたし、ツーチャもそれに応えてデイドとの間には以心伝心ともいえるような絆があった。





 モーカに旅立ちの言葉を告げてから二日目、日が真上にまだ届かない頃、ふとデイドはツーチャの駆ける速度が一瞬早くなったのを感じた。

 動物の第六感というものは鋭く、デイドはすぐにツーチャがなにか不安になるものを感じ取ったのだと気がつく。


「爺! もうすぐソウエイが言った地に着くのだな?」


「そのはずじゃ。ワンユが春頃本拠とするダカ山の麓は目の前ですぞ、しかし若それより――」


『ォォーンーー』


 ズゼンが何か言おうとしたのを遮って、何かの遠吠えが聞こえた。



 一瞬馬たちが驚き駆けるスピードが上がる。熟練の騎乗スキルを持った一行はすぐに「どうどう」と馬を落ち着かせ、危なげは全く無かった。



「囲まれているか? 狼のようだが、野生ではないな」


「若、そのようかと……しかし不味いですな。丘に挟まれたこの地は待ち伏せするには絶好の場所ですぞ。それに、狼とはまさか――」


「構わん。駆け抜けるぞ!!」


 囲んでいる狼の正体についての心当たりをズゼンが言う前に、デイドはツーチャを一気に加速させた。




 デイドは二つの丘の谷間を一気に抜けることで、例え待ち伏せがあっても機動力の差で逃げ切る算段を立てたのであった。


 幸い丘を抜けるまで待ち伏せの兵はおらず、抜けた先は開けた草原であった。

 その間には何度となく遠吠えが聞こえたが、段々と近づいているような気配であった。



 なにも起こらなかったことに安堵しつつも、デイドはなにが起こっても良いように一行の進むスピードを落とした。周囲の気配は不気味であったが、何もしてこないのであれば、こちらから仕掛けることはないのだ。

 ならば、全力疾走した馬たちの回復を一刻でもしたほうがよい。



 当然戦士達は皆周囲を警戒して、臨戦態勢である。



 その厳戒に周囲を注視していたなか、一匹の狼が不意にデイド達の前に現れた。



「なんだあの狼は! 急に現れたぞ!」

 デイドの傍らにいたベーラーは一瞬のうちにデイドと狼の間に割り込んで、抜刀した鋼色の刃を狼に向ける。



 大きな狼である。それだけで、ただの野生の狼と格が比べ物にならないと分かる。ツーチャよりも深い漆黒の毛皮に浮かぶ白い牙は、一口でツーチャの喉を貫通してしまうだろう。



 ベーラーの持つ凶器に臆することなく、狼はゆっくりとデイトの方へ近づいてくる。



 何を思ったか、デイドはベーラーの前に出て抜刀もせずに狼と対峙する。「デイド様御下がりください!」と叫ぶベーラーの刃を片手で制して狼に語りかけた。


「久方ぶり―というほど日もたってないか……大事は無いか?」


 語りかけられた狼の姿は段々と小さくなり、黒い妖気に包まれる。黒い妖気の影から音もなく人の頭が現れ、そのまま続いて垂直にその者の体が浮かんできた。


 出てきた男はソウエイであった。


「ソウエイ殿であったか、失礼した。しかし、狼の姿で現れるとは意地が悪い……」


 剣を向けていたベーラーは謝意を述べると同時に抗議する。


「すまない、ベーラー殿。警戒させるつもりはなかったのだが、我らはこの姿が一番移動が速いのです」




 ベーラーに向かって一礼すると、ソウエイはデイドに向かって口上を述べた。




「デイド様、お迎えに参りました」


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