進んで戻ってまた進む

 シェリアのこれまでの人生は壮絶であった。兄以外の家族には虐げられ、その兄にも僅か六歳で裏切られる。そして、一度入れば二度と出ることができないと言われるナウデラード大樹林へと送られる。


 それ以来、シェリアは誰とも会うこともなく一〇年以上もの間、ずっと一人で過ごしていた。誰も見ず、誰にも見られず……。


 その生活がシェリアから恥じらいというものを奪い、本来他人と関わりを持つことで養うはずの性の知識を全く身につけず身体だけ成長してしまった、というわけだ。


「シェリアと会ったばかりの頃はほんっっとうに大変でしたよ。俺の目なんか全く気にせず、すぐ脱ぎだすし……」

「お巡りさん、この人です」

「いや俺のせいじゃないですからね。てか、その言い回しどこで覚えたんですか……」

「アスカさんのお部屋でパソコンをお借りした際、チャットでこういう場合、こう書き込まれる方がいらっしゃいましたので……」


 日本でヘレナに余計な知識を与えてしまったことに深く後悔する。異世界の住人であるヘレナにとって日本は魅力あるものかもしれないが、知らなくていいことも沢山あることを教えておくべきだったと項垂れる。


「まぁそんなわけで、シェリアが俺に思ってるのは……そうですね、『相棒』とか、何なら『家族愛』とか、そんな感じなんじゃないんですかね。今のこれだって『兄に甘える』みたいな感情を多少なりとも含んでると思いますよ。シェリアの歳知らないですけど……」


 そう言い飛鳥はシェリアの頭を撫でる。


 飛鳥の膝の上で寝返りを打ったシェリアの頬から積み重ねたみかんの皮がずり落ちる。皮が鼻先をかすめシェリアは思わずくしゃみをする。その姿があまりにも間抜けで飛鳥とヘレナから自然と笑みが零れた。


「ん……、何……?」


 笑うことで膝が揺れたのかシェリアが目を覚ます。二人の視線が自分に集まっていることに気付きシェリアは首を傾げた。


「何? どうしたの……?」

「いや、何でもねぇよ」


 言いながら飛鳥は両手でシェリアの頬を挟むと、遠慮なくこねくり回した。


「んぅー。あに、ふるの……」


 されるがままで呂律がうまく回らないシェリアは飛鳥の手に自分の手を重ねる。抵抗するために伸ばされたと思われた手には力が込められておらず、シェリア自身、その状況を楽しんでいるようだった。


 そう、別にシェリアから特別な感情が欲しいわけではない。このままでいい。このままで……。


 心の内に自分の気持ちを押しこめる。それでもシェリアに向けられた飛鳥の笑顔には、他に何の感情も混ざらない、ただ純粋な嬉しさが溢れかえっていた。




 ―――――




「ったく。何がどうなってんだか……」

「……」


 飛鳥とシェリア、ヘレナの三人は今、馬車から遺跡に向かい少し進んだ場所にいた。何をするわけでもなく、平原の真ん中でただ待ちぼうけていた。


 それは、今から二〇分前、キセレからヘレナに届いた、


『遺跡が見つからない』


 という一つの連絡によるものだった。


 遺跡までの道中には所々岩や木が生えていたのでそれが目印になるはずだ。ディノランテが方向音痴などという話も聞いておらず、それでも見つからないとは一体どういうことなのだろうか。


「はい。…………分かりました」


 飛鳥とシェリアが頭を悩ましていた時、再びキセレからの連絡が入った。ヘレナはキセレと声を交えながら先に進むよう指を差す。


 飛鳥たちはゆっくりと歩を進めすぐ一〇メートルほど進んだ所でヘレナは二人に制止を呼びかける。


 理由を話してはくれなかったが、キセレと話すヘレナの表情を見る限り彼女も何が起こっているのか把握しきれていないことが予想できる。


 そして、キセレの指示で再び飛鳥たちは四、五歩ほど戻ることとなる。


「これ、何なんだろうな」

「さぁ……」


 その、何の意味があるか分からないキセレの指示に飛鳥たちは疑問を隠せない。


「アスカさん、シェリアさん、一歩だけ進んでください」

「了解っす」


 言いながら進むヘレナに続き、飛鳥は足元の花を踏まぬように一歩進む。すでに退屈気味のシェリアは両足で飛鳥が進んだ距離と同じだけジャンプした。


「もう一歩お願いします」

「ん」


 間髪入れずにヘレナから指示が飛ぶ。


 もはや、完全に飽きてしまったシェリアは寝転がり一歩分だけ転がり、その姿に飛鳥はため息を吐いた。吐かずにはいられなかった。


 だが、そこでようやくヘレナから吉報が届く。


「アスカさん、シェリアさん。店長たちが遺跡を発見したそうです」

「はぁ、やっとか……。じゃあ行きましょうか。ほれ、シェリア起きろ」

「ん〜」


 寝転がるシェリアの腕を引く。完全にダレてしまったシェリアは産まれたての子鹿のように膝を震えさせながらゆっくりと立ち上がる。


 そして、立ち上がると同時にシェリアは自身の頬を両手で打つ。


 パチンッと音が響く音の大きさが、彼女の気合の入りようを示していた。


「次はあの魔族にも負けない」

「いる前提で話進めるの止めような。マジで怖いから」


 そうして、三人は遺跡に向かい進み始めた。


 雑談を交えながら進むことで、飛鳥たちは体感的に比較的早くに遺跡の入り口である岩の塊を見つけることができた。


「なんだ。やけに簡単に見つかったな」

「そうだね」


 正直なところ、キセレから『見つからない』とヘレナに連絡があってから飛鳥は『もしかしたら見つけられないかも……』と少し不安に陥っていた。


 それはシェリアも同じだったのか、飛鳥に言葉を合わせる。


 すでにシェリアが掛けてくれた『視力強化ゼフト』の効果が切れていたため、ぼやけてはいたが入り口の側に三人の人影も確認できた。


 それを見つけた飛鳥は「そういえば……」と、ヘレナに尋ねる。


「キセレはあの遺跡について何か言ってたりしましたか?」


 先を進むヘレナは後ろを振り返ることなく口を開く。


「いえ、店長からは何も……。ですが、殿下がすぐに遺跡を見つけられなかった理由は大体の予想がつきます」


 遺跡を見つけられなかった理由。飛鳥はヘレナのその言葉に息を飲んだ。


 だが、ヘレナはそれを答えることはなく、焦らすような悪い笑顔を浮かべ飛鳥たちに振り返る。


「まぁ、それも含めて店長に聞きましょう」


 ヘレナは「私も予想でしかありませんので……」と付け加えるが、その本心は「すぐに答えを知ろうとするのは日本人の悪い癖です」という意味を含んでいそうだった。


 日本人のような容姿のヘレナが実に日本人らしい思考をするのはとても喜ばしいこと……なのだろうか?


 その時、首を捻る飛鳥の目に遠くで手を振る姿が見えた。


 それが誰なのかは見えなかったが、三人の進む足は自然と速くなった。

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