日本のテント

 水浴びを終えた飛鳥とディノランテはキャンプ地へ戻るため藪の中を歩いていた。


「何て言うか、水浴びした直後にこんな所歩きたくない……」

「仕方なかろう。わた……、俺とて出来ることならこんな所、通りたくはない」

「殿下……、じゃなくてディノ、そもそもなんであんな場所に水浴び場を作ったんだ?」


 二人の何の変哲も無い会話に違和感を覚えたかもしれない。それは間違ってはいない。


 飛鳥にとってはなし崩しだったかもしれないが、はれて友人となった二人。にもかかわらず一向に殿下呼び、敬語を改めない飛鳥にディノランテがしびれを切らし、『ディノ』と呼ぶよう強制された。


 そして、やられっぱなしで少し歯がゆい気持ちの飛鳥は少しだけ仕返しをする思いで、


「女性と思われたくないなら一人称を改めてみたら?」


 と、提案したところディノランテはそれを真に受けた。普通に男性でも一人称に『私』を使う者もいると思うのだが、常日頃から女性と間違われる世界一美しいこの男は藁にもすがる思いだったのだ。


 だが、飛鳥やディノランテは急に今までの習慣を変えることは出来ず、二人とも傍から見ていて滑稽なものとなっている。


 また、ディノランテが一人称を『俺』に変えたのは構わない。だが、少したどたどしい彼の『俺』は飛鳥からすれば、ただの『オレっ娘』にしか思えず、女性が男性の振りをしているようにしか見えなかった。


(いっそ丸坊主にした方がいいんじゃねぇの?)


 飛鳥はディノランテを男と見せるにはもうそれしかないのでは、と諦めモードだ。


 そうこうしているうちに二人は藪を抜け女性陣の待つ野営地に到着し、焚き火を囲むヘレナとミーシャ、そしてシェリアの姿を確認する。


「お待たせしました。時間かかってしまってすみま……」


 飛鳥がそこまで言うと、背を向けて座っていたシェリアの姿が忽然と消え……、


「……ぐぇあ゛」


 飛鳥の言葉を遮るように飛鳥の腹部に頭から猛スピードで突っ込んできた。飛鳥はその勢いを殺すことが出来ず背中から倒れ込み、のしかかったシェリアの重みで白目を剥きながら口から泡を吹いた。


「何かあったのか?」


 倒れこむ飛鳥とシェリアを横目にディノランテがミーシャに尋ねた。


「先程、水竜様が御出でになられただろ? その衝撃音がこっちにも聞こえてきたんだが……」

「あぁ、なるほどな……」


 猫耳をピコピコと震わせながら答えたミーシャの言葉を最後まで聞くことなく、だが何となく理解した。


 水竜が現れる時、必ず水竜はその周囲一帯に侵入不可能な結界を張る。何故わざわざ結界を張るのかはディノランテも知らないのだが、魔族ですら破壊することのできない強固なものだそうだ。

 そして、その結界は水竜が去った後、しばらくその場に停滞し、水竜が込めた聖術気せいじゅつきが切れ次第、消滅する。


 シェリアは大きな音と共に飛鳥がいる場所の近辺に巨大な聖術気せいじゅつきを持つ何らかの生物が出現したことを瞬時に察知し、その場に向かおうとした。だが、そこには結界によりたどり着くことが出来なかった。ミーシャに結界の話を聞き、一旦は落ち着いたものの、それでも飛鳥の身を案じていたことには変わりない。


 シェリアはミーシャにいずれ戻ってくると言われ大人しく待っていたのだが、飛鳥の姿を目に入れ思わず感情が高ぶってしまったというわけだ。


「あれで男女の仲ではないとは、到底信じられんな」


 呆れて溜息をつきながらディノランテはそう呟いた。そして、ミーシャに向き直り、


「お前も沐浴を済ませてこい」


 と、伝えた。


 ミーシャは頷き立ち上がり、水浴びの準備を整える。


「ほら、シェリアも行ってこい」

「ん」


 いつ目覚めたのか定かではないが、飛鳥の呼びかけにシェリアは素直に応じ起き上がる。


「ヘレナさんもどうぞ。後の片付けはこっちでやっておきますから……」


 シェリアが離れたことでようやく身体を起こした飛鳥は、焚き火の周りで食器を纏めているヘレナに声をかける。


「そうですね。ではお言葉に甘えましょうか」

「そうして下さい。戻ってきたらすぐに『空間箱エスプ』でキューブ化出来るようにしておくので」


 飛鳥は再度、頭を下げるヘレナに手を振るとシェリアに声をかける。


「シェリア、ちょっと行く前にこのキューブを解除してくれないか?」

「ん、わかった」


 そう言うと、シェリアはしゃがみこみ飛鳥が地面に置いたキューブを元の大きさに戻す。


 そこには一メートル四方程の平たいダンボール箱が出現した。


「おう、サンキュー。引き止めて悪かったな」

「ん、行ってくるね」


 シェリアは立ち上がると水浴び用の少し大きめの巾着袋を手に持ち先を行くヘレナとミーシャの後を駆け足で追いかけた。


「お前ら、本当にそういう仲では……」

「違うから!」


 二人の様子を少し離れた位置から眺めていたディノランテの疑問を飛鳥は真っ向から否定する。


 ディノランテは否定する飛鳥の言葉に肩を上げるが、その左眼には飛鳥の満更でもない様子が見て取れるのであった。




 —————




 女性陣がいなくなり飛鳥はヘレナの残した食器を手に水浴び場と離れた位置で食器を洗い終え、シェリアが元の大きさに戻した段ボール箱に目を向けていた。


「で、なんなのだ、これは」


 洗い終わった食器の水分を綺麗に拭き取りながらディノランテが尋ねる。


「これはテントです……、だ。流石に馬車で五人で寝るのは狭すぎるだろ?」


 気を抜くとすぐに敬語に戻ってしまう飛鳥は段ボール箱に封をしているビニールテープに爪で綺麗に切れ込みを入れていく。


「確かにな。すまんな、俺たちのためにわざわざ」

「いいよ、別に。それにせっかく買ったのに使う機会がなかったからさ」


 封が完全に取れ飛鳥は箱を開け中身を取り出す。そして、中身の円型の物体に固定されたゴムバンドを取り外すと瞬く間にドーム状のテントが現れる。


 飛鳥の購入したテントはワンタッチのポップアップテントだ。従来の骨組みから組み立てるテントは飛鳥には荷が重く、少し高くついたが素人でも簡単にテントを立てられるものを購入していたのだ。


 そして、同じく箱の中に入っていたペグをそこらに落ちていた石でテントに打ち付け完成だ。


「すごいな。お前の国は本当に何でもあるんだな」

「そうだな……、確かに欲しいものは大体手に入るかな。まぁそれがこの世界で有用なものかは分からんけど……」


 飛鳥は水浴び場から野営地に戻るまでに、簡単にディノランテに自分やシェリアの事情を話していた。魔女や賢者のことはうまく隠しながら、嘘偽りなく。


 多少は驚かれはしたが、ディノランテはそこまで取り乱した様子はなかった。この異世界には別の世界から様々な生物を呼びだす召喚法術が存在する。なので飛鳥が別の世界から来た人間だと言われても大した問題ではなかった。むしろ、自分の見たこともない道具を使用する飛鳥を見た後では納得するほどだった。


「何を言う! 少なくとも、このテントはかなり有能だぞ!」

「そう言ってくれて助かるよ。テント出して要らんとか言われたら流石に泣くわ。……と、後はシェリアが戻ってから予備の布団を運び込んで終わりだな」


 全てのペグを打ち終えた飛鳥は軽く額に浮かんだ汗を拭った。


 やがて水浴びを終えた女性三人が戻り、キューブ化していた布団を二セットをテントに運び込むと、早々に横になる。


 そうして、ディノランテとミーシャが仲間に加わり波乱万丈の一日がようやく終わるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る